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人名索引 けこ
人名索引総目次 かき く
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け 
ケイリー(Arthur Cayley, 1821.8.16-1895.1.26.)
イギリス,サリー,リッチモンドに生まれ,ケンブリッジシャー,ケンブリッジに死す.
ヨークシャーで数代続いた家系.幼年時代の8年をロシアのサンクト・ペテルブルグで過ごした後,ロンドン近くに移住.少年時計算能力を発揮,1835年キングズ・カレッジ校に進学後は数学への興味が増す.
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(1838-1842)卒業.しばらく大学に留まるが,当時強制されていた宗教行事に反発し,1846年に法律を学び始める.1849年弁護士資格を取得,法廷弁護士として働く.その間も数学の300ほどの論文を書く.弁護士修行のために行ったダブリンで,ハミルトンの講演を聞く.友人に,シルヴェスターとサーモン.
1863年ケンブリッジ大学に新設されたサドラー教授職に就き,その死まで勤める.900以上の数学論文を書く.1882年に,シルヴェスターのいたアメリカのジョンズ・ホプキンス大学を訪問.
代数幾何の基礎,不変式論(シルヴェスターとの共同研究),射影幾何,非ユークリッド幾何,群論(抽象群,乗積表(ケイリーの表と呼ばれる),同型の概念.位数8以下の群を分類),行列と行列式.ケイリー変換,ケイリー曲面,ケイリー曲線,ケイリー数,ケイリー代数,ケイリー・クラインモデル. [名11, 19, 23], [代12, 14-16, 19, コ], [天24], [ワ2, 4, 6, 8, 10] トップ
ゲイル(David Gale.)
アメリカ,カリフォルニア大学バークレイ校,数学科教授(引退).組合せ論.最適化理論,ゲーム理論. [天26] トップ
ゲッセル(Ira M. Gessel.)
アメリカ,ブランダイス大学数学科教授.MITで,R.スタンリーのもとで学位(1977). グラフ理論,組合せ論,整数論,離散数学など. [天23] トップ
ゲーテ,ヨハン・ヴォルフガング・フォン(Johann Wolfgang von Goethe, 1749.8.28--1832.3.22)
フランクフルト・アン・マインに生まれ,ヴァイマール公国に死す.
詩人,劇作家,小説家,科学者,哲学者,政治家.当時のドイツばかりでなく,歴史的にも最も影響力があった.
裕福な商家に生まれ,母方の祖父はフランクフルト市長.
幼時から多(6+1)言語を習得,現存する最古の詩は8歳時のもの.
ライプツィヒ大学入学(1765),病気のため帰郷(1768).
療養後,シュトラスブルク大学に入学(1770),卒業(1771)後.フランクフルトに戻り,弁護士事務所を開くが,文学活動を止めないため父親にヴェツラール最高裁判所へ送られる(1772.4).
ヴェツラールでのシャルロッテ・ブッフ(ロッテ)との恋と失恋後,フランクフルトに戻り,『若きヴェルツェルの悩み』を書き(1774),ヨーロッパで爆発的な名声が揚がり,文人たちとの交流が盛んになる.
ワイマールの公子カール・アウグスト公がフランクフルトを訪問し,ゲーテは公をもてなし(1774.12),後公の招きによりヴァイマールへ向かう(1775.11.7).以降,ヴァイマール宮廷で過ごし,後事実上の宰相に(1783).
主要作品は日本語にも翻訳されている.%戯曲『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』『トルクヮート・タッソー』『タウリス島のイフィゲーニエ』,
小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『親和力』,詩劇『ファウスト』,詩集『西東詩集』,随筆『イタリア紀行』『エッカーマンとの対話』など. [モ歴] トップ
ゲーデル(Kurt Godel, 1906.4.28-1978.1.14.)
オーストリア・ハンガリー帝国,ブリュン(現在はチェコ共和国,ブルノ)に生まれ,アメリカ,ニュージャージー,プリンストンに死す.
ウィーン大学で学んだ(1923-30)後,1938年までは同大学非常勤講師.師は,フルトヴェングラー,ハーン,ヴィルティンガー,メンガーなど.学生時代にセミナーでラッセルの『数理哲学入門』を読み,論理学に傾いていく.このセミナーを主催したシリックが後にナチの学生に殺されることもあって,1940年アメリカに移住.
1953年からプリンストン高級研究所教授.集合論,数理論理学,相対性理論.形式的公理系に関する不完全定理(1931)は不朽の業績.アメリカ,ニュージャージー,プリンストンに死す.選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性(1940)(ツェルメロ・フレンケルの集合論が無矛盾なら,選択公理と一般連続体仮説を加えても無矛盾であること).
晩年彼は毒を盛られていると信じこみ,それを避けるために食べることを拒み,飢えて死んだという. [パ11, 年表], [ブ50], [天15] トップ
ケーニヒスベルガー(Leo Konigsberger, 1837.10.15-1921.12.15).
ドイツ,ポ−ゼン(現在ポーランド,ポズナム)に生まれ,ドイツ,ハイデルベルクに死す.
父は裕福な商人.ポーゼンで友人となったI.L.フックスに倣いベルリン大学に入学(1857).第1学年の第1学期に,ワイエルシュトラスの楕円関数の講義を聴く.彼がこのテーマに関して講義した最初の年で,後にケーニヒスベルガーが出版した講義録には歴史的な意味も多い(1917).
ベルリン大学卒業後(1860),ベルリン士官学校で数学と物理を教える((1861-64). グライフスヴァルト大学員外教授(1864),ハイデルベルク大学数学教授(1869),ドレスデン工芸学校(1875),ウィーン大学(1877),ハイデルベルク大学数学教授(1884-1914).
楕円関数論,関数論,力学.微分方程式では,フックス,ブンゼン,キルヒホッフ,ヘルムホルツに影響を受ける.教師としての評価が高い.コヴァレフスカヤはハイデルベルク時代の弟子. [伝] トップ
ケプラー、ヨハネス(Johannes Kepler, 1571.12.27-1630.11.15).
神聖ローマ帝国ヴァイル・デル・シュタット近くのレオンベルグ(現在ドイツ領)に生まれ、バイエルン,レーゲンスベルグに死す。
神学・数学・天文学者。1577年の大彗星を見て感銘を受け、天文学に志す。チュービンゲン大学に学び(1589-1596)学位を取得するもルター教徒のゆえに神学活動できず。
グラーツのギムナジウムで数学天文学講師(1594-1596)を追われ、放浪の後、プラハのティコ・ブラーエの助手となり(1600)、その死(1601)後観測データを整理して「ルドルフ天文表」を完成(1627),ケプラーの3法則を発見。
文献
- 『宇宙の神秘』(Mysterium Cosmographicum,1596),日本語訳あり(大槻真一郎他訳、工作舎,1982)(惑星を太陽を中心とする次々と外接する正多面体に配置した.太陽中心説が公認され始める切っ掛け)
- 『新天文学』(Astronomia Nova,1609)(第1,第2法則が記載されている)
- 『屈折光学』(Dioptrice,1611)
- 『世界の調和』(De Harmonices Mundi,1612年以降):第3法則が記載される.
- 『綱要』(Epitome,1612年以降)コペルニクス天文学の紹介,全7巻.4年掛けて出版.
- 『新・ワインのたるの容積測定とすべてのものの最も適切なる形状、オーストリア初』(Nova stereometria doliorum vinariorum, in primis Austriaci, figurae omnium aptissimae, Authore Ioanne Kepplero, imp. Caes. Matthiae I. ejusq; fidd. Ordd. Austriae supra Anasum Mathematico, Lincii, Anno M.DC.XV, 1615年)
- 『ケプラーの夢』(Solemnium, 1631年)月を旅する人の話(SF).出版は死後だが20年前に書かれていた.
[解序, I.4, II.4, 文], [パ序, 3,4,6,15,19,20, 24,25], [名17, 文]
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ケーベ(Paul Koebe, 1882.2.15-1945.8.6.)
ドイツ,ルッケンヴァルトに生まれ,ライプツィッヒに死す.
ゲッティンゲン大学に学び,ライプツィッヒ大学(1910),イェーナ大学(1914),ライプツィッヒ大学(1926)教授.
主に複素関数論,とくに等角写像や保形関数の理論.リーマン面の一意化定理(1900年のすぐ後に,F.クラインとポアンカレによって認識されていた一意化定理を証明した). [代14]
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ケリー(Leroy M. Kelly.)
ミシガン州立大学数学科. [天8]
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ゲリフォント(Aleksandr Osipovich Gel'fond, 1906.10.24-1968.11.7)
ロシア,サンクト・ペテルブルグの生まれ.
モスクワ大学卒業(1927),同教授(1931).ソ連アカデミー数学研究所(1933-).第2次大戦中は海軍総司令部に.
整数論,複素関数論,積分方程式論.超越数論.ヒルベルトの第7問題(種々の数の超越性の証明),とくにヒルベルトのあげた 22を含む超越性の証明(1934). [パ附2], [名4]
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ケルヴィン卿(Lord Kelvin(=William Thomson), 1824.6.26--1907.12.17
北アイルランド,ベルファストに生まれ,スコットランド,エアーシャー,ラーグスで死す.墓所はウェストミンスター寺院にある.本名ウィリアム・トムソン.
グラスゴー大学の数学教授だった父に学び(1834), ケンブリッジ大学(1841--1845)卒業後,パリでルニョーのもとで研究し,帰国してグラスゴー大学の自然哲学教授(1846--1899)になり,イギリスで初の物理学実験室を作る.総長(1904).王立協会会長(1890--1894).ラーグスのケルヴィン男爵に叙せられ、以降ケルヴィン卿と呼ばれる.
電場と磁場の分布が弾性固体内のエネルギー分布に類似するという彼の観察(1847)はマクスウェルの電磁場理論へ発展.磁気系や電気回路のエネルギーの表式を得,電気の振動回路理論に発展(1853).
絶対温度目盛の導入(1848).熱力学の第2法則の定式化(1851).ジュール・トムソン効果の発見(1852).
地球の年齢の概算(2000万年から4億年の間;1862).
大西洋横断海底電信ケーブルの敷設(1866)の功績でナイトに叙せられ、サー・ウィリアムとなる.
絶対電位計の発明(1870).
古典的熱力学の開拓者の一人で,このほか電磁気学や流体力学などをはじめ古典物理学のほとんどの分野に600を超える論文.電磁誘導や磁気力を表すためにベクトルを使い始めた.
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ゲルウィーン(P.Gerwien, 19世紀)
ドイツの人.ファルカシュ・ボヤイと独立に等積な多角形は分割合同であること(ゲルウィーン・ボヤイの定理)を示した(1833). [天7]
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ゲルハルト・クレモナ ====> ヘラルド、クレモナの
ゲルリンク(Gerling, 19世紀). 幾何学.ガウスの弟子で,ガウスとの間に往復書簡が残っている.1818年にシュヴァイカルトの発見した非ユークリッド幾何をガウスに伝えている.多面体の補充合同に関する定理がある. [天7]
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ケレキャルト(Bella von Kerekjarto, 1898.10.1-1946.6.26.)
ハンガリー,ブダペストに生まれ,ジェンジェジュに死す.
ブダペスト大学卒業(1922)後,アメリカおよびヨーロッパ各地で活躍.一般トポロジー,連続群論,ユークリッド幾何のトポロジー的論拠,正則写像論. [ト附, 文] トップ
ケンプ(Alfred Bray Kempe, 1849.7.6-1922.4.21.)
イギリス,ケンジントンの生まれ.
ケンブリッジ大学卒業.ロンドンで弁護士をしながら,数学および力学を研究.機構論,数理論理学.J.シルヴェスターと共に反転機を製作.1879年,4色問題で最初に証明を公表(ケイリーを納得させたが,1890年にヒーウッドにより誤りを指摘される). [名19] トップ
ケンプナー(A.J.Kempner).20世紀初頭に活躍したドイツの数学者.ウェアリングの問題に貢献,16 ≦G(4) を示す(1912). [珠3.1] トップ
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こ 
コー(Chao Ko, 1910.4.12-.)
中国浙江省の生まれ.厦門大学数学科卒業後(1930),1年中学の教師をしたあと,清華大学で学位取得し(1933).南開大学助教授に.
1935年マンチェスター大学に留学,モーデルの指導を受け,発表した論文で,G.H.ハーディやエルデシュなどから認められる.重慶大学教授(1946),四川省成都の四川大学教授(1938-45,1953-),学長(1980-1984).整数論,組合せ論,代数学(2次形式,不定方程式)など.2000年7月に成都で,彼の90才の誕生日を記念した国際的な数論の集会があった.
[天22] トップ
コーエン(Paul Joseph Cohen, 1934.4.2-.)
アメリカ,ロング・ブランチの生まれ.
ブルックリン・カレッジ卒(1953).1964年以降,スタンフォード大学教授.連続体仮設問題の解決により,フィールズ賞受賞(1966).ZFS系について選択公理の独立性の証明.
[天15] トップ
コクスマ(Jurjen Ferdinand Koksma, 1904-1964). オランダの人.代数学,整数論,無理数論,超越数論,超越数の分類では,マーラーのものと並んでコクスマのものは重要.
著書に『ディオファントス近似』(Diophantische Approximationen, 1936).
[天6] トップ
コクセター(Harold Scott Macdonald Coxeter, 1907.2.9-2003.3.31.)
イギリス,ロンドンに生まれ,カナダ,トロントに死す.
ケンブリッジ大学で,H.F.ベイカーの下で学位(1931).1936年以降カナダ,トロント大学教授.2年間プリンストン大学で,O.ヴェブレンの下で仕事をする.
射影幾何,非ユークリッド幾何.多面体の理論.著書多数.1934年にすべての球面およびユークリッド・コクセター群の分類をする.
ロバート・ムーディは彼にヨーク大学の名誉学位を与える際の講演で,
「現代の科学は気まぐれやファッションに追い立てられることが多く,数学もその例外ではない.コクセターのスタイルは独特の非ファッション的なものだと言いたい.何が美しいかという深い感覚に,彼はほとんど完璧に導かれているのだと,わたしは思う.」
と語っている.
文献
- 『幾何学入門』(銀林浩訳, 明治図書, 1982). Introduction to Geometry, Wiley, 1969.
- S.グレイツァーとの共著『幾何学再入門』SMSG新数学双書 8,河出書房新社
- 『正多面体』Regular Polytopes, Pitman, 1947. 1974年に Cambridge Univ.Press から再版
[パ序], [名序, 17, 23, 文], [天8] トップ
コーシー(Augustin Louis Cauchy, 1789.8.21-1857.5.23).
パリに生まれ、(パリ近郊)ソーに死す。
エコール・ポリテクニーク(1807)と土木学校(1810)卒業.エコール・ポリテクニーク教授。少年時、革命直後のパリを避けてアーキュイユに疎開していたコーシー家を訪れたラグランジュに、指導を受ける。本格的に数学を勉強する前に古典語をみっちりと学ぶようにと忠告を受け、13才から2年間語学に没頭。
『解析学教程』(1821)など,これ以降の典型となる多くの教科書を出版.業績は幅広く,解析学,特に収束級数論,複素関数論,微分方程式論などの基礎付けなど. [解序, II.1-4, 6, 8-10, III.0-9, IV.2, 4], [パ25, 年表], [名3, 5, 15, 年表], [珠説3.9.1], [代7-8], [天7, 11, 16, ,18, 21, 23, 24, 29, 30] トップ
コストチカ(Alexandr V. Kostochka).
ロシア,ノヴォシビルスク,数学研究所でPhD(1978).L.S.メルニコフの弟子.現在はイリノイ大学アーバナ校.グラフ理論,特に彩色に関するものが多い. [天31] トップ
コストリキン(Aleksei Ivanovich Kostrikin, 1929.2.12-).
ソ連,ボルゴグラード州,ボリショイ・モルツァの生まれ.モスクワ大学卒(1952).物理・数学博士(1959),教授(1976).
代数幾何,リー代数,有限群.単純指標に対する制限バーンサイド問題の解決(1959).p単純リー代数. [代序, コ] トップ
コーツ(Roger Cotes, 1682.7.10-1716.6.5).
イギリス、レスターシャー、バービッジに生まれ、ケンブリッジシャー、ケンブリッジに死す。
ニュートンの弟子。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのフェロー。プリンキピア第2版の編集を、ニュートンと激論を戦わせながら行った。早く死んだ彼を悼んで、ニュートンは
``if he had lived we might have known something''
と言っている。 [解II.6] トップ
コッツカ(Kotska).
近年,コッツカ多項式,コッツカ係数,コッツカ数,またその一般化が盛んに論じられるようになった. [ワ7] トップ
コツィヒ(Anton Kotzig, 1919-1991).
カナダ,モントリオール大学数学統計学科教授.エルデシュ数2. [天31] トップ
コッホ(Niels Fabian Helge von Koch, 1870.1.25-1924.3.11).
スウェーデン、ストックホルムに生まれ、ストックホルムに死す。
ミッタク・レフラーの弟子で、その跡を継いでストックホルム大学教授(1911)。 コッホ曲線。リーマン予想の言い換え(π(x)=Li(x)+O(x1/2 log x))、無限変数の無限個の線形方程式系に関する業績がある。 [解III.9, IV.5] トップ
コネリー(Robert Connelly)
ニューヨーク州,イタカ,コーネル大学数学科教授.離散幾何,パッキング,被覆など.鍛冶屋のふいごの仮説の証明( I.サビトフ,A. ウォルツとともに) [天11]
トップ
コーネル(Gary Cornell).
コーネル大学,ストール校数学科教授.代数的整数論,計算機数学. [名3] トップ
コーハシ(Konstantin Petrovich Kokhas).
サンクト・ペテルブルグ大学数学力学部,数理解析講座上級講師.表現論や力学系理論に組合せ的手法を使用.「三角形をどう足すか?」という共著論文がある.『モスクワの数学ひろば』シリーズに著書『代数---対称性と数え上げ』がある. トップ
コブリッツ(Neal Koblitz, 1948-.)
ワシントン大学数学科教授.日本語の本は,シュプリンガー社から『数論アルゴリズムと楕円暗号理論入門』(櫻井幸一訳),『暗号の代数理論』(林彬訳)が出版されている. [名3, 附E, 文] トップ
コペルニクス(Nicolaus Copernuicus, 1473.2.19-1543.5.24.)
ポーランド,トルンに生まれ,ポーランド,フロムボルクに死す.
天文学者,数学者,医者,政治家.クラクフ(当時ポーランドの首都)大学,ボローニャ大学で天文学とギリシャ語を学び,パドゥア大学,フェラール大学で法律を学ぶ.またこれらの大学で,当時は医学と密接な関連があると思われていた数学を学んでいる.
フロムボルクの大聖堂を取り巻く城壁塔に30年以上住み,天文台代わりとする.1497年3月から天体観測を始め,1513年には匿名で自身の考え方を述べた『概要』(Commentariolus)を書いている.弟子のレティクスは師の説の概要(Narratio prima)を1540年に公刊し,師にも出版を強く勧めた.
コペルニクス的転回という言葉まで生んだ,宇宙体系の変更を述べた『天球の回転について』(De revolutionibus orbium coelestium, Nuremberg, 1543)の初版は,伝説によれば,彼の死の床に間に合ったとか間に合わなかったとか.おかげで,彼自身は宗教的迫害にあわずに済んだが,本の方は1616年から1822年まで,宗教裁判により禁書になった.
天動説から地動説へという表面的なことがらよりも,「天」と「地」が同じ法則に従うという考え方にこそ彼の偉大な点がある.また彼の理論を裏づけるため,三角法の発展に寄与しまたそれを促した.
コペルニクスの定理:ある円に半径が半分の円が内接しながら転がるとき,小円上の点は直線運動をする.
[パ2],[直] トップ
コラッツ(Lothar Otto Collatz, 1910-1990).
ドイツ、ヴェストファーレン、アーンズベルグに生まれ、ブルガリアに死す。
ゲッティンゲン、ミュンヘン、ベルリンに学び、R.フォン・ミーゼスのもとで学位を取得。ハノーヴァー大学教授(1943-1952)、ハンブルク大学教授(1952-1990)。国際会議出席中に客死。数値解析に関する著書多数。 [解II.9, 文] トップ
コリンズ(John Collins, 1625.5.5-1683.11.10).
イギリス、ウッド・イートン(オックスフォードの北4km)に生まれ、ロンドンに死す。
13歳の時に父が死に,働き始める.本屋の見習い(1638),裁判所の書記(1641),船員(1642)をしながら数学を独学し,1649年-1660年の間ロンドンで数学教師をする.1660年からまた職を遍歴し,1667年から王立協会の図書館員も兼ねる.
王立協会書記。バローも言うように、イギリスのメルセンヌとしての働きが重要。文通相手には,バロー,デイヴィッド・グレゴリー,ジェームズ・グレゴリー,ニュートン,ウォリス,ボレリ,ホイヘンス,ライプニッツ,チルンハウゼン,ド・スリューズがある.
テームズ上流のイシス川とエイヴォン川との間をつなぐ運河の計画が持ち上がり,1683年にオックスフォードに調査に行き,病気になる.ロンドンに帰るもそのまま回復しなかった.
[解I.3-4] トップ
コルク(Johan A.C. Kolk, 1947-.)
ユトレヒト大学卒. [天6] トップ
ゴルダン(Paul Albert Gordan, 1837.4.27-1912.12.21)
ドイツ,ブレスラウ(現在ポーランド,ブロツワフ)に生まれ,ドイツ,エルランゲンに死す.
ギーセン大学卒(1862).エルランゲン大学教授(1867).クンマーの講義に出席し,ヤコビのもとで学ぶ.彼が博士論文を指唯一導したのはエミー・ネーターだけ.
代数学,不変式論,代数幾何.双1次形式の不変式の有限性定理.eの超越性の証明の簡易化.クレプシュ・ゴルダン係数.ゴルダン・カペリ級数,
クレプシュと共著の『アーベル関数論』(1868)もよく知られている. [代17-18], [ワ2] トップ
ゴールドシュタイン(Herman Heine Goldstine, 1913.9.13-).
アメリカの数学者。コンピュータの2進法採用に関係。
日本語の本に、『計算機の歴史−パスカルからノイマンまで』(末包良太、米口肇、犬伏茂之訳)共立出版がある。 [解I.1, II.6, 文] トップ
ゴールドバッハ
(Christian Goldbach, 1690.3.18-1764.11.20. )
プロシャ,ケーニヒスベルク(現在ロシア,カリーニングラード)に生まれ,ロシア,モスクワに死す.
1725年サンクト・ペテルブルグの数学と歴史の教授となり,1728年モスクワに行き,ピョートルII世の家庭教師となる.ヨーロッパを遍歴し,多くの数学者と会う.整数論での仕事が重要で,主にオイラーとの文通の中で公表される.1724年のオイラーへの手紙の中で,有名な予想(偶数に対するもの)が述べられている. [名19, 21], [珠訳序, 2.1, 説1.0, 3.11, 文], [天10]
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ゴールトン(Sir Francis Galton, 1822.2.16--1911.1.17.)
イギリス,バーミントン州,スパークブルックに生まれ,サレイ州,Haslemereに死す.
イギリスのの人類学者・優生学者で,チャールズ・ダーウィンの従弟.
同じ祖父エラスムス・ダーウィンを持つ.
1883年に優生学(eugenics)という言葉を始めて使う.
『遺伝的天才(Hereditary Genius)』(1869).メンデルによって否定される遺伝の(ゴールトンの)法則を提唱.
統計学でも,平均回帰や相関係数の概念を提唱.指紋についても著書がある.
[伝]
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コルモゴロフ,アンドレイ・ニコラーエヴィッチ
(Andrei Nikolaevich Kolmogorov (Андрей Николаеич Колмогров), 1903.4.25-1987.10.20.)
ロシア,タンボフに生れ,ソ連,モスクワに死す.
父ニコライ・カタエフは農学者で,聖職者の息子であり,コルモゴロフ誕生時,流刑の身であった.革命後農業省の局長になったが,1919年の戦闘で死亡.
母がクリミアから故郷のトゥノーシャ(ヤロスラブリの近く)に帰る途中,タンボフで出産したが,その際に死亡する.祖父ヤーコフ・スチェパノヴィッチ・コルモゴロフの名を受け継ぎ,母の妹ヴェラ・ヤコヴレナに育てられた.
学校を卒業後,鉄道の車掌をしていたが,余暇に力学のニュートンの法則に関する論文を書く.1920年にモスクワ大学に入学するも,この時点では数学をすることからは遠く離れた状態で,数学だけでなく冶金学やロシア歴史なども広く研究した.例えば,15-16世紀のノヴゴロドにおける所有権に関する卒業論文を書いている.その論文について
「君は論文で証明を1つ与えていて,君が研究している数学ではそれで十分なんだろうが,私たち歴史家は少なくとも10の証明がある方がいいんだがね」
というジョークがある.
モスクワ大学卒(1925),後教授(1931-).物理・数学博士(1935).N.N.ルージンの弟子.
実変数関数論から始め,弟子のV.I.アーノルドと共にヒルベルトの第13問題に関係して,多変数の関数をより少ない変数に帰着する問題を解く.
優調和の理論を始め,関数の近似理論,関数解析を研究.確率論の公理的基礎付けと連続時間のマルコフ過程論.
天体力学におけるKAM(コルモゴロフ・アーノルド・モーザー)理論.トポロジーや数理統計学にも貢献.
これら以外の,コルモゴロフの数学的業績やエピソードについては来年出版予定の「モスクワ数学の黄金の日々」に詳しいので,参照して欲しい. [ワ8]
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ゴーレンシュタイン(Daniel Gorenstein, 1923.1.1-1992.8.26).
アメリカ,マサチューセッツ,ボストンに生まれ,アメリカに死す.
ハーバード大学卒(1943).S.マクレーンのもとで学び,有限群さらに代数幾何に興味を持つ.ザリスキとの代数幾何の研究で,ゴーレンシュタイン環の導入を含む学位論文(1950).クラーク大学(1951-64),コーネル大学客員教授(1958-59).ノース・イースタン大学(1964-69),ラトガース大学(1969-死).途中,プリンストン高等研究所員(1968-69).
1957年に有限群の研究に戻り,有限単純群の分類に貢献(1960-61年のシカゴ大学での「群論年」に参加:この時期にファイト・トンプソンの奇数群の可解性が解かれている).さらにJ.H.ウォルターとの共同研究と,この分野の多くの指導者(R.ブラウワー,鈴木通夫,グラハム・ヒグマン,伊藤昇,P.ホール,ウィーラントら)との交流が始まり,分類プロジェクトの全体を見渡していた役割は大きく,スティール賞を受賞(1989).
- 『有限群』Finite groups(1968)
- 『有限単純群:分類入門』Finite simple groups : an introduction to their classification(1982)
- 『標数2型の有限群の局所構造』The local structure of finite groups of characteristic 2 type(1983),Richard Lyonsと共著.
- 『有限単純群の分類』The classification of the finite simple groups(1994),Richard Lyons,Ronald Solomonと共著.
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コーン(Paul Moritz Cohn, 1924.1.8-.)
ドイツ,ハンブルクの生まれ.ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ卒(1948).博士(1951).マンチェスター大学講師(Lecturer, 1952),イェール大学客員教授(1961-62),62年の1時期はカリフォルニア大学バークレイ校に.ロンドン大学クイーン・メアリ・カレッジ講師(Readership, 1962-67).シカゴ大学(1964),ニューヨーク州立大学SB校(1965)と旅.ロンドン大学ベドフォード・カレッジ数学教授(1967).ラトガース大学(1967-68),パリ大学(1969),チュレーン大学(1971),インドのデリー工科大学(1971),アルバータ大学(1972),オタワのカールトン大学(1973),イスラエルのハイファ大学(1975),アイオワ州立大学(1978),ドイツのビーレフェルト大学(1979)と旅.
ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ数学教授(1984-89),名誉教授(1989).アルバータ大学(1986),イスラエルのラマガンのバー・イラン大学(1987)と旅.
代数学全般,特に非可換環論.マグヌスの定理の一般化(1952),擬付値,リー代数,群論,ジョルダン代数,自由イデアル環,など.著書も多い.主イデアル整域上の行列は対角化することができるが,ユークリッド環でない場合は,ガウスの方法によっては実現できないことがあることを,Q(-19)の極大整環を例として示す.
- 『リー群』 Lie groups (1957)
- 『線形方程式』 Linear equations (1958)
- 『立体幾何学』Solid geometry(1961)
- 『普遍代数学』Universal algebra (1965, 第2版1981)
- 『自由環と関係式』Free rings and their relations (1971, 第2版1985)
- 『代数学』 Algebra(I:1974, II:1977, IとIIの第2版:1980, III:1990)
- 『斜体の構成』 Skew field constructions(1977)
- 『代数的数と代数関数』 Algebraic numbers and algebraic functions(1991)
- 『基礎線形代数学』 Elements of linear algebra (1994)
- 『斜体』 Skew field(1995)
[代6, コ] トップ
コンウェイ(John Horton Conway, 1937.12.26-.)
イギリス,リヴァプールの生まれ.ケンブリッジ大学カイウス・カレッジ卒(1959).ダヴェンポートの指導で整数論に関する学位論文を書く(1964).
ケンブリッジ大学教授を経て,プリンストン大学,数学,フォン・ノイマン教授職. 有限数学,整数論,トポロジー,群論,数理論理学など.2人ゲーム,ライフゲーム,コンウェイ数,超現実数などの新しい概念のほか,3つの散在型単純群の発見など.
日本語の本に『数の本』(R.K.ガイと共著.根上生也訳,2001,シュプリンガー東京刊),『[数学]じかけのパズル&ゲーム』(E.R.バーレキャンプ,R.K.ガイと共著,小谷他訳,HBJ出版局,1992)などがある。
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ゴンチャロフ(Vasilii Leontovich Gontscharov, 1896.9.24-1955.10.30).
ロシア,キエフ(現在ウクライナ領)の生まれ.ハリコフ大学卒(1919).N.N.ベルンシュテインの弟子.ハリコフ大学教授(1925),物理・数学博士(1935).ロシア共和国教育科学アカデミー数学部門(1943-).
複素関数論,近似関数論,組み合わせ論,教授法.調和関数論のゴンチャロフの問題.
著書に『補間法および近似関数』(1934, 1954).また,『初等代数学』は教師のために書かれたもの. [解III.9] トップ
コンドルセ(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat Condorcet, 1743.9.17--1794.3.29).
フランス,リヴモンに生まれ,(パリ近くの)ブー・ラ・レーヌに死す.
ランスのイエズス学院とパリのコレージュ・ド・ナヴァールで教育を受け,パリのコレージュ・ド・マザランで学ぶ.アカデミー会員(1769),書記(1777).ヴォルテールやダランベールと親交,百科全書派の数学者としても活躍.
数学的には積分法(Essai sur le calcul integral(1765)や1772年にラグランジュが褒めている仕事がある.区分求積法の萌芽)や確率論(『多数決』の確率への解析の応用』(1785),コンドルセの逆説)など.
1772年の本の出版の後トゥルゴ(Turgot)に出会い,彼がルイ16世の財務長官になる(1774)のに伴い,造幣局長官になる.トゥルゴの失脚(1776)後も,その職に留まる(-1791).
1791年の立法議会議員となり,その後はジロンド派として活躍.理想的な公教育体制を立案,政治の混乱の中で,当初の案が実現しなかったことは人類にとって残念なことであるが,その後の公教育の在り方に決定的な役割を果たし,公教育の生みの親と言ってよい.ジャコバン派との対立により,欠席裁判で私刑判決.逃亡中に『人間精神の進歩の歴史的展望の素描』Esquisse d'un tableau historique des progres de l'esprit humain(1795)を執筆.
1794年3月逮捕され,ギロチンを避けるために獄中で服毒自殺. [伝] トップ
コーン-フォッセン(Stephan Emmanuelbur Cohn-Vossen, 1902.5.28-1936.6.25)
ポーランド,ブレスラウの生まれ.
ゲッティンゲン大学,ケルン大学で働いた後,1934年ソ連に移住し,レニングラード大学教授.微分幾何学.
日本語の本に,D.ヒルベルトとの共著『直観幾何学』(芹沢正三訳)みすず書房がある. [名序, 15, 18, 23, 文], [代コ]
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