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 人名索引 く


人名索引総目次  かき けこ

クィレングッドマングーデルマンクヌース
クネレークノップクラクライトマン
クライン、フェリクスクライン、モーリスクラヴィウスクラウゼン
クラークグラスマングラドシュテインクラードニ
クラトウスキクラメール
クリークリストッフェルA.H.クリフォードW.K.クリフォード
グリュンバウムグリボエドフグリーン
クルイロフグルサグルディンクルツヴェイル
クールノークルル
グレアムクレイングレゴリウス13世グレゴリー、聖ヴァンサンの
J.グレゴリークレプシュグレプナー
クレレクレロークレモナクローシュ
グロタンディエククロネッカークーンクンマー

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クィレン(Daniel Grey Quillen, 1940.6.27-).
 アメリカ,ニュージャージー,オレンジの生まれ.ハーバード大学卒(1961).R.ボットの下で学位取得(1964).Ph.D.論文は「線形偏微分方程式の過剰決定系の形式的性質」.
 MIT教授.研究の方向性を定めるためにフランスとイギリスに留学.それぞれグロタンディエクアティヤに強い影響を受ける.高次の代数的K理論で,1978年ヘルシンキのICMでフィールズ賞受賞.  代数トポロジー.単体的対象上のホモロジーの構成.ホモトピー論におけるアダムス予想の解決.このために2つの方法を提案.1つは代数幾何,1つの群のモデュラー表現論.群のコホモロジーと代数的K理論.セール予想(体上の多項式環上の射影加群は自由加群である)をススリンと独立に示す(1976).  [代コ]  トップ

クジミン(R.O. ({\cyrb Rodion Ocievich Kuz\cprime{}min}), 1891.11.22--1949.3.24).
 ロシア,ヴィテプスク州リャブィ村に生まれ,ソ連レニングラードに死す.ペトログラード大学卒(1916).ペルミ大学(1918--22),レニングラード工業大学(1922--49),レニングラード大学(1945--)で教授職.
 整数論,解析学.素数分布とゼータ関数論に業績.特に,代数的数α(≠ 0,1)と代数的無理数β に対し,αβが超越数であることを示した(1930).
 定評ある教科書,問題集を書き,優れた教育者でもある. トップ

グッドマン(Jakob Eli Goodman).
ニュー・ヨーク州立大学. 離散幾何学   [天9]  トップ

グーデルマン(Christoff Gudermann, 1798.3.28--1852.9.25).
ウィンナーブルクの生まれ.ゲッティンゲン大学卒(1821).ミュンスターで数学教授.ワイエルシュトラスの先生. C.ヤコビと独立に,ベキ級数展開にこだわって,楕円積分や楕円関数を研究.  [者]  トップ

クヌース、ドナルド(Donald Elvin Knuth, 1938.1.10- ).
 アメリカ,ウィスコンシン州,ミルウォーキーの生まれ.
 情報科学最大のスター。TeXの発明者。カリフォルニア工科大学教授、スタンフォード大学教授。
 日本語の本に、R.L.グレアム、O.パタシュニクとの共著『コンピュータの数学』共立出版、情報科学のバイブル『基本算法1/基礎概念、2/情報構造』、『準数値算法3/乱数、4/算術演算』サイエンス社や 『クヌース先生のドキュメント算法』共立出版がある。もちろん『TeXブック コンピュータによる組版システム』アスキー出版局など、TeX 関連の本も翻訳されている。変わり種だが、『超現実数』海鳴社という本もある。実数の公理系を見直して、新しい数系を作って見せている。無人島に漂着した男女が、石碑に書かれた不思議な文字を解読していくというものである。 [解II.5, 10, 文], [ブ50], [天50] トップ

クネレー(Knorrer). 代数幾何.代数曲線に関する教科書.[解序]トップ

クノップ、コンラート(Konrad Hermann Theodor Knopp, 1882.7.22-1957.4.20).
 ドイツ、ベルリンに生まれ、フランス、アンシーに死す。
 1901年にローザンヌ大学に学び、1907年ベルリン大学で学位。長崎で教えた後、インド、中国を旅行。1910年ドイツに帰り、画家ゲルトルート・クネスナーと結婚。 中国山東省青島(1897年よりドイツが租借中)の独中アカデミーに行く。 1911年夫妻はドイツに帰国、陸軍士官となり、第1次世界大戦で負傷する。 ベルリン大学で教え(1915)、ケーニヒスベルク大学教授(1915-)、チュービンゲン大学教授(1926-1950)で引退。
 極限概念の拡張、級数論、また複素関数論の本で有名。数学論文誌 Mathematische Zeitschriftの創刊(1918)にかかわり、長く編集に携わる(1934-1952)。  [解III.2, 文] トップ

クラ(Irwin Kra, 1937.1.5-). アメリカの数学者.ニューヨーク大学教授.関数論,群論.『保型形式とクライン群』『リーマン面』(H.ファルカシュと共著)など. [名15] トップ

クライトマン(Daniel J. Kleitman). アメリカ,ケンブリッジ,MIT数学科教授.ハーヴァード大学で,J.シュヴィンガーとR.グラウバーの下で,素粒子物理に関する問題で学位取得(1958年).グラフ理論,組合せ論,離散幾何,表現論など. [天18] トップ

クライン、フェリクス(Felix Christian Klein, 1849.4.25-1925.6.22).
 プロシャ、デュッセルドルフ(現在ドイツ領)に生まれ、ドイツ、ゲッティンゲンに死す。
 1865年ボン大学入学、J.プリュッカーに学び、3年で学位。1870年にパリでR.クレプシュS.リーに会う。普仏戦争勃発のためパリを去リ、陸軍の医事勤務につく。ゲッチンゲン大学の講師資格所得(1871)、 エルランゲン大学教授(1872)、ミュンヘン工科大学教授(1875-1880)、ライプツィヒ大学教授(1880-1886)、ゲッティンゲン大学教授(1886-1913)。
 エルランゲン大学、教授就任講演が有名なエルランゲン・プログラムで、幾何学を変換群の不変式論と捉える。E.ベルトラミの研究に基づき、非ユークリッド幾何学の無矛盾性の証明。正多面体の対称群。リーマン面の定義。保型関数論におけるポアンカレとの競争も数学史を彩るもの。クラインの壷。
 数学史・数学教育においても大きな足跡を残す。数学の研究組織のモデルをゲッティンゲンで作る。定期的な週ごとのセミナー、数学図書室と読書室の設置など。『数学年報』の編集長を40年近く勤め(1876-)、編集会議を定期的に開き民主的に決定した。
日本語に訳されているものも多く,『19世紀数学』(足立恒男+浪川幸彦監訳、石井省吾+渡辺弘訳)共立出版, 『エルランゲン・プログラム』(寺阪英孝+大西正男訳・解説)現代数学の系譜7、共立出版(1970), 『高い立場から見た初等数学』(遠山啓訳)商工出版,『正20面体と5次方程式』(関口次郎訳)シュプリンガー数学クラシックス(1997)などがある。 [解0, I.2-3, 5, II.1, 6-7, III. 6, IV.0], [名3-4, 6, 11, 13-19, 23], [代12, 14-16, コ], [ワ序, 1, 2, 8] トップ

クライン、モーリス(Morris Kline,1908.5.1-).
 ニューヨークの生まれ。ニューヨーク大学クーラント研究所名誉教授。応用数学者、数学史家、数学思想家。Archive for History of Exact Sciences誌の編集長を長く勤めた。数学教育にも関心が深く,アメリカの数学教育改革運動として有名な``New Math''運動に最初から反対する。
 文献に挙げたもの以外にも、『不確実性の数学−数学の世界の夢と現実 上下』(三村護他訳、紀伊國屋書店),『何のための数学か−数学本来の姿を求めて』(雨宮一郎訳、紀伊國屋書店),『数学教育現代化の失敗,ジョニーは何故足し算ができないか?』(柴田録治監訳,黎明書房)が日本語に訳されている。 [解序, I.2-3, 5, II.1, 6, III.7, IV.0], [ブ50] トップ

クラヴィウス(Chiristopher Clavius, 1538.3.25-1612.2.2).
 ドイツ、バンベルグに生まれ、ローマに死す。
 ローマのイエズス会に入会(1555)。天文学・数学者。コレッジョ・ロマーノ数学教授。ヨーロッパ全体に大きな影響力を持っていた。小数点を最初に使う。
 グレゴリウス13世の改暦に指導的役割。ユリウス暦の1582年10月4日の翌日をグレゴリオ暦の1582年10月15日と提案。ヨーロッパ各地で失われた11日を返せという暴動が起こり、普及するのに時間がかかった国もある(例えばイギリスは1752年)。
 『実用算術』(ローマ, 1583). [解I.6, 人] トップ

クラウゼン(Thomas Klausen, 1801.1.16-1885.5.23).
 デンマーク,シュレズビヒの生まれ. 11歳まで読書きを知らなかったが,牧師に短期間言語と数学を学び,後は独習する. 1841年にユーリエフ市(デルプト)の大学に招かれる.デルプト天文台長(1865-71).数学および理論天文学.論文はクレレ誌とペテルブルグ科学アカデミー紀要に発表. ヒポクラテスの月形のこの中心角の比が有理数の場合には,既知の5種以外には平方かできる月形がないことを予想(現在は証明されている).πの値を,小数点以下250桁まで計算(正確なのは248桁まで).   トップ

クラーク(Clarke).
 ライプニッツからの書簡が残っている.相対性,自己同一性などに対するライプニッツの考え方が記されている第3,5書簡が重要. [ワ4] トップ

グラスマン(Hermann Gunter Grassmann, 1809.4.15-1877.9.26).
 プロシャ、シュテティーン(現在ポーランド領)に生まれ、ドイツ、シュテティーンに死す。
 1831年から死ぬまでシュテティーンのギムナジウムで教鞭(間に2年だけベルリンで教える)。グラスマン代数、グラスマン座標、グラスマン多様体。エリー・カルタンに強い影響。53才のとき、数学に興味を失い、サンスクリットの研究に移行、彼のサンスクリットの辞書は今も広く普及している。  [解IV.0-2], [名23] トップ

グラドシュテイン(I.S.Gradshteyn). 関数の積分の大部の表. [解II.4] トップ

クラードニ(Ernst Florens Friedrich Chladni, 1756.11.30-1827.4.3.)  ザクセン,ヴィッテンベルクに生まれ,シレジア,ブレスラウ(現在,ポーランド,ブロツワフ)に死す.
 音響学の父として知られる.固体および気体内の音速の測定.低音管楽器の発明.隕石の起源についての著作あり.
 現在数学ではリサージュ図形と呼ばれているものは,水平な板の上に巻いた砂が振動を与えることによって図形として発見され,クラードニの図形と呼ばれた.実はそれより100年以上も前にR.フックによって発見されている. [パ:ノート,年表]  トップ

クラトウスキ(Kazimeirz Kuratowski, 1896.2.2-1980.6.18).
 ポーランド,ワルシャワの生まれ.
 グラスゴー大学,ワルシャワ大学卒業.ワルシャワ大学助教授(1921),教授(1934),ワルシャワ数学研究所長(1934).実変数関数論,数理論理学,トポロジー.閉包演算子によるトポロジーの定義を提唱.次元論,グラフ理論. [名19]   トップ

クラメール(Gabriel Cramer, 1704.7.31-1752.1.4).
 スイス、ジュネーヴに生まれ、療養のため南フランスを旅行中に(Bagnols-sur-Cezeで)死す。
 ヨハン・ベルヌーイの弟子。ジュネーヴ大学教授。 連立1次方程式のクラメールの解法(1750)。行列式、代数曲線。数学史にも熱意。ヤーコプ・ベルヌーイの全集の編集。[解文]トップ

クリー(Victor La Rue Klee, Jr., 1925.9.18-).
  アメリカ,ワシントン大学教授.トポロジー,関数解析,グラフ理論.凸性やヒルベルト空間の単位球面などに関する結果がある.美術館の警備問題を出す. [天13, 28] トップ

クリストッフェル(Elwin Bruno Christoffel, 1829.11.10-1900.3.15).
 ドイツ、モンシャウ・アーケンに生まれ、フランス、ストラスブールに死す。
 ベルリン大学でディリクレに学ぶ。ストラスブール大学教授('72-92)。微分幾何のクリストッフェルの記号など。 [解II.6] トップ

A.H.クリフォード(Alfred Hoblitzelle Clifford, 1908.7.11-1992.12.27).
 カリフォルニア工科大学で,エリック・ベルの指導の下でArithmetic of Ovaにより,Ph.D.取得.プリンストン高等研究所でワイルの助手(1936-38).MIT(1938-42),第2次大戦と朝鮮戦争の時期に従軍.ジョンズ・ホプキンス大学助教授(1945-54).トゥレーヌTulane大学教授(1955)兼ソフィー・ニューコム・カレッジ数学科長.引退後,彼の遺贈した資金でクリフォード講演が毎年開かれ,また同大学に彼を記念した数学研究用の図書館がある.
 代数学,半群理論の創始者の一人.クリフォード代数,クリフォードの半群など.[ワ2] トップ

W.K.クリフォード(William Kingdom Clifford, 1845.5.4-1879.3.3).
 イギリス、デヴォン、エクスターに生まれ、ポルトガル、マデイラ島に死す。
 幼少より才能を発揮し,15才でロンドンのキングス・カッレッジに送られ,数学だけでなく,古典学,英文学,体操に秀でる.
 18才で,ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学,数学だけでなく雄弁論でも賞を受ける.
 1870年に日蝕観測にイタリアに遠征するが,船が難破し九死に一生を得る.ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ数学力学教授(1871-79).  数学,科学哲学.(ハミルトンにより導入された)四元数quaternionの一般化をし,双4元数biquartenionと呼ぶ.リーマン面が穴の空いた箱と位相的に同値であることを示す. 運動の幾何、楕円空間の平行線、数理物理など。
 23才のとき,科学の発見についての講義を王立研究所で行う.まや,ルイス・キャロルほどではないが、童話集 The Littel Poepleも出版している。  死因は過労死らしい.マデイラ島に療養に行ったが,数ヶ月後に死ぬ.ほとんどの著書は死後に出版され,その著作集には,ニュートンコーツについて語った「彼が生きていれば,我々は何かを知り得ただろう」という引用がされた.   [名序, 20-23], [代8, 10, 15, コ], [ワ8] トップ

グリボエドフ(Alexandr Griboedov(Александр Сергеевич Грибоедов), 1795.1.15--1829.2.11).
 ロシア,モスクワに生まれ,イラン,テヘランに死す.
 外交官,劇作家,作曲家.モスクワ大学卒業(1810--1812)後,軽騎兵連隊の将校となる.1816年除隊し,外交官となる.1818年ペルシャのロシア公使の秘書官となり,後にグリジアに転任.若くから作品を書き始め,1816年には喜劇『若い夫婦』がサンクト・ペテルブルグで上演された.その後も戯曲や詩を発表し評判を得たが,詩体の喜劇『智恵の悲しみ』は大成功して,今日でも上演され続けている. 民衆から貴族階級までの実像の描写と人物造形の見事さと機知に富む台詞で知られている.現代でも諺として使われるものも多い.
 1828年に友人のチャヴチャヴァジェ王子の16歳の娘と結婚し,数ヵ月後全権大使としてテヘランに赴任直後に宗教的な暴動でロシア大使館が襲われ,3日後虐殺死体で発見された. 死体はトビリシに移され,聖ダヴィデ修道院に葬られた. 妻は夫の思い出に忠実で,求婚者を退けつつ,30年を生きた.サンクト・ペテルブルグには彼を記念したグリボエドフ運河がある.  [モ暦] トップ

グリュンバウム(Branko Gr\"unbaum, 1929.10.2-.)
 ユーゴスラビアの生まれ.ヘブライ大学でPhD取得(1957).アメリカ,ワシントン大学シアトル校数学科教授. 幾何学および組合わせ論.タイル貼り.代数幾何,凸多面体など.  [天13] トップ

グリーン(George Green, 1793-1841.3.31)
 イギリス,ノッティンガム,スネイントンに生まれ,同地に死す.
 生まれた月日は不祥であるが,7月14日に洗礼を受けている.父は製パン業.1800年に食料価格暴騰のためのイギリスで暴動が起き,グリーン家も襲われている.通常は6才で行く小学校も8才になった暴動の翌年に入学し,家業を助けるため1802年の夏に止める.なぜか当時既に数学に興味を持ち,独学して学び,彼の数学的知識が学校教育の程度を越えていることは周囲に知られていたようだ.家業は大いに繁栄し,数軒の家と土地を取得し,1807年にはその土地に16mの高さの煉瓦製の粉引き場を作り,さらに繁栄したようである.
 グリーンが当時どのような勉強をしていたかは分かっていない.が,後の1819年にケンブリッジのクイーン・カレッジの学生監になるジョン・トプリスが近くに住んでいた.彼は1814年にノッティンガムで,ラプラスの『天体力学』第1巻の英語訳を出版している人物である.グリーンがフランス語で,ラクロアポアソンビオなどのフランス人の仕事にも親しんでいただろうという推測がされている.1823年に近くにあった図書館に通うようになり,Transactions of the Royal Society of London を読んでいたと思われる.
 ある地域文化誌に寄稿した『電磁気理論への数理解析の応用』An Essay on the Application of Mathematical Analysis to the Theories of Electricity and Magnetism(1828) は読者には理解されなかったし,反響もなかった.が,この地の貴族であり,自身ケンブリッジで数学を学んだエドワード・ブルームヘッド卿の知遇を得るようになり,さらに3つの論文を書いている.2つは電磁気に関するもので卿がケンブリッジ哲学会に送付し,1833年に出版された.もう1つは流体力学で,卿がフェローだったエジンバラ王立協会誌に掲載された.
 自分の論文の価値を知らないグリーンはブルームヘッド卿の薦めにも長い間同意しなかったが,1829年の父の死後双肩に懸かっていた家業を捨て,1833年10月卿に伴われてケンブリッジに行き,卿の学んだカイウス・カレッジに入学することになる.ときに40才であり,正式ではないが妻があり,子供も6人いた.妻の父が粉ひき場の管理人だったので,家族にとっての経済問題はなかったが.
 大学では数学では問題なくトップクラスだが,ラテン語などの素養がないための苦労はした.それでもJ.シルヴェスターの2位に次いで4位でトリポス(学位試験)に合格している(1837).卒業後も大学に残り,1839年10月31日にはパース・フェローになっている.しかし,その後病を得て1840年5月にはスネイントンの実家に戻り,結局そこで死んでいる.
 業績は,さらに,引力(1833),流体の波(1837),音(1837),光(1837),光の伝播(1839)などがある.しかし,トンプソンがいなければグリーンの業績は埋もれてしまった可能性が強い.彼は1841年3月にケンブリッジの聖ペトロ・カレッジに入学し,グリーンのある論文を引用している論文を読んだ.結局1845年に学位を得るまでグリーンの論文を読むことは出来なかったが,4月に彼のコーチのホプキンスがグリーンの3つの論文のコピーをくれた.その夏パリでリウヴィルとスツルムに論文を見せた時の興奮を.その60年後に回顧する文章がある.こうして,グリーンの仕事は世界に知られるようになり,トムソンやマクスウェルの仕事に強い影響を与える.
 名前が残っている,(ベクトル解析の)グリーンの定理,グリーン関数,グリーン核などは電磁気理論,偏微分方程式論などでの基本観念である.また,ポテンシャルという概念の提案者でもある.   [代21] トップ

クルイロフ(Aleksei Nikolaevich Krylov, 1863.8.15-1945.10.26)  ロシア,シンビルスコイ(現在ウリヤーノフスカヤ),ヴィスヤーガ村に生まれ,ソ連,レニングラード(現在ロシア,サンクト・ペテルブルグ)に死す.
 A.M.リャープノフの甥.チェビシェフの弟子.海軍大学卒業後(1890),海軍兵学校と海軍大学で数学を教え、後教授(1892-).チェビシェフの積分近似式を用いた合理的な船舶理論(設計,浮揚性,安定性,強度など)を完成.また計算工学,砲術、弾道学,ジャイロスコープの理論など.天体力学の永年方程式の新解法.船舶のモデル実験用水槽や各種機器の製作.数学者の伝記,『勉強の仕方を教える』という立場での教育論,ニュートンのプリンキピアやオイラーの月の運動理論のロシア語訳など、活動は幅広い.著書に『船舶学』『近似理論』など.  [パ:ノート,モ歴] トップ

グルサ(Edouard Jean-Baptiste Goursat, 1858.5.21-1936.11.25.)
 フランス,ロー,ランザクに生まれ,パリに死す.
 エコール・ノルマル・シュペリオール卒業(1881)後,1885年までツールーズで教え,その後12年間母校に戻り,1997年から引退までパリ大学教授.解析とその応用をダルブーC.エルミートに学ぶ. 弟子のE.ピカールとジュリアとは長く協力する.
 今日単にコーシーの積分定理と言われるものは,コーシー自身は導関数の連続性も仮定していたが,グルサはその条件を除いた.グルサの問題(境界条件の特徴づけによる偏微分方程式の積分),ピンチャール・グルサの核(積分方程式),グルサの表示(重調和関数),結晶群論.
『解析学教程』全3巻(1900-10)はその後の微積分の教科書の標準となり,日本の教科書にも大きな影響を与えた. [パ13]   トップ

グルディン(Paul Guldin, 1577.6.12-1643.11.3).
 スイス、サン・ガール(現在のサンクト・ガレン)に生まれ、オーストリア、グラーツに死す。
 始めはHabakkuk Guldinという名前で、十代は金細工師として働いた。ユダヤ系だが、両親はプロテスタントであった。彼は20才のときカトリックに転向しイエズス会修道院に入る。このときPaulと名前を変えた。
 1609年にイエズス会のローマ学院に送られ、クラヴィウスのもとで学ぶ。後、ローマとグラーツのイエズス会学院で教える。1623年からグラーツに帰る1637年まで、ウィーン大学数学教授。ケプラーと文通するも、宗教に関することだけ。
 業績は4巻にまとまっており、重心の問題、特に地球の重心について、回転体の体積、円錐、円柱、転がる物体など。 [解II.4] トップ

クルツヴェイル、ヤロスラフ(Jaroslav Kurzweil).
 チェコスロヴァキアの数学者。アカデミーの数学研究所教授。微分方程式論の一般化のためクルツヴェイル積分を導入。 [解III.5] トップ

クールノー(Antoine Augustin Cournot, 1801.8.28-1877.3.31).
 フランス,オート=ソーヌ県,グレイに生まれ,パリに死す.哲学者で数学者.数理経済学の始祖.
 コレージュ・ド・グレイ(1809-1816)卒業後,4年間弁護士事務所で働く.ラプラスの本を読み,彼と文通をして,大学に入る決心をする.ブザンソンのコレージュ・ロワイヤル(1820-21),エコール・ノルマル・シュペリオール(1821-)に入学するも閉校となり,パリに留まり,ソルボンヌでラクロアアシェットに数学を学ぶ.1823年に 講師となり,1829年に剛体の運動に関する論文で学位.ポアソンに気に入られ,1833年にパリ・アカデミーに職を得る.ジョン・ハーシェルの天文学の教科書をフランス語に翻訳(1834).ポアソンの推薦でリヨン大学の新設の解析学教授に(1834).1835年にはグルノーブル大学の数学教授,後学長.1838年に公教育視学官,『富の理論の数学的原理に関する研究』Recherches sur les principes mathematiques de la theorie des richessesを発表,需要と供給の関数,市場の概念を導入,数理経済学を論じた.
 ポアソンとコンドルセと同様,確率論を統計学に適用する.亡くなる年にはほとんど目が見えなくなっていた.   [伝8] トップ

クルル(Wolfgang Krull, 1899.8.26-1971.4.12.)  ドイツ,バーデンバーデンに生まれ,ボンに死す.
 ゲッティンゲン大学でF.クラインのもとで学ぶがエミー・ネーターに強い影響を受ける.フライブルグ大学,エルランゲン大学,ボン大学で教鞭.
 代数学,とくに環論,体の拡大理論.無限次拡大のガロア理論(1928),ネーター環の理論を一般の可換環論に発展.クルル次元.クルル・レマクシュミットの定理.  [代15] トップ

グレアム(Ronald Lewis Graham, 1935.10.31-).
 アメリカ,カリフォルニア州,タフトの生まれ.カリフォルニア大学バークレイ校でPhD取得(1935).ニュー・ジャージー州マレイ・ヒル,ベル研究所ルーセント・テクノロジー.主にグラフ理論.
 エルデシュとの交流やジャグリングする数学者としても有名.  日本語の本に、D.クヌース、O.パタシュニクとの共著『コンピュータの数学』共立出版、 [天2, 8] トップ

クレイン(Daniel A. Klain).
 マサチューセッツ大学ローウェル校.凸幾何学,積分幾何,組合せ論.[天20] トップ

グレゴリウス13世(Gregorius XIII, 1502.1.1-1585.4.10).
 ボローニャ大学法律学教授、駐スペイン教皇特使枢機卿(1565)を経て、ローマ教皇(1572-85)。反宗教改革や教会内部の改革運動を推進した。クラヴィウスの進言により、ユリウス暦をグレゴリウス暦に改める(1582.2.24)。
 インド・日本の布教に尽力し、大友・大村・有馬諸侯の遣欧使節を接見(1585)。コレッジョ・ロマーノ(ローマ学院)とグレゴリウス大学をローマに設立。 [解I.6], [パ1, 年表] トップ

グレゴリー、聖ヴァンサンの(Gregory of St.Vincent=Gregorius Saint-Vincent, 1584.9.8-1667.1.27).
 ベルギー、ブルッヘに生まれ、ゲントに死す。
 イエズス会士。ローマでクラヴィウスに学ぶ。アントワープ、ルーベン、プラハ大学教授。ゲントのイエズス会学院教授。1260ページを越す主著の中には多くの話題があり、特に円の平方化の方法(本質的には積分)や1/xの幾何的な積分から対数を与える。 [解I.3, II.4, 文] トップ

グレゴリー、ジェームズ(James Gregory, 1638.11-1675.10).
 スコットランド、アバディーンに生まれ、エディンバラに死す。
 パドゥア大学に行き、イタリアの数学者、特にステファノ・デリ・アンジェリやメンゴーリの影響を受け、無限級数の重要性を認識する。収束無限級数を用いて円や双曲線の面積を求める。エディンバラの聖アンドリューズ大学教授(1668)。グレゴリー式反射望遠鏡(2枚の凹面鏡で反射させる形式)の考案(1663)。グレゴリーの級数(逆正接関数の)。級数の「収束」という用語の使い始め。 [解I.3-5, II.4, III.7, 文], [パ:ノート, 年表], [名2] トップ

クレプシュ(Rudolf Friedrich Alfred Clebsch, 1833.1.19-1872.11.7. )
 ドイツ,ケーニヒスベルク(現在,ロシア,カリーニングラード)に生まれ,ドイツ,ゲッティンゲンに死す.
 Mathematische Annalenの創始者の一人.不変式論,射影幾何学(への不変式論の応用).代数幾何(アーベルのアプローチに戻る).代数曲線の種数を導入.弟子のマックス・ネーターやブリルがその代数曲線の研究を受け継ぐ.
 クレプシュ・ゴルダンの係数.変分法のクレプシュ条件.クレプシュ変換.ゴルダンと共著の『アーベル関数論』(1868)もよく知られている. [代17-18], [ワ2]  トップ

グレプナー(Wolfgang Grobner, 1899-1980).
 オーストリア領(現在はスイス)南チロル、ゴッセンサスに生まれ、オーストリア、インスブルックに死す。
 カトリック教会と訣別し、ローマで数学(絶対的に真である唯一のもの)を学ぶ。第2次大戦後、インスブルック大学教授(-1970)。カリスマ的な教師で、多くの弟子を育てる。積分表、代数幾何、行列論、物理学の数学的方法、微分方程式などの書籍多数。グレプナー基底で有名になる.[解II.4] トップ

クレモナ(Antonio Luigi Gaudenzio Giuseppe Cremona, 1830.12.7-1903.6.10. )  ロンバルディ,パヴィア(現在イタリア領)に生まれ,ローマに死す.
 イタリア幾何学派の創始者.ボローニャ,ミラノ,ローマの大学に務める.
 代数幾何,とくに3次元曲面論.クレモナ変換.  [ワ2] トップ

クレレ(August Leopold Crelle, 1780.3.11-1855.10.6).
 ドイツ、Eichwerder(Wriezenの近く)に生まれ、ベルリンに死す。
『クレレ数学雑誌』を創刊(1826)。アーベルなど若い数学者を庇護。道路計画や、ドイツ初の鉄道建設に従事。 [解III.5, 文], [名人] トップ

クレロー(Alexis Claude Clairaut, 1713.5.7-1765.5.17.)
 フランス、パリに生まれ、パリに死す。  数学者を父(ジャン・バチスト・クレロー)とする早熟の天才。 10才でロピタルの微積分の本を読み、13才で4次の代数曲線に関する論文を科学アカデミーで読み上げ、特別に年齢制限を免除されて18才でパリ科学アカデミーの会員となる。ニュートンの自然哲学を支援するモーペルテュイのグループに属する。
 1736,37年に、地球の子午線を測る科学アカデミーのラップランド遠征隊に参加する。1743年には流体静力学に基づいて、地球の形状(極の方が平らになった球)であることを示しており、その中でポテンシャル論を用いている。
 シャトレ侯爵夫人のプリンキピアのフランス語訳の手助けをし、月の運動について数学的な解明をする。1759年のハリー彗星の接近のときには近日点を計算した。ハリーは1758年に彗星が戻ってくると予言していたが,木星と土星の引力のせいで遅れ,クレローは618日の遅れであるという計算をした.
 三体問題を始め、数学の広い分野の業績がある。空間の解析幾何学の確立、クレローの微分方程式。多変数関数の全微分の概念を作り、微分方程式の一般解と特異解の考え方を導入、線形微分方程式の可積分条件を定め、任意の偶関数のフーリエ展開を与えた。オイラーに先駆したものも多い。
 また、数学教育の改善運動の一環として書かれた、『代数学』(パリ,1746)や初等幾何学のすぐれた教科書は版を重ねている。  [解人], [パ19, 年表] トップ

グレン(Oliver Edmunds Glenn)  ペンシルヴァニア大学でPh.D.取得(1905), 同教授(1910-28). 有限群論.   [ワ8] トップ

クローシュ(Aleksandr Gennadievich Kurosh, 1908.1.19-1971.5.18).
 ロシア,スモレンスク州,ヤルツェヴォに生まれ,ロシア,モスクワに死す.
 1924年,16才でスモレンスク大学に入学し,アレキサンドロフの指導を受け,28年から大学院で指導を受ける.時に,E.ネーターがモスクワ大学に来て抽象代数の講義をし,それをアレキサンドルフが聴き,帰ってスモレンスクで行った講義をクローシュが聞くことになり,それが代数学への興味を形成したと,後に自身が語っている.
 1929年にモスクワ大学に移動していたアレキサンドルフの助手になり,トポロジーの論文を書く.しかし興味はすでに代数に移っており,O.シュミットの群論のセミナーに参加する.助手(1930),講師(1932),教授(1937).1936年4月22日に無限群に関する研究で学位.1929年にモスクワ大学に創られた高等代数学講座教授に,O.シュミットの後を継いで,1949年に就き,死ぬまでその職にあった.
 群論に関する最初の論文は郡の直積分解に関するもの(1932).自由群,群の自由積の部分群の特徴づけ.クローシュ部分群.
 群,環,体の抽象代数的一般論の定式化とテキストの作成.『群論』の第2版(1952)は,無限群に力点をおいた,現代代数学的な群の理論の教科書として有名で,1955年には英訳され(日本語訳は1961年),世界的に定評がある.群論ばかりでなく他の代数系も取り扱った『代数学教程』(1959)も英語ばかりでなく日本語にも訳されている.
 そのほか,ソ連での圏の理論の推進者でもあった.
 数学教育上,線形代数と多項式代数とを分けて教えるべきだと主張.   [代コ]  トップ

グロタンディエク(Alexander Grothendieck, 1928.3.28-).
 ドイツ,ベルリンの生まれ.父はロシア人でナチに殺される.1944年オランダのゲットーから救出されたとき,栄養失調で,自分の名前も覚えていなかったと言う.オランダ人のグロタンディエクが養子にし,アレキサンダーと名づけた.彼の申請に対し,国際連合は世界市民のパスポートを与える.
 モンペリエ大学卒業後,エコール・ノルマル(1948-49).ナンシー大学(1949-)ではJ.デュドネと関数解析を研究.ブルバキに参加.1953年以降,ブラジル,アメリカなど世界各地を移動し,1959-70年はフランスのIHES教授.興味も代数トポロジーや代数幾何に移る.多くの弟子を育て,IHESを代数幾何のメッカにした.その後もフランスの各地,特に引退時は母校のモンペリエ大学(1973-1988).
 幾何,数論,トポロジー,複素解析を統一することをテーマとし,強力な道具,環境づくりをした.1960年にはスキーム(代数多様体の構造層を,ベキ零元を許し,座標環も1を持つ任意の可換環を許すように拡張したもの)の概念を導入し,ヴェイユ予想を解く.数理論理学との関連も深いトポス理論.リーマンロッホの定理の代数的証明.曲線の基本群の代数的定義.導来関手としての層コホモロジー,エタール・コホモロジー,L関数のコホモロジー解釈,クリスタル・コホモロジーなど.関数解析では位相ベクトル空間のテンソル積,核型空間の研究.
 平和主義者としても先鋭的な活動家である.  [代コ] トップ

クロネッカー(Leopold Kronecker, 1823.12.7-1891.12.29).
 プロシャ、リーグニッツ(現在ポーランド領)に生まれ、ドイツ、ベルリンに死す。
 ベルリン大学教授。クンマーによって数学に導かれ、ベルリンでディリクレの指導で学位論文を書く。主たる業績は方程式論、代数的数論、楕円関数論。信念の人。好みに合わない数学を手ひどく非難する。カントールの集合論への敵対者として有名。
  「神は整数を作り給い、その他は人の技である。」
という言葉で知られるが、数学は有限の数、有限の操作のみを扱うべきだという強い思いを持っていた。その思想はポアンカレブラウエルなどの直観主義に受け継がれる。 [解III.1], [名1-2, 4], [代コ], [ワ1, 7, 8, 9] トップ

クーン(Stephen W.Kuhn). テネシー大学チャタヌーガ校に勤務。 [解III.6, 文] トップ

クンマー(Ernst Eduard Kummer, 1810.1.29-1893.5.14.)
 プロシャ,ブランデンブルグ,ソラウに生まれ,ドイツ,ベルリンに死す.
 ディリクレの後任としてベルリン大学教授(1855-1883).フェルマの最終定理を解決する(n <=100に対しては証明した)ため,理想数を導入。イデアルの概念を導入して,整数に関する結果を他の整域に拡大.ガウスの超幾何級数の理論を発展させ,微分方程式に応用. クンマー拡大.  [解人], [名3, 6] トップ


  
  
  
  
  

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