TOSM三重のホーム
『解析教程』.『微分トポロジー講義』.
『数理解析のパイオニアたち』.
『数学名所案内』.
『数論の3つの真珠』.
『代数学とは何か』.
『黄金分割』.
『天書の証明』.
『数学の最先端 21世紀への挑戦3』
『シンメトリー』
『微分のはなし』
『古典群:不変式と表現』
『直線と曲線 ハンディブック』
『数学者列伝』
『面積・体積・トポロジー』
『微分のはなし』
『積分と微分のはなし』
人名索引 すせそ
人名索引総目次 さし
トップへ
す 
スウィナートン=ダイアー(Henry Peter Francis Swinnerton-Dyer, 1927-.)
ケンブリッジ大学純粋数学・数理統計学科名誉教授.p進L関数,有限体上のリーマン予想,楕円曲線のL関数,バーチ・スウィナートン=ダイアー予想. [天6] トップ
スウィフト(Jonathan Swift, 1667.10.30-1745.10.19.)
アイルランド,ダブリンに生まれ,ダブリンに死す.
小説家.『ガリバー旅行記』など.『ペスト』は1665年に大流行したロンドンのペストの様子を描いたものだが,そのため大学も閉鎖されニュートンは故郷に帰って充実した発見の日々を送った. [パ:ノート] トップ
スヴェド(Marta Sved.)
オーストラリア,アデレイド大学純粋数学科.MAAからJourney into Geometries を出版. [天21] トップ
スカウテン(Jan Arnoldus Schouten, 1883.8.28-1971.1.20.)
オランダ,アムステルダムに生まれ,Epeに死す.造船業を営む家に生まれ,デルフト工業高校卒業後電気技師として働く.数年後遺産が手に入って,数学を学ぶためライデン大学に入学.
1914年にテンソル解析をテーマに博士号取得.デルフト大学数学教授(1914-1943).引退後離婚し再婚して,Epeの隠居所で暮らす.アムステルダム大学教授(1948-1953).1946年にアムステルダム数学研究センターを作り,5年間所長.1954年のアムステルダムICMの会長.
テンソル解析(リッチ計算法)の開発と,そのリー群,相対論,統一場理論,微分方程式への応用.レヴィ・チヴィタと独立にリーマン多様体の接続を発見.ワイルやエディントンの影響で,アフィン幾何,射影幾何,共形幾何も研究.
[ワ4] トップ
スコット(Paul Raymond Scott.)
オーストラリア,アデレイド大学純粋数学科助教授.凸集合,不等式,計算機科学. [天9] トップ
スコーレム(Thoralf Teodor Albert Skolem, 1887.5.23-1963.3.23.)
ノルウェー,サンズベールに生まれ,オスロに死す.
オスロ大学卒業後,1938年から教授.
数論(ディオファントス方程式),組み合わせ数学,束論,集合論,数理論理学,数理哲学.ツェルメロの公理的集合論の精密化.
公理論の非標準モデルの相対性.理論がモデルを持てば,可算モデルを持つことを示す.スコーレムの関数,スコーレムの逆理.
[ワ9] トップ
ススリン(Andrei Aleksandrovich Suslin)
ロシアの数学者.代数的K理論.セール予想(体上の多項式環上の射影加群は自由加群である)をクィレンと独立に示す(1976).
[代コ] トップ
スターリング(James Stirling, 1692.5-1770.12.5).
スコットランド、ガーデン(スターリングの近く)に生まれ、エディンバラに死す。
政治がらみでヴェネツィアに去り(1715-25)、ニュートンに呼び戻される。ヴェネツィア・ガラスの製法の秘密を解明。ロンドン王立協会会員(1729)。オイラーと文通し同種の問題を研究していたという。n!の無限大での挙動を表すスターリングの公式. [解II.10, 文], [天2, 18] トップ
スターン(Moritz Abraham Stern, 1807--1894)
ゲッティンゲン大学でガウスの同僚,1858年にガウスの後任としてゲッティンゲン大学教授.ドイツで(キリスト教に改宗せずに)正教授になった最初のユダヤ人という.リーマンの才能を見いだしたことで有名.デデキントを数論に導いた人でもある.『クレレ誌』に論文「数論的関数について」を発表.スターン・ブロコット木(Stern-Brrocot tree).スターン素数(平方数の2倍と素数との和には書けないような素数のこと.小さい方から2, 3, 17, 137, 227, 977, 1187, 1493など).
[伝] トップ
スタントン、ナンシー(Nancy K.Stanton).
1969年スタンフォード大学卒業、MITのI.M.ジンガーのもとで学位論文を書く(1973)。現在ノートルダム大学数学教室に勤務。多変数関数論。余暇は自転車旅行やハイキングという。[解III.8] トップ
スタンバーグ(Shlomo Robert L.Sternberg, 1936-.)
アメリカの数学者.ハーバード大学教授.リー群論,微分幾何学.
日本語の本に『微分幾何学』(高橋恒郎訳)吉岡書店(1974)がある.
[ト3, 文] トップ
スチェクロフ(Vladimir Andreevich Steklov, 1864.1.9−1926.5.30).
ロシア、ニズニイ・ノヴゴロド(1932-1990の間ゴーリキー市)に生まれ、ソ連、クリミア、ガスプラに死す。
リャープノフの弟子。ソ連の数理物理学派の創始者で、ソ連科学アカデミーの研究所を作る。その研究所は後3つに分かれ、1つが彼の名を冠した数学研究所でモスクワにあり、機関誌を発行している。[解II.6, 文] トップ
スティーヴンス(Glenn Stevens, 1953-.)
ボストン大学数学科教授.ハーヴァード大学で博士号(1981).整数論. [名文] トップ
スティルチェス(Thomas Joannes Stieltjes, 1856.12.29-1894.12.31).
オランダ、ズオーレに生まれ、フランス、トゥールーズに死す。
学校時代ガウスとヤコビを読んでいて講義に出なかったので落第。何度も受験に失敗した後、親のコネでライデン天文台に就職(1877-83)。数学に専心し、C.エルミートに生涯文通により師事(1882-)。グローニンゲン大学教授の第1候補になるも、資格に欠けるという理由で不採用。エルミートのお陰でライデン大学の数学と天文学の名誉学位を得る。一家をあげてパリに移住、後フランスに帰化。トゥールーズ大学教授(1889)。 スティルチェス積分。 [解II.6] トップ
スティーンロッド(Norman Earl Steenrod, 1910.4.22-1971.10.14).
アメリカ,オハイオ,デイトンに生まれ,ニュー・ジャージー,プリンストンに死す..
途中,働いて学資を貯めながら,ミシガン(1932卒),ハーヴァード,プリンストンの各大学で学び,レフシェッツの下で学位.
シカゴ(1939),ミシガン(1942),プリンストン大学(1947-退職)に勤務.代数学,トポロジー.代数的トポロジーの基礎づけ,特にファイバー束,コホモロジー作用素,スティーンロッド代数など.
日本語の本に『ファイバー束のトポロジー』(大口邦雄訳)吉岡書店(1976)と,W.G.チンとの共著『初歩のトポロジー』(野口広訳)SMSG新数学双書1,河出書房新社(1969)がある. [ト文, 人], [天10] トップ
スツルム、ジャック・シャルル・フランソア(Jacques Charles Fran\c{c}ois Sturm, 1803.9.29--1855.12.18).
スイス,ジュネーヴに生まれ,フランス,パリに死す.
父のジャン・アンリ・スツルムはジュネーヴで算術の教師をし,息子にギリシャ語やラテン語などの教育をし,息子は才能を示したが,16歳のときに父親が死に,家計が苦しくなった.ドイツ語を学ぶために通っていたジュネーヴ・アカデミーでリューリエに数学を学び,その才能を認められていたお蔭で,彼とその後継者のジャン・ジャック・シャウプにより,アカデミーからの援助を受ける.
卒業後(1823年5月に)は貴族の末子の家庭教師になり,年末にこの家族がパリに半年滞在するのに同行した.
この時アラゴーの家で毎木曜に開かれる科学サロンに出席し,ラプラス,ポアソン,フーリエ,ゲイ・リュサック,アンペールなどと知己になる.
その後友人のコラドンと,水の圧縮性に関するパリ・アカデミーの懸賞に応募したが落選した.授賞作品がなく,再度応募されたので,二人でパリに行き,アラゴーの息子の家庭教師として同家に住みながら,アンペールの実験室にも出入りし,アンペール,ゲイ・リュサック,コーシー,ラクロアの講義を受けた.両人ともフーリエの助手になって,彼の示唆により,スツルムは数学の道に,コラドンは物理の道に進むことに.再度応募したときには授賞した.
最も有名な仕事は代数方程式の実根に関するもので,1829年の論文で解決した.
デカルト,ロル,ラグランジュ,フーリエも考察し,最終的にはコーシーが解決したが,コーシーの方法は繁雑で実際的でなかった.
プロテスタントで外国人だったので職が中々得られなかったが,1830年6月の革命で政治状況が変わり,アラゴーの推薦によってスツルムはコレージュ・ロランの教授になった.1833年にフランスの市民権を得,1836年にパリの科学アカデミーか委員になる.
熱のポアソン理論に由来する微分方程式に関する結果を得,今日ではスツルム・リウヴィル理論と呼ばれるものが完成したのは1836-1837年.
1838年にエコル・ポリテクニクに職を得,1840年から解析と力学の教授になり,同年ポアソンの後任としてパリ大学の力学の教授になる.微積分学や有理力学に関する講義に多大な力を注ぎ,それがエコル・ポリテクニク解析教程2巻(1857--63),エコル・ポリテクニク力学教程2巻(1861)に結実するが,ともに死後出版.
ほかに業績は無限小幾何,射影幾何,曲線と曲面の幾何,幾何光学など.
1851年からは体を壊し,何度も復帰しながら,遂に療養中に亡くなる.
方程式の根に関する定理に「スツルムの定理」の名がついて光栄だと,講義中に語ったという.
[代2] トップ
ステヴィン、シモン(Simon Stevin, 1548-1620).
フランダース、ブリューゲ(現在ベルギー領)に生まれ、オランダ、ハーグに死す。
数学・物理学・機械技術者。オランダ陸軍の経理総監・堤防監察官にもなる。滑車の研究の中で仮想仕事の原理を提唱。静力学の基礎。中国やアラブの仕事は知らず、小数を提案。負の数の導入。彼の実数の表記法はクラヴィウス、ネイピアに受入れられ、広まっていく。[解I.2, 人] トップ
ステファノス(Cyparissos Stephanos, 1857-1917).
ギリシャ,ケア島に生まれ,アテネに死す.アテネ大学で学位取得後(1878),パリ大学へ行き,シャルル・エルミートのもとで国家博士号(1880)取得後,4年をパリで過ごし,層に関する論文を書く.ダルブーの問題を解決(1981).代数学者でもあり,ワイエルシュトラスの弟子でもある.
アテネに帰りアテネ大学,工業学校,士官学校で教鞭.ギリシャの教育と工業化に貢献.J.ハジダキスと共にアテネ大学での数学の伝統を作る.
[伝] <トップ
ストークス(George Gabriel Stokes, 1819.8.13-1903.2.1).
アイルランド,スリゴ郡スクリンに生まれ,イギリス,ケンブリッジシャー,ケンブリッジに死す.聖職者の一族に生まれる.16才のときイギリスのブリストルに移住.
ケンブリッジ大学ペンブローク・カレッジに学び(1837-41),後ルーカス数学教授(1849-).ロンドン王立協会書記(1854-58),会長(1885-1990).
光学,流体力学,数理物理.(ベクトル解析での)多重積分に関するストークスの定理は流体中の物体の運動を粘性をも込めて記述するために考案された.電気素量の計測のためのミリカンの油滴実験(1909-1903)の理論的基礎として極めて重要なもの.光学では蛍光を,紫外光が吸収され,可視光として再放射されるものという説明を与えた.太陽光スペクトルのフラウンホーファー線の解釈も最初に行った(1854).
化学や植物学にも造詣が深かったと言う.
また,オイラーと独立に導入した一様収束の概念(1848)など純粋に解析学での貢献も重要である. [代21]
トップ
ストルイク(Dirk Jan Struik, 1894.9.30-2000.10.21).
アメリカ人。オランダ、ロッテルダムの生まれ。ライデン大学卒業(1922).数学と物理を学ぶ.物理については,H.A.ローレンツ,ド・ジッター,エーレンフェストに学び,特にエーレンフェストの影響を強く受ける.
J.A.スカウテンの助手としてデルフト工業大学に(1917-23).1923年にユトレフト大学に移り,結婚.1924年にロックフェラー奨学金でローマに留学.レヴィ・チヴィタほかの多くの数学者,特に微分幾何学者と共同研究.1925年奨学金の延長を得,ゲッティンゲンに行き,F.クラインに師事.また,附属図書館でルネッサンス期の数学の原典に触れる.
ウィーナーの招きで,マサチューセッツ工科大学に行き(1926),教授(1927-)。1949年マッカーシー旋風の時期にFBIの取り調べを受ける.
テンソル微分幾何、数学史。
日本語の本に『数学史』(岡邦雄+水津彦雄訳)みすず書房(1957)がある。 [解I.1, II.1-2, III.2, 文] トップ
スネリウス=スネル(Snellius=Willebrord Snell van Roijen=Royen, 1580-1626.10.30).
オランダ、ライデンに生まれ、ライデンに死す。
数学・自然学者。ライデン大学教授。ファン・ケーレンの弟子。ラムス主義者の父ルドルフとステヴィンの影響を受ける。ティコ・ブラーエの助手をしたとき、ケプラーにも会う。πの近似値、光の屈折の法則、正弦法則など。[解I.4, II.2, 文] トップ
スパニア(Edwin Henry Spanier, 1921.8.2-.)
アメリカの数学者.カリフォルニア大学教授.トポロジー,代数幾何学,数理言語学.ボルスクのコホモトピー群を命名.チェック・コホモロジーの改良. [ト文] トップ
スピヴァック(Michael D. Spivak, 1940-. )
AMS-TeXの作者でもあり,多数の教科書を書いている.日本語訳も『多変数解析学-古典理論への現代的アプローチ-』(斎藤正彦訳)東京図書(1972)などがある.
[ト文] トップ
スペンサー(Joel H. Spencer)
ハーヴァード大学でPhD取得(1970). ニューヨーク大学,クーラント研究所,計算機科学科教授.理論計算機科学,離散数学
[天21] トップ
スホーテン(Fransiscus van Schooten, 1615頃-1660.5.29).
オランダ、ライデンに生まれ、ライデンに死す。
父の後を継ぎ、ライデン大学教授。1637年にオランダに来たデカルトに学ぶ。ホイヘンスの師。ヴィエート全集の出版。デカルトの幾何学のラテン語版の出版。1661年の第2版はデカルト以後の,学派の結果を含んだ注釈が付されており,ニュートン以前の解析学の集大成のような意味を持っており,デカルトを解析幾何学の創始者と認知させたもの. [解文] トップ
スミス,デイヴィッド(David Eugene Smith, 1860-1.21-1944.7.29). アメリカ、ポートランドの生まれ。数学者・科学史家。ヨーロッパの諸大学で学び、弁護士の仕事をした後、ポートランド、ミシガン、コロンビア大学で教える。数学教育国際委員会の会長(1928-32)、名誉会長(1932-)。デカルトの『幾何学』の英訳。[解I.1, 文] トップ
スミス,ヘンリー(Henry John Stephen Smith, 1826.11.2--1883.2.9). アイルランド,ダブリンに生まれ,イギリス,オックスフォードに死す.
1845年,オックスフォード大学ベイリオル・カレッジに入学(ベンジャミン・ジャウェットが面接).
ベイリオル・カレッジのフェロー(1849).
1860年に,サヴィル幾何学教授に.このとき対抗馬にジョージ・ブールがいた.
ガウスに強い影響を受け,整数論,特に単因子論.任意の整数が5つの平方数の和に書けることを示す.
ガウスの実の2次形式論を複素の2次形式に拡張.1859年から1865年まで,整数論に関する総合報告を作成,有名なヒルベルトの数論報告にその多くが取り入れられる.
[列伝] トップ
スメタニウク(Bohdan Smetaniuk.)
シドニー大学でラテン方陣に関して学位(1983).
[天25] トップ
スメイル(Stephen Smale, 1930.7.15-.)
アメリカ,ミシガン州,フリントの生まれ.
ミシガン大学卒業(1952),同博士(1956).コロンビア大学教授,カリフォルニア大学バークレイ校教授.5次元以上のポアンカレ予想の解決で,1966年フィールズ賞受賞.トポロジー,力学系,経済学,数値解析.
ベトナム反戦運動家としても有名.
日本語に訳されているものに,M.W.ハーシュとの共著『力学系入門』(田村一郎+水谷忠良+新井紀久子訳)岩波書店(1976)がある.
[ト附, 文] トップ
スルジウス(=ルネ・フランソア・ド・スリューズ)(Slusius = Rene Francois Walter de Sluze, 1622.7.2-1685.3.19).
リエージュ公国、ヴィゼー(現ベルギー領)に生まれ、リエージュ公国、リエージュに死す。
ルーヴァン大学(1638-1642)に学んだ後、ローマ大学サピエンツァ校で法律の学位を得る(1634)。
ローマでは、数学、天文学、多数の言語などを学び、数学ではカヴァリエーリやトリチェリの影響を受ける。
1650年に聖職につき、リエージュに帰る。法律の知識のお陰で急速に出世し、1616年にはアメの僧院長になる。僧職のため数学者達と交流するのは文通に限られる。パスカル、ホイヘンス、ウォリス、リッチなどと頻繁に文通する。
数学的には、デカルトや、フェルマの方法を拡張し、代数曲線に接線を引く方法を発見したことが重要で、微積分学の先駆者の一人と考えられている。ローマ時代にサイクロイドを研究したことから始めて、平面曲線についての研究があり、パスカルがスリューズの真珠曲線と呼んだ曲線族
ym= k xn (a-x)b
は1657-58年の間にしたホイヘンスやパスカルとの文通の中で公表されている。
ただ、 y = x2 (a-x) の形の曲線も真珠の形になると思い込んでいたのは、負の座標の概念が確立されていなかったためで、後にホイヘンスは極大・極小典や変曲点を見つけて正しく図を描いている。1674年にはロンドン王立協会会員になっている。
数学以外にも、天文学、物理学、自然哲学、歴史、神学などの本を書いているが、1659年の『方法について』(Mesolabum)という一般向けの本では方程式の根を幾何的に作図すること、中でも一般の4次方程式も円錐曲線と円との交点で作図できることを示している。 トップ
スロードウィ(Peter Slodowy, 1948-.)
1978年,レーゲンスブルグ大学で,Th.ブレッカーとE.ブリースコルンの指導の下,Einfache Singularitaten und einfache algebraische Gruppen(単純特異点と単純代数群)によってPh.D.取得.
ハンブルク大学数学科教授.特異点理論. [名17] トップ
スロール(Robert McDowell Thrall, 1914-.)
1937年イリノイ大学アーバナ・シャンペイン校で,H.ブラハナの指導の下,「メタアーベル群と3重線形形式」によってPh.D.取得.ミシガン大学(1943以前-1971?),ライス大学教授(1971-1979以降).
代数学,群論,環論. [ワ文] トップ
トップへ
せ 
セグレ,コラード(Corrado Segre, 1863.8.20-1924.5.18.
イタリア,サルッツオに生まれ,トリノに死す.
1883年エンリコ・ドヴィディオの指導の下,高次元のクォンティックに関する論文によりPh.D.取得,代数学の教授と幾何学の教授の助手となる.1888年にドヴィディオの後継として,高等幾何学の教授に(−死).弟子G.ファノ,B.セグレ,F.セヴェリなど.
代数幾何イタリア学派(G.ヴェロネーゼ,F.エンリケス,G.カステルヌーヴォ,F.セヴェリなど)の一人.
線形変換で不変な幾何的性質,代数曲線,線織面,クンマー曲面,など.曲面の双有理変換の一般論.微分方程式で定義される曲面についてのダルブーの仕事の拡張など.ツォイテン・セグレ不変量.
[ワ3.10] トップ
セゲー(Gabor Szeg\"o, 1895.1.20-1985.8.7)
ハンガリー,クンヘギーエスに生まれ,アメリカ,カルフォルニア,パロ・アルトに死す.
ブダペストの大学を卒業後,ベルリンではフロベニウス,H.シュヴァルツなどの下で,ゲッティンゲンではヒルベルト,ランダウ,ハールの下で学ぶ.ハンガリーに戻って,フェイエールの下で働き,若きフォン・ノイマンを指導する.
1921年ベルリン大学に就職,I.シューアの友人となり,フォン・ミーゼスやシュミットと共同研究をする.特にポーヤとの共著『解析学の問題と定理』(1925)は有名で,多くの版を重ね,大きな影響を与えた.
1926年,クノップの後を継ぎ,ケーニヒスベルク大学教授(-1934).ユダヤ人であることからアメリカに亡命.ミズーリ州,セント・ルイスのワシントン大学教授.1938年スタンフォード大学に移り,停年まで勤める.
『数理物理学における等周不等式』『直交多項式』(1962)という著書でも有名.業績としては関数解析学や複素関数論.セゲー測度,セゲー核.
[天16,17] トップ
ゼケリー(L\'{a}szl\'{o} A. Sz\'{e}kely.)
ハンガリー,ブダペスト,エトヴォシュ大学PhD取得(1983).南キャロライナ大学数学科教授(1996-).アメリカの永住権取得.グラフ理論,組合わせ論. [天32] トップ
ゼノン,エレアの(Zeno of Elea, 紀元前490年頃-425年頃.)
ルカニアのエレア(南イタリア)に生まれ,エレアに死す.父親はテレウタゴラスであるといわれている.
パルメニデスの弟子で,ゼノンに関する知識は主にプラトンの『パルメニデス』の記事による.パルメニデスとゼノンが創ったエレア学派はソクラテス以前の前スコラ哲学で有力なものだった.450年頃この二人はアテネを訪問したとプラトンは述べている.20歳頃のソクラテスが,40歳頃のゼノンと65歳頃のパルメニデスに会ったという話である.それ以前にゼノンはその著書によりアテネでは高名であった.
有名な逆理は,近代の無限小の概念の成立に大きな影響を与えた。もとの著書では逆理は40あったが,アリストテレスがそのうちの4つを取り上げて詳論したので,この4つが有名になった.2分割,アキレスと亀,飛ぶ矢,スタジオンの4逆理である.これらの逆理はアナクサゴラスとピュタゴラスに対して,パラメニデスの立場を守るために考案されたという. [名2] トップ
ゼーマン(Pieter Zeeman, 1865.5.25-1943.10.9.)
オランダ,ゼーラント,ゾンネンメールに生まれ,アムステルダムに死す.
1885年ライデン大学に入学,カマーリング・オンネスやH.A.ローレンツに学ぶ.1890年ローレンツの助手,1893年カー効果に関する業績で博士号.1894年ライデン大学私講師,1897年アムステルダム大学私講師,1900年アムステルダム大学物理学教授(-1935).1923年ゼーマン研究所所長に.
磁場内でスペクトルが分裂するゼーマン効果の発見,ローレンツの電子論の確立に寄与.原子内に電子が存在することの確証.1902年ローレンツとともにノーベル賞受賞.運動媒質中の光速度に注目し,相対性理論との一致を検証. [代17]
トップ
ゼリドヴィッチ(Jakov Borisovich Zel'dovich, 1914.3.8--1987.12.2).
ミンスク(現在はベラルーシの首都)の生まれ.生後4ヶ月でサンクト・ペテルブルグに移住.
17歳からソ連アカデミー科学物理研究所(レニングラード(1931--1941),モスクワ(1943--))に勤め,独学する.1941-43はカザンに疎開.1939年に理学博士.モスクワ大学物理学教授(1965).相対論的宇宙物理学講座を創設(1982).衝撃波の研究から,ソ連の核兵器開発に指導的役割.
1950年から素粒子物理,1960年から天体物理,宇宙論に転じ大きな貢献.銀河団のガスの背景輻射に対する効果からハッブル定数を計算する方法を提唱.S.ホーキングが彼に会ったとき
お会いする前,貴方は,ブルバキのように,複数の著者の集合体だと思っていました.
と語ったという. トップ
セレ(Joseph Alfred Serret, 1819.8.30-1885.3.2).
フランス、パリに生まれ、ヴェルサイユに死す。
コレージュ・ド・フランス天体力学教授(1861)、ソルボンヌの微積分学教授(1863)。1871年ポアンソの後任として、科学アカデミー会員になる。1873年経度学会に参加。ラグランジュの全集14巻本、モンジュ全集(第5版)の編集。曲線の曲率を与えるフレネ・セレの公式。
『高等代数学教程』2巻に初等的なガロア理論の初めての解説がある. [解III.6, IV.4, 文] トップ
セール(Jean Pierre Serre, 1926.9.15-.)
フランス,バジュの生まれ.
エコール・ノルマル・シュペリオール卒業(1948).コレージュ・ド・フランス教授(1956-),名誉教授(1994).整数論,代数幾何学,代数トポロジー.フィールズ賞受賞(1954),第1回アーベル賞受賞(2003).
アーベル多様体.ファイバー空間に対するスペクトル系列(1951).シチギーの一般化とセール予想(体上の多項式環上の射影加群は自由加群, 1955).H.カルタンとともに多変数複素関数の基本的な問題を層係数のコホモロジーの形に整理.代数幾何(代数多様体を環つき空間として定義し,ザリスキ位相を持つ位相空間として代数的連接層の理論を作り,算術種数などの不変量がコホモロジー量であることを示す).セールの判定法.セールの双対定理(1955).
セールのアーベル群のクラス理論.球面のホモトピー群の計算.代数的K理論.群のコホモロジーについての,ホッホシルト・セールの基本完全系列.
著書多数.
文献
- 『数論講義』岩波書店
- 『ガロア理論特論』(H.ダルモン筆記、植野義明訳)トッパン(1995)、Topics in Galois Theory(1993)
- 「ファイバー空間の特異ホモロジー」Homologie singuliere des espaces fibres(1951).
- 「アイレンベルグ・マクレーン複体の2を法とするコホモロジー」Cohomologie modulo 2 des complexes d'Eilenberg-McLane(1953).
- 「双対定理」Un theoreme de dualite(1955).
- 「代数的連接層」Faisceaux algebriques coherents(1955).
- 「ネーター環と加群のホモロジー次元」Sur la dimension homologiques des anneaux et des modules noetheriens(1955).
- 「代数幾何と解析幾何」Geometrie algebriques et geometrie analytiques(1955).
- 「標数 p のアーベル多様体の諸性質」Quelques proprietes des varietes abeliennes en caracteristique p (1958).
- 「リーマン・ロッホの定理」La theoreme de Riemann-Roch, with A.Borel(1958).
- 「代数群と類体」Groupes algebriques et corps de classes(1959).
- 「局所体」Corps locaux(1962).
- 「同相でない共役な射影多様体の例」Exemple de varietes projectives conjuguees non homeomorphes(1964).
- 「ζ関数とL関数」Zeta nad L functions(1965).
- 「局所環,重複度」Algebre locale, multiplicites(1965).
- 『リー代数とリー群』Lie algebras and Lie groups(1965).
- 『有限群の線型表現』Representations lineaires des groupes finis, (1967, 1972).日本語訳は岩波書店(1974).
- 「アーベル多様体の良還元」Good reduction of Abelian varieties, with J.Tate(1968).
- 「代数多様体のζ関数の局所因子」Facteurs locaux des fonctions zeta des varietes algebriques(1969/70).
- 「ガロア・コホモロジー」Cohomologie galoisienne(1974).
- 「重さ1のモデュラー形式」Formes modulaires de poids 1, with P.Deligne(1974).
- 『楕円曲線とl進アーベル表現』(鈴木治郎訳)ピアソン・エデュケーション(2000).
[名3, 文], [珠説3.3, 文], [代コ] トップ
セルバーグ(Alte Selberg, 1917.6.14-.)
ノルウェー,ランゲスーンの生まれ.
オスロ大学卒,教授.プリンストン高等数学研究所教授.整数論,解析関数論,表現論など.素数定理の初等的解法で,1950年フィールズ賞受賞. [珠説2.4, 3.11, 文], [代コ], [天2] トップ
ゼレヴィンスキー(Andrei V. Zelevinsky.)
ロシア,モスクワ,科学アカデミー,地球物理学研究所.現在,アメリカ,ボストン,ノースウェスタン大学教授.組合せ論,幾何学など. [天15] トップ
セメレディ(Endre Szemer\'edi.)
ブダペスト,ハンガリー・アカデミー数学研究所.エルゴード理論,グラフ理論. [天21, 32] トップ
トップへ
そ 
ソス(Vera T. S\'{o}s).
ブダペスト,ハンガリー・アカデミー,アルフレッド・レニイ数学研究所.エルデシュ数は1. [天21, 31] トップ
祖冲之(Tsu Ch'ung -Chih, Zu Chongzhi, 429-500(430-501という説あり)).
字は文遠。南朝、宋・斉の人。
天文学・数学・機械技術者。大明暦を作成し、宋の孝武帝に献じ(462)、梁のときから使用。指南車の復元(478)、『綴術』(唐代には教科として教えられたが、高度過ぎて習う者がなくなり、失われたという。π の値のみ『隋書・律歴志』に約率 22/7、密率 355/113 と転載されている)。 [解I.6] トップ
ソニン(Nikolai Yakovlebich Sonin(=Sonie)), 1849.2.22-1915.2.27).
ロシア、トゥーラに生まれ、ペトログラード(現サンクト・ペテルブルグ)に死す。
ワルシャワ大学教授(1876)、ペテルブルグ女子大学とペテルブルグ大学で教える(1894-)。1899年行政的ポストに。
特殊関数論(特に円筒関数)、オイラー--マクローリンの和公式など。A.A.マルコフとともにチェビシェフ全集の編集。 [解II.6] トップ
S.L.ソボレフ(Sergei L'vovich Sobolev), 1908.10.6-1989.1.3).
ロシア、ペテルブルグに生まれ,ソ連,レニングラードに死す.
レニングラード大学卒(1939),同大学教授(1936).N.ギュンターとV.スミルノフの下で,論文「2独立変数の偏微分方程式系の解析解」により,サンクト・ペテルブルグ大学から修士号取得(1929).1957年からソ連アカデミー・シベリア支部数学研究所長.ノボシビルスク大学でも教授.弟子にはO.ラジジェンスカヤなど.
剛体力学,数理物理学,偏微分方程式,関数解析.
ソボレフ空間,コーシー・ソボレフの公式.
[シ] トップ
トップに戻る。