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ベァドン(Alan F. Beardon)
ケンブリッジ大学数学教室準教授(リーダー).古典解析,保型関数.双曲幾何と離散群. [名序, 文] トップへ
ペアノ、ジュゼッペ(Giuseppe Peano, 1858.8.27-1932.4.20).
イタリア、ピエモンテ、クーネオの北、テット・ガラントに生まれ、トリノに死す。
1880年卒業と同時にトリノ大学助手、私講師(1884)、無限小解析の助教授(1890)、正教授(1895-1931)。王立士官学校教授(1886-1990)。数学・論理学者。記号論理学の創始者。自然数論、選択公理。ペアノの公理、ペアノ曲線。
彼の考案した記号には、∪∩∀∃など。∈⊃ 等は εを使ったり、C をひっくり返したりしたものを使った。空集合や全体集合の記号も作ったが、使われていない。
彼自身最大の業績と考えた『数学公式集』全5巻はほとんどの分野の定理と公式を含み、歴史的注も詳しく、素晴らしいものだったが、彼自身の考案した表記法で書かれ、初心者には難しかった。それでも初版(1895)から4版まではフランス語で書かれていたが、5版(1908)は彼自身の発明である国際言語Interlingua(これを作ったのは1903年)で書かれていたので、後の影響力はなかった。
エピソードを一つ。1894年にフランスの科学アカデミーにある写真家が猫の落下の写真を示し、背中から落とされた猫が回転して着地するのは角運動量保存法則に反するのではないかという議論を起こし、新聞にも載り、大衆的な話題になったことがあった。ペアノは大衆を喜ばす解答をした。「猫は背中が上を向くよう体を回すだけ、その尻尾を反対側に回す。」
ペアノの公理については日本語の訳『ペアノ 数の概念について』(小野勝次・梅沢敏郎訳・解説)現代数学の系譜2共立出版を参照。 [解0, IV.0-5, 文] トップへ
ベイカー,アラン(Alan Baker, 1939.8.19-.)
イギリス,ロンドンの生まれ.
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学位(1964),フェローの後1974年に教授.1970年ニースの国際数学者会議でフィールズ賞受賞,数論,特にディオファントス方程式の研究で.ヒルベルトの第7問題の解決.超越数論.
日本語に訳されているものに『初等整数論講義』(片山孝次訳)サイエンス社(1992)がある. [珠訳序, 文] トップへ
ベイリー(David Harold Bailey, 1948--.)
アメリカ,ユタ州の生まれ.
ユタ州,プロヴォにあるブリガム・ヤング大学で修士(1972),スタンフォード大学で,D.オルンシュタインの下でエルゴード理論で博士の学位(1976).防衛関係の計算機部門などで働いたあと,現在バークレイのローレンス国立研究所の主任技術者.多くの賞を得ている.πの計算競争にも参加,1986年にはCRAY2で2936万桁の計算(ボールウェイン兄弟の公式(4次の収束)を利用).また,2進数におけるπの任意桁を計算可能にするBBPアルゴリズムの式(ベイリー=P.ボールウェイン=プラウフの公式)を発見した(1995).
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ベズー(Etienne Bezout, 1739.3.31-1783.9.27.)
フランス,ネムーラに生まれ,バス・ロージュ(フォンテーヌブローの近く)に死す.
士官候補生学校(1763-),王宮砲兵学校(1768-)で試験官になり,義務として書いた教科書『数学教程』Cours complet de mathematiques a l'usage de marine et de l'artillerie(1770完成)は広く読まれ,長年エコール・ポリテクニクの入試のための必須参考書になっていた.
連立1次方程式のクラメールの解法を発見(クラメールはそれを一般化した)(『代数方程式の一般論』1779).高次連立方程式の解の個数に関するベズーの定理の証明(結果そのものはマクローリンが述べていた). [パ附2, ノート, 年表] トップへ
ベックマン(Petr Beckman, 1924-.)
チェコスロヴァキア,プラハの生まれ.第2次大戦後アメリカに移住.
日本語の本に『πの歴史』(田尾陽一, 清水韶光訳,蒼樹書房,1973)がある.
[名2, 文] トップへ
ヘッセ(Ludwig Otto Hesse, 1811.4.22-1874.8.4).
ドイツ、ケーニヒスベルク(現在はロシア、カリーニングラード)に生まれ、ミュンヘンに死す。
ケーニヒスベルク大学でC.ヤコビに学ぶ。卒業後同大学講師(1840-56)。ハイデルヘルク大学(1856-68)、ミュンヘン工科大学(1856-)。解析幾何,射影幾何,線形代数,代数関数論、変分法.
消去法、ヘッシアン(1842)。 [解IV.4, 文], [名19] トップへ
ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel, 1784.7.22-1846.3.17.)
ブランデンブルク(現在ドイツ領)、ミンデンに生まれ、プロシャ、ケーニヒスベルク(現在ロシア領、カリーニングラード)に死す。

ケーニヒスベルク大学教授(1810-)。同地にプロシャのフリードリヒ・ウィルヘルム3世の新しい天文台長を勤める(1800-)。
1607年以来のデータに基づき、ハリー彗星の軌道の計算(20才のとき)。50000以上の星の位置と本当の(見掛けのではない)運動を決定する。
三体問題の研究のため、ベッセル関数を導入し(1817)、惑星の摂動の研究のためにベッセル関数の理論を深めた(1824)。 [解人], [パ25, 年表], [名人] トップへ
ベッティ(Enrico Bett, 1823,10.21--1892.8.11.)
トスカナ(現在イタリア),ピストーイアに生まれ,イタリア王国,ピサ,ソイアナに死す.
ピサ大学卒,数学の学位取得後(1846),助手.イタリア独立戦争に参加.
1849年にピストーイアに戻り中学校教師に.1854年にフィレンツェに移ってまた中学校教師.1857年ピサ大学高等代数学教授に.翌年,F.ブリオスキ,カソラティとともにゲッティンゲン,ベルリン,パリに遊学.特にリーマンと知己になる.
1859年にピサ大学に戻り,解析と高等幾何学教授に.
1862年に,新しく統一されたイタリアの国会議員となる.
1863年にリーマンがイタリアを訪れ,友情が固くなるとともに強い数学的影響を受ける.
ピサ大学学長を1期努め,1864年にピサの高等師範学校の校長となり,死ぬまでその職にあった.
ガロアの仕事の理論化,そこで犯した失敗はすべての群拡大が分解すると仮定したことから起きた.
1871年に書いたトポロジーの本で,ベッティ数を定義(名前はポアンカレが命名).
[伝] トップへ
ヘラルド、クレモナの=ゲルハルト・クレモナ(Gherald(=Gerald) of Cremona = Gerhard Cremona = Gerardus Cremonensis, 1114-1187).
イタリア、クレモナに生まれ、スペイン、トレドに死す。
当時トレドの図書館には大量のイスラムの写本があって、本格的な翻訳の学校があった。
プトレマイオスの『アルマゲスト』のラテン語訳はなく、それを読むためアラビア語を学びにトレドに行った。
『アルマゲスト』とユークリッドの『原論』をアラビア語からラテン語に翻訳したが、それらはそれ以前にもなくはなかったギリシャ語からの翻訳より受け入れられた。
サインの用語は彼の翻訳によるという説もある(チェスターのロバートの項参照)。 [解I.1] トップへ
ベルグレン(J. Lennart Berggren.)
カナダ,バーナビー,サイモン・フレイザー大学,
数学統計学教室教授.数学史. [名2, 文] トップへ
ヘルグロッツ(Gustav Herglotz, 1881.2.2-1953.3.23.)
ライプツィッヒ大学,ゲッティンゲン大学に勤務.
関数論,演算子法,微分幾何,整数論,天体力学,電気理論.双曲型作用素に対するラキュナについて,ペトロフスキーの結果を拡張.ヘルグロッツの定理(正の定符号数列の積分表示).ヘルグロッツの定理(円内で正の実部を持つ関数に対する積分表示).
[天19] トップへ
ベルジェ(Marcel Berger, 1927-.) パリの生まれ.
フランス国立科学研究センター(CNRS)教授(1974-1985, 1994-),
IHES所長(1985-1994).リーマン幾何学,ピンチング定理.
著書も多く,いくつかの数学雑誌や数学シリーズの主編集者も勤めている.
[名序, 17, 文] トップへ
ヘルシュタイン(Israel Nathan Herstein, 1923.3.28-1988.2.9)
ポーランド,ルブリンに生れ,アメリカ,イリノイ州,シカゴに死す.
家族でカナダに移民し,マニトバ大学,トロント大学,インディアナ大学で学び,M.ツォルンの下で学位(1948).シカゴ大学教授.抽象代数学,特に群環体の可換性の条件や,有限部分群などに興味.各種の代数学の教科書でも有名.
[天4] トップへ
ヘルダー(Otto Ludwig Holder,1859.12.22-1937.8.29).
ドイツ、シュトゥットガルトに生まれ、ライプツィッヒに死す。
ザクセン科学アカデミー会員。
1877年ベルリン大学に学び、1882年チュービンゲン大学で学位を得る。
1884年ゲッティンゲン大学講師、フーリエ級数の収束を研究し、ヘルダーの不等式を発見。チュービンゲン大学に就職しようとするが、精神的な問題で挫折。主としてライプツィッヒに住む。
群論。ジョルダン・ヘルダーの組成列。ヘルダーの不等式。調和関数論のヘルダー条件。 [解IV.1, 4, 文], [代序, 9-10, 16] トップへ
ベルトラミ(Eugenio Beltrami, 1835.11.16-1899.6.4.)
オーストリア帝国,ロンバルディ,クレモナ(現在イタリア領)に生まれ,ローマに死す.
パヴィア大学(1853-56),後ミラノ大学で学ぶ.F.ブリオスキの弟子.ボローニャ大学,ローマ大学,ピサ大学,パヴィア大学で働く.微分幾何学.特に,ロバチェフスキーとJ.ボヤイの非ユークリッド幾何への論理的疑念を,負定曲率曲面がその実現になっていることを示すことによって晴らした.リーマン幾何との関係を示し,さらに高次元の定曲率多様体を調べる.ベルトラミ作用素.光学,熱力学,弾性体,電磁気など.
[解人], [名人], [代人] トップへ
ベルトラン(Joseph Louis Francois Bertrand, 1822.3.11-1900.4.3.)
フランス,パリに生まれ,パリに死す.
エコール・ポリテクニク卒(1839).エコール・ポリテクニク(1856-),エコール・ノルマル,コレージュ・ド・フランス(1862-)の教授.1878年で一旦教えるのは止めたが,8年後にまた教えはじめる.
数論,確率論,微分幾何など.ベルトランの仮説(1845,証明はチェビシェフ(1850)による).ベルトランの逆説(1888年の確率論の教科書で述べた).ガウスの『誤差論,最小自乗法』のフランス語訳.著書も多く,語り口は魅力的だが,誤りもあり厳密さに欠ける点があった. [解人], [名人], [珠説2.2.5], [天2, 3] トップへ
ベルヌーイ、ダニエル I(Daniel Bernoulli I, 1700.2.8-1782.3.17).
オランダ、グローニンゲンに生まれ、スイス、バーゼルに死す。
ヨハン・ベルヌーイIの息子。兄ニコライとともにペテルブルグ・アカデミーへ(1725)、後から来たオイラーと協力(1727)。バーゼル大学教授(1733)。流体力学のベルヌーイの原理。ド・モアヴル・ラプラスの極限定理の証明.誤差論に正規分布を導入.フィボナッチ数列の一般項に対するビネの公式を既に示していたという. [解II.7], [黄5] トップへ
ベルヌーイ、ヤーコプ I(Jakob(= Jacques) Bernoulli I, 1654.12.27-1705.8.16).
スイス、バーゼルに生まれ、バーゼルに死す。
父の意志に反して神学から数学に。フランス、オランダ、イギリスを歴訪、ボイルやフックに会う。バーゼル大学数学教授(1687-死)。パリ、ベルリン学士院会員。微積分以外では、確率論の大数の法則。ベルヌーイ分布、ベルヌーイの微分方程式、ベルヌーイのレムニスケート、ベルヌーイ数。 [解I.1-2, 4-5, II.1-2, 4, 6-7, 10, IV.3, 文], [パ30, 附2], [天19, 32] トップへ
ベルヌーイ、ヨハン I(Johann(=Jean, John) Bernoulli I, 1667.7.27-1748.1.1).
スイス、バーゼルに生まれ、バーゼルに死す。
ヤーコプ・ベルヌーイIの弟。始め、商人、医者をめざしたが、兄ヤーコプが彼に数学を教え、ライプニッツを学ぶようになる。グローニンゲン大学教授(1695)。兄の死後、バーゼル大学教授。兄より解いた問題の数は多い。
彼の講義をまとめたロピタルの教科書が史上初の微積分の教科書である.
[解I.3, 5, II.1-10, III.3, 6, 文], [パ序, 12-13, 15, 25, 年表], [名2] トップへ
ベルヌーイ、ヨハン II(Johann(=Jean, John) Bernoulli II, 1710.5.28-1790.7.17).
スイス、バーゼルに生まれ、バーゼルに死す。
ヨハン・ベルヌーイIの息子。法律を志すが数学に転じ、バーゼル大学教授。主に熱と光の理論。 [解II.7] トップへ
ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz, 1821.8.31-1894.9.8).
ドイツ,ポツダムに生まれ、ベルリンに死す。
ベルリンの軍医学校を1843年に卒業後,ポツダムの連隊に配属されるが余暇のすべてを研究にささげる.
物理学の基本原理から生理学を基礎付けたいと願う.
ケーニヒスベクル大学生理学教授(1849),ボン大学の解剖学・生理学教授(1855),ハイデルベルク大学教授(1858),ベルリン大学物理学教授(1871).主要な業績は数理物理学と音響学.音楽理論の附録としてフーリエ級数を使用.また1842年に熱力学の第1法則に関する論文.完全流体の運動(1858).1866年頃から興味が生理学からほとんど離れ,物理学に向かう.
1867年から非ユークリッド空間の性質の研究に興味を持ち,リーマン計量の研究に進み,後のS.リーの研究に影響.ヘルムホルツ・リーの定理,ヘルムホルツ方程式など.
[代序, 17, コ] トップへ
ベルンシュタイン(Felix Bernstein, 1878.2.24-1956.12.3).
ドイツ,ハレの生まれ.ハレ大学卒業.G.カントールの弟子.ゲッティンゲン大学教授.1933年にアメリカに移住.
集合論,関数論,確率論,数理統計学.
集合の濃度に関するカントール・ベルンシュタインの定理.
[天15] トップへ
ベルンシュテイン(Sergei Natanovich Bernstein, 1880.3.5-1968.10.26).
ウクライナ、オデッサに生まれ、ソビエト連邦、モスクワに死す。
18才で高校卒業後、パリに行き、ソルボンヌに入学。その間ゲッティンゲンにも通う。
1904年にソルボンヌで学位(楕円型偏微分方程式の解は存在領域上で解析的であることの証明(ヒルベルトの第19問題))を取得。
ロシアでは外国の学位を認めなかったので、改めてハリコフ大学で学位のために、非線型楕円型方程式に対するディリクレ問題の解析解の研究をし、1913年に2つ目の学位を得る。ハリコフ大学(1907-1932)、レニングラード大学(1933-1943)、モスクワ大学(1943-)。
7年間チェビシェフ全集の編集をし、その中で関数の最良近似の理論、ベルンシュタインの多項式が生まれる。ベルンシュテインの不等式、完全単調関数のベルンシュテインの定理、極小曲面のベルンシュテインの定理(R3 の中で、R2のグラフである極小曲面は R2に限る)。また、確率論の公理化にも努力。大数の法則の一般化として中心極限定理のリャープノフ条件の一般化,確率過程,マルコフ過程.
[解III.9]] トップへ
ペロー、クロード(Claude Perrault, 1613.9.25-1688.10.9).
パリに生まれる。
フランス科学アカデミーの初代会員の一人。医師・解剖学者・建築家・翻訳家。パリ大学で医師資格を得る(1639)。1660年より建築家になり、パリ天文台、ルーブル宮の東の破風面などを手掛ける。
御伽話の収集家のシャルル・ペロー(1628.1.13-1703.5.15)の兄。
パリでライプニッツにトラクトリックスを決定する問題を与える. [解II.7] トップへ
ヘロドトス(Herodotus, 紀元前485年頃-紀元前425年頃)
小アジア,ハリカナッソスの生まれ.ペルシャ戦争後,諸国を遍歴し,見聞をまとめて『歴史』9巻を書く.ヨーロッパの現存する最古の歴史書であり,「歴史の父」と呼ばれる..ギリシャの神々の意志を表に出し物語風に描く.「エジプトはナイルの賜物」など名句が多く,古代エジプトに関する彼の叙述が後の知識の基礎になってしまい,多くのものが失われることにもなった.
ピラミッドが王の墓であるというのも,彼の推測によるもの.[パ9] トップへ
ヘロン,アレクサンドリアの(Heron of Alexandria, 65年頃-125年頃.)
(恐らく)エジプト,アレクサンドリアの生まれ.没地は不明.数学者,物理学者,力学者,発明家.
『測量術 Metrica』の第1巻には,三角形,四辺形,3から12までの正多角形の面積と,円錐,円柱,プリズム,ピラミッド,球面の表面積を扱っている. バビロニア人には2000年も前から知られている,平方根を近似する方法も与えられ,三角形の面積を辺の長さで表すヘロンの公式も与えられている.
第2巻には,球,円錐,円柱,プリズム,ピラミッド,円錐台,角錐台などの体積が,第3巻には与えられた比で,面積や体積を分割する方法が扱われている.
『照準儀 Dioptra 』では,経緯儀と直交座標を使った測量(術)が扱われている.月蝕の時刻の差を使って,ローマとアレクサンドリアの距離を求める方法を与えている.
『Catoptrica 』では,鏡を扱い,光の研究により,光線が目に入るから物が見えるのだと述べている.光速度は無限大と考えていた.
力学に関する論文も多い.重いものを持ち上げる方法や簡単な機械的な機構を述べている.
聖水の自動販売機(コインを使う),エオリピルという蒸気機械(蒸気の力を回転運動に変える最初のもの),数々の水時計,里程器などの発明.それらの100を超えるデザインを載せた著作『Pneumatica 』もある.
[パ9] トップへ
ペロン(Oskar Perron, 1880.5.7-1975.2.22).
ドイツ、プファルツ、フランケンタールに生まれ、ミュンヘンに死す。
ミュンヘン大学に入学し(1898)、プリングスハイムとリンデマンに強い影響を受ける。ハイデルベルク大学(1914-22)、ミュンヘン大学教授(1922-51)を退職後も80才まで教え、その後も18編の論文を書く。関数解析、積分論、ポテンシャル論。連分数論.ペロン・フロベニウスの定理。登山家でもある。 [解I.6, III.5, 文] トップへ
ペンローズ(Roger Penrose, 1931.8.8-.)
イギリス,エセックス,コルチェスターの生まれ.
ケンブリッジ大学でW.V.D.ホッジに師事.後J.トッドに学ぶ.ロンドン大学卒業(1952)ケンブリッジ大学で博士号取得(1957).オックスフォード大学ラウズ・ボール教授職(1973-).
一般相対性理論,重力理論.ホーキング・ペンローズの定理(1964).特異性の定理(重力崩壊がある程度進むと特異点が避けられない),「宇宙のセンサーシップ」仮説,「ツウィスター・モデル」
周期的な図形を持たない平面の敷き詰め(ペンローズ・タイリング).意識の科学にも貢献.
[パ, ノート, 年表] トップへ
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