Human Indexes of my Books on Mathematics; e o in Japanese TOSM三重のホーム
『解析教程』.『微分トポロジー講義』. 『数理解析のパイオニアたち』. 『数学名所案内』. 『数論の3つの真珠』. 『代数学とは何か』.
『黄金分割』. 『天書の証明』. 『数学の最先端 21世紀への挑戦3』 『シンメトリー』 『微分のはなし』 『古典群:不変式と表現』 『直線と曲線 ハンディブック』
『数学者列伝』 『面積・体積・トポロジー』 『微分のはなし』 『積分と微分のはなし』


 人名索引 えお


人名索引総目次  あい 
エアリーエヴァンス
エウクレイデスエウデモスエウドクソス
エネストロームエラトステネスエリゴーン
エールステッドエルストロットエルデシュエルミート
エレグァルシュエンゲル
オーアオイラーオザナムオストログラツキー
オストロフスキーオスカル2世オドムオートレッド
オバーンオフォードオマル・ハイヤームオーム
オルークオルデンブルグオレーム

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エアリー(George Biddell Airy, 1801.7.27--1892.1.2.)
 イギリス,ノーサンバーランド,アルンウィックに生まれ,イギリス,グリニッジに死す.
 天文学者,地球物理学者.ケンブリッジ大学卒,数学教授(1828).王立天文台長(1835--81).グリニッジ天文台の再構成,グリニッジ標準時の決定.炭坑の中の重力測定から地球の質量を決定.
 エアリー関数 [伝]   トップ

エヴァンス(Trevor Evans) アメリカ,アトランタ,エモリー大学数学・計算機学科教授.組合せ論.   [伝]    トップ

エウクレイデス、アレキサンドリアの ===> ユークリッド

エウデモス、ロードスの (Eudemus of Rhodes,紀元前 350頃-290頃.)
)  ギリシャ,ロードス島の生まれ.最初の主要な数学史家と考えられている.シンプリキオスによれば,ダマスがエウデモスの伝記を書いたということだが,その伝記の痕跡は残っていない.
 ボエトスという名の兄弟がいたことと,アリストテレスに学んだことは知られているが,それ以外には何にも知られていない..アリストテレスがアッソスにいたときに学んだという説が有力である.死の直前にアリストテレスが後継者としてレスボスのテオフラストスを選んだため,アテネを離れ,故郷のロードス島に戻って一派をなしたものらしい.アリストテレスの有名な著書『エウデモス』は彼とは別人のキプロスのエウデモスという哲学者にちなむもの.アリストテレスの倫理学の講義をまとめた『エウデモス倫理学』で有名.
 プロクロスによれば『角について』という数学書を書いたというが現存していない.数学史に関しては『算術の歴史』(ポルフュリオスの文章の中に引用があるだけ),『幾何学の歴史』,『天文学の歴史』というそれぞれ2冊以上からなる著書がある.
 ユークリッド以前のギリシャ数学の歴史についてはこの『幾何学の歴史』が原典であるものが多い.例えば,ヒポクラテスの月形の求積は,後世この書からの抜書きによって今日知られているだけである.この書が失われたのはパッポス以前だという説もあるが,ハイベルグは,パッポスとエウトキオスはこの『幾何の歴史』を開きながら著述をしたと主張している.
 『天文学の歴史』も後に多く引用されて重要.この書も失われたが,この書からの引用によって,タレスの日食の予言や,天体のエウドクソスの同心球系理論が今日に知られるのである(シンプリキオス参照).また,アナクシマンドロスが,天体が相対的に同じ位置にあること,地球が宇宙の中心を動くこと,月は太陽の光を反射して光ること,月食の説明,(夏冬)至点の間の時間と(春秋)点の間の時間が異なることを発見した,という記述もこの本にある.
 それら以外にも多くの仕事がある.アリストテレスの仕事の多くは,彼のとった講義ノートからの再現によって残った.アリストテレスの『物理学』を注釈したシンプリキオスはエウデモスのノートを参考にしたという.また論理学に関する著書,ロードス島の動物に関するもの,民話を集めたもの,神学史の著書も多い.  トップ

エウドクソス、クニドスの (Eudoxus of Cnidus、紀元前 408頃-355頃.)
 小アジア、クニドス(現在トルコ領)に生まれ,同地に死す.
 アルキュタスに数学を学び,プラトンのアカデミアで雄弁術と哲学を学ぶ.数学者,天文学者,医者,地理学者,雄弁家.エジプトに1年の旅をした後,クニドスでアカデミアと競う学校を作る.
 太陽中心の惑星の運動論(同心球形).本質的に現代の無理数論と同等な,通約(不)可能性に関する比例論(ユークリッド『原論』の5,6,12は彼の説を整理したものと言う).取り尽くし法を完成し,それを用いて角錐の体積を決定.  トップ

エネストローム(Gustav Enestr\"om, 1852.9.5--1923.6.10.)
 スウェーデン,ノールの生まれ. ウプサラ大学卒(1870).スウェーデン最大の図書館長. 数学史,数理統計.オイラーを初め膨大な数学史資料を収集.  [伝] トップ

エッジワース(Maria Edgeworth, 1767--1849.)
 19世紀アイルランドの女流小説家. ハミルトンと交友.
 [伝] トップ

エラトステネス,キュレネの(Eratosthenes of Cyrene, 紀元前276-紀元前196頃.)
 北アフリカ,キュレネ(現在リビア,シャハット)に生まれ,エジプト,アレキサンドリアに死す.父はアグラオス.
 キュレネ,アテネで学ぶ.アルキメデスへの書簡が最近までベイルートの聖ヨセフ大学の図書館にあったが紛失した.しかし写真は残っている.
 プトレマイオス1世から4世まで仕える.アレキサンドリアの図書館(ムセイオンと呼ばれるミューズの神殿の中にあった)の第3代館長(紀元前245-紀元前204,ゼノドトスの死後引き継ぐ).あらゆる学問に通暁していたといわれる.主著は『プラトニクス』Platonicusプラトン哲学の基礎にある数学を論じたもの)と『地理学』Geographike.年代学,天文学,文献学,哲学,音楽,数学,数理地理学.
 素数を求めるためのエラトステネスの篩.倍積問題(体積が倍の立方体の作図問題)を解くため機械的な道具を作る. 子午線の円弧,太陽までの距離と月までの距離を測定.ナイルの氾濫の理由の解明. [珠説2.2.6, 3.11, 文] トップ

エリゴーン、ピエール(Pierre Herigone, 1580-1643).
 フランスに生まれ、パリに死す。元バスクの人で、パリで教師をしていたこと以外ほとんど分かっていない。
 業績としてはフランス語とラテン語で書いた6巻本の初等数学の概説書『数学教程』(Cursus mathematicus) があり、数学記号や論理記号を一通り考案したのだが、現在はどれも使われていない。しかし、記号表現を貫徹したことで種々の定理を簡潔に表現できることを示した功績は大きい。 タルターリアとは独立に、組み合わせの数(2項係数)を正確に与えた。 1642年の上記書の『補足』では、フェルマの最大最小値を求める方法の普及に貢献した。
 当時重要な問題であった経度決定の方法について、懸賞に応募したJ.B.モラン(1583.2.23-1656.11.6)の月の運動から経度を決定する方法が実用的かどうかを判定する委員会に、エチエンヌ・パスカル(1588.5.2-1651.9.24)、ミドルジュ(1585-1647.7)らとともに参加し、モランとの論争に巻き込まれる。 トップ

エールステッド(Hans Christian Oersted, 1777.8.14--1851.3.9.)
 デンマーク,ランゲランド島,ルードコーヴィングに生まれ,コペンハーゲンに死す. コペンハーゲン大学卒業,後教授.物理学者で化学者.電流の磁化作用の発見,流体や気体の圧縮性の研究,アルミニウムの分離に成功. [伝] トップ

エルストロット(J\"urgen Elstrodt).
 ドイツ,ミュンスター,ミュンスター大学数学研究所.解析学,数論. [天19] トップ

エルデシュ、 Paul Erdos(1913.3.26-1996.9.20).
 ハンガリー,ブダペストに生まれ,ポーランド,ワルシャワに死す.
 ブダペスト大学学卒業.ハンガリー以外の2つの国の大学で同時に学ぶ.ナチズムのこともあるが,世界各地の大学に勤めたり,放浪の旅をしながら,行く先々の数学者と共同研究をする.直接共同論文を書いた人がエルデシュ数1を持ち,エルデシュ数 n の人と共同研究をするとn+1のエルデシュ数が得られる,という数学者の間のジョークがある.ジョークではあっても,少ないエルデシュ数を持ちたいと思う数学者は少なくない.
 エルデシュがいない今,エルデシュ数1の数は増えない.しかし,その人たちが生きている以上,エルデシュ数が2の数学者の数は増えるかも知れない. それらのエルデシュ数を管理するプロジェクトがある.そのホームページに行けば,年代順のリストもアルファベット順のリストも見ることができる.
 数論,集合論,確率論,解析学,グラフ理論など.ベルトランの公準や素数定理の初等的解法で有名.美しい証明に厭くことなき執念を持つ.よい定理には美しく自然で簡明な証明が必ずある.それは『天書The Book』に書かれている,というのが口癖だったという.その天書で自分に見える部分を書こうというアイデアを実現している途中で死んだので,アイグナーツィーグラーが遺志をついで完成したのが『天書の証明』(Proof of The Book) である.
 最近伝記が日本語に翻訳された.
文献(エルデシュの論文は山ほどある.僕の著訳書の中で触れられているものだけにしておく)
  1. チェビシェフの定理の証明」(Beweis eines Satzes von Tschebyschef), Acta Sci. Math. (Szeged) 5(1930-32), 194-198.
  2. シルヴェスターシューアの定理」(A theorem of Sylvester and Schur), J. London Math. Soc. 9 (1934), 282-288.
  3. 「幾何学における1つの組み合わせ問題」(A combinatorial problem in geometry), Compositio Math. (1935), 463-470. G. シェッカーズと共著.
  4. 「級数 Σ 1/p について」(\"Uber die Reihe Σ 1/p ), Mathematica, Zutphen B, 7 (1938), 1-2.
  5. 「実根しか持たない多項式について」(On polynomials with only real roots), Annals Math. 40 (1939), 537-548. T.グリュンワルドと共著.
  6. 「問題4065 --- 3点共線性」(Problem 4065 --- Three point collinearity), Amer. Math. Monthly, 51 (1944), 169-171.
  7. リトルウッドオフォードの補題について」(On a lemma of Littlewood and Offord), Bulletin Amer. Math. Soc. 51 (1945), 898-902.
  8. 「グラフ理論におけるいくつかの注意」(Some remarks on the theory of graphs), Bulletin Amer. Math. Soc., 53 (1947), 292-294.
  9. 「ある組み合わせの問題」(On a combinatorial problem), Proc. Kon. Ned. Akad. Wetensch., 51 (1948), 1277-1279. N. G. ド・ブリュインと共著.
  10. 「素数定理の初等的な証明に導く初等整数論の新しい方法について」(On a new method in elementary number theory which leads to an elementary proof of the prime number theorem), Proc. Nat. Acad. Sci. U.S.A., 35 (1949), 374-384.
  11. ディオファントス方程式について」(On a diophantine equation), J. London Math. Soc. }{\bf 26} (1951), 176-178.
  12. 「グラフ理論と確率」(Graph theory and probability), Canadian J. Math., 11 (1959), 34-38.
  13. 「ランダムグラフの発展」(On the evolution of random graphs), Magyar Tud. Akad. Mat. Kut. Int. K\"ozl., 5 (1960), 17-61. A.レニイと共著.
  14. 「有限集合の系に対する交差定理」(Intersection theorems for systems of finite sets), Quart. J.\ Math. (Oxford), Ser. (2), 12 (1961), 313-320. C.コー,R. ラドーと共著.
  15. 「ある組み合わせ問題 I」(On a combinatorial problem I), Nordisk Math. Tidskrift, 11 (1963), 5-10.
  16. 「連続体仮説に関連した補間問題」(An interpolation problem associated with the continuum hypothesis), Michigan Math. J. 11 (1964), 9-10.
  17. 「グラフ理論のある問題について」{On a problem of graph theory, Studia Sci. Math. Hungar. 1 (1966), 215-235. A. レニイ,V. ソスと共著.
  18. トゥラーンのグラフ定理について」(On the graph theorem of Tur'an)(ハンガリー語), Math. Fiz. Lapok, 21 (1970), 249-251.
  19. 「交差数問題」(Crossing number problems), Amer. Math. Monthly, 80(1973), 52-58. R. K.ガイと共著.
  20. 「グラフにおける選択可能性」(Choosability in graphs), Proc. West Coast Conference on Combinatorics, Graph Theory and Computing, Congressus Numerantium, 26 (1979), 125-157. A. L. ルービン,H. テイラーと共著.
  21. 「d次元ユークリッド空間における n 点の間の最大角」(The greatest angle among n points in the d-dimensional Euclidean space), Annals of Discrete Mathematics 17 (1983), 275-283. Z. フュレディと共著.
 [珠訳序,2.3, 説2.2.4-5],[天0,1,2,3,8,9,13, 15-18, 21,22, 26,27,29, 31,32] トップ

エルミート、シャルル(Charles Hermite, 1822.12.24-1901.1.14).
 フランス、ロレーヌ、ディユーズに生まれ、パリに死す。
 右足が不自由なためにエコール・ポリテクニクを中退するも、後に母校で教えるようになり(1848-76)、さらにエコール・ノルマル(1869)、ソルボンヌの教授(1870)。
 e が超越数であることの証明(1873)、楕円関数を5次方程式に応用。2次形式の整数論。エルミート多項式、エルミート微分方程式、エルミート内積、エルミート行列、エルミート形式など名前を冠した数学的対象も多い。中学生のとき、アーベルの業績を知らずに、5次方程式の不可解性を証明したという。[解II. 5-6], [名2, 4], [代10, 15, 17-19], [天6] トップ

エレグァルシュ(Yves Hellegouarch).
 フランス,カン大学, SDAD(離散構造とディオファントス解析)教授.フェルマ曲線と楕円曲線の関連を指摘し,フェルマの最終定理解決への道筋をつける.  [名3] トップ

エンゲル(Friedrich Engel, 1861.12.26-1941.9.29.)
 ドイツ,ルガウに生まれ,ギーセンに死す. ライプツィヒ大学とベルリン大学に学び,ライプツィヒから接触変換に関する研究で学位(1883).ライプツィヒでF.クラインに学び,彼の推薦で,S.リーに協力すべくクリスチャニアに赴く.後クラインの後任となったリーとの協力はライプツィヒ大学でも継続する.グラスヴァルド大学教授(1904),ギーセン大学教授(1913-31).非ユークリッド幾何学.ロバチェフスキーの理論の翻訳と普及.微分幾何学,連続群論.離散群,偏微分方程式,プァッフ方程式.リー・エンゲルの定理.
 著書にリーとの共著『変換群論 全3巻』Theorie der Transformationsgruppen (1888-93) があり,非ユークリッド幾何学の歴史に関する2冊の本をP.シュテッケルとともに書く.リーの全集(6巻,1922-1937)とグラスマン全集の編集.  [代コ], [ワ2, 8] トップ
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オーア,オイシュタイン (Oystein Ore, 1899.10.7-1968.8.13)
 ノルウェー,オスロの生まれ.オスロ大学卒業(1924),同大学教授(1926-28).アメリカに渡り,エール大学教授(1929-45).その後ノルウェーに帰る.数理論理学,グラフ理論(4色問題),トポロジー,代数学,整数論,数学史.
 日本語の本には『やさしくくわしいグラフ理論入門』(大石泰彦訳)日本評論社(1993),『アーベルの生涯−数学に燃える青春の彷徨』(辻雄一訳)東京図書(1974),『カルダノの生涯−悪徳数学者の栄光と悲惨』(安藤洋美訳)東京図書(1978)がある.ドーヴァー版の『アルス・マグナ』に前書き.  [名8] トップ

オイラー、レオンハルト(Leonhard Euler, 1707.4.15-1783.9.18).
 スイス、バーゼルに生まれ、ロシア、サンクト・ペテルブルグに死す。
 ヨハン・ベルヌーイの弟子。ペテルブルグ(27-41)、ベルリン(41-66)、ペテルブルグ(66-83)のアカデミーに。66年に全盲となるも、死ぬまで活発な研究を続ける。朴訥な人柄で、子供は13人。赤ん坊を抱え、子供を足元で遊ばせながら数学をしたと言われている。天王星の軌道計算の途中,孫を呼びにやり,お茶をすすりながら話をしているとき、突然「死ぬよ」と周りに告げ,穏やかに「生きることと,計算することを止めた」という。
 数学史上最大の多作家。解析学,代数学,整数論,確率論,複素関数論,変分法.ケーニヒスベルクの橋を一筆書きする問題や凸多面体の面・辺・頂点の数の関係式(オイラー標数)で、グラフ理論とトポロジーの祖となる。オイラー類,オイラー定数,オイラー方程式.
 天文学(日蝕の計算,月の新理論),航海学(船のローリングやピッチングの理論),流体動力学(気球の飛行計算),屈折光学(レンズの理論).
 フランスの物理学者アラゴー(1786.2.26-1853.10.2)は、オイラーを「解析学の化身」と称え、
 「人が息をするように、鷲が空を舞うように、オイラーは計算をした」
と言っている。

文献
  1. 『同じ種類の無限の曲線についての論文への補遺』( Additamentum ad dissertationem de infinitis curvis eiusdem generis), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』7(1734/5), 1740, p.184-200.『全集』22, p.57-75. オイラーの例では y2=ax のようにパラメータを含んで、無限個の曲線を1度に表わし、a に関して微分も積分もできるという状況を表わしている。それは本書の程度を越えているが、変数を括弧に入れた関数の記号 f(x) の初出文献として引用されている。
  2. 『同じ種類の無限の曲線、または同じ種類の無限の曲線に関する方程式を見つける方法について』( De infinitis curvis eiusdem generis seu methodus inveniendi aequationes pro infinitis curvis eiusdem generis),『ペテルブルグ・アカデミー紀要』7(1734/5), p.174-179, 180-183. 『全集』7, p.36-56.
  3. 『級数の和に関する普遍的な方法再論』(Methodus universalis series summandi ulterius promota), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』8(1736), p.147-158.『全集』24, p.124-137.
  4. 『力学、または解析的科学によって記述された運動、その補遺と注釈』(Mechanica, sive motus scientia analytice exposita: instar supplementi ad commentar), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』(1736). 『全集』Ser.2, vol.I-II.
  5. 『円の求積を数で近似する色々な方法』(De variis modis circuli quadraturam numeris proxime exprimendi), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』9(1737), p.222-236.『全集』14, p.245-259.
  6. 『連分数論』(De fractionbus continuis dissertatio), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』9(1737), p.98-137.『全集』14, p.187-215.
  7. 『2乗の逆数の和』(De summis serierum reciprocarum), 『ペテルブルグ・アカデミー紀要』7(1734/5), 1740, p.123-134.『全集』14, p.73-86.
  8. 『自然数のベキの逆数の級数の和について、また同じ和がまったく異なった源から導かれることについての論文』(De summis serierum reciprocarum ex potestatibus numerorum naturalium ortarum dissertatio altera in qua eaedem summationes ex fonte maxime diverso derivantur), Miscellanea Berolinensia, 7(1743), p.172-192.『全集』14, p.138-155.
  9. 『高次の微分方程式の積分について』(De integratione aequationum differentialium altiorum graduum), Miscellanea Berolinensia, 7(1743), p.173-242.『全集』22, p.108-149. またオイラーからヨハン・ベルヌーイへの1739年9月15日の手紙も参照のこと。
  10. 『発明の方法』 (Methodus inveniendi)(1744).
  11. 『最大または最小を持つ曲線を見つける方法、または広い意味で理解される等周問題の解法』(Methodus inveniendi lineas curvas maximi minimive proprietate gaudentes sive solutio problematis isoperimetrici latissimo sensu accepti), Lausannae & Genevae(1744),『全集』(カラテオドリの序文あり)24, p.1-308.
  12. 『無限解析入門』(Introductio in analysin infinitorum), 第1巻, Lausanne 1748, 『全集』8. 仏訳(1785,1796)、独訳(1788,1885)、英訳(ブラントン訳,1988)
  13. 『楕円の求長に関する検討』(Animadversiones in rectificationem ellipsis), Opuscula varii argumenti, 2(1750), p.121-166;『全集』20. p.21-55.
  14. 『高次の微分方程式の方法再論』(Methodus aequationes differentiales altiorum graduum integrandi ulterius promota), 『新・ペテルブルグ・アカデミー紀要』3(1750), p.3-35;『全集』22, p.181-213.
  15. 『負の数と虚数の対数に関するライプニッツ氏とベルヌーイ氏の論争について』(De la controverse entre Mrs. Leibniz et Bernoulli sur les logarithmes des nombres negatifs et imaginaires),『ベルリン科学アカデミー会報』5(1751), p.139-179. 『全集』17. p.195-232.
  16. 『微分法、およびその有限解析と級数論への応用』(Institutiones calculi differentialis cum eius vsu in analysi finitorum ac doctrina serierum),『ペテルブルグ・アカデミー紀要』(1755)。『全集』10
  17. 『流体の運動の一般原理』(Principes generaux du mouvement des fluides),『ベルリン科学アカデミー会報』11 (1755), p.274-315; 『全集』第II集12, p.54-91.
  18. 『積分法 I』(Institutionum Calculi Integralis), 第1巻(1768)。『全集』11
  19. 『積分法 II』(Institutionum Calculi Integralis), 第2巻(1769)。『全集』12
  20. 『2重積分の公式について』(De formulis integrabilius duplicatis),『新・ペテルブルグ・アカデミー紀要』14 (1769):I,1770, p.72-103;『全集』17. p.289-315.
  21. 『代数の完全入門』(Vollstandige Anleitung zur Algebra), von Hrn. Leonhard Euler, St. Petersburg, gedruckt bey der Kays. Acad. der Wissenshaften, 1770.『全集』1.
  22. 『全集』(Opera omnia), 4シリーズで80巻以上。数学の業績は第 I 集の中にある。Teubner出版社、ライプツィッヒとベルリン、後に Fussli出版社、チューリヒ。
 [解文, I.0-6, II.1-2, 4-10, III.0, 3, 7-8, IV.4-5, 文], [パ4, 21-22, 24], [名序, 1-3, 5-6, 15-19, 21, 附E], [ト序, 6, 文], [珠訳序, 2.2, 説1.5-7, 3.2.1-3, 3.11],[代2-3, 8, 11, 15, 17, 19, 21-22],[黄5],[天1,2,6,7,8,10,11,19,27,32],[ワ11] トップ

オザナム、ジャック(Jacques Ozanam, 1640-1717.4.3).
 フランス、ブレス、ブーリニューに生まれ、パリに死す。
 父親に聖職につくよう強要され神学を学ぶも、数学と科学に惹かれ独学し、父の死後、神学を学ぶのを止め数学の教師となる。リヨンで教えているときは貧乏教師だったが、パリに出て大いに成功した。
 レクリエーション数学の元祖として、『数学と物理的レクリエーション』4巻(1694)は版を重ね、今日にいたるまで、面白い数学に関する本の種本になっている。そのほか、解析学、地図製作、軍事技術などに関する本も書いている。

16枚の絵札を並べて、各行と各列にスーツも絵柄も1つずつになるように並べなさい。
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オストログラツキー(Mikhail Vasilevich Ostrogradski, 1801.9.24--1862.1.1.).
 ウクライナ,パシェンナヤ(現在ポルタヴァ州)に生まれ,ポルタヴァに死す.
 ポルタヴァの中学,ハリコフ大学で学ぶも,反宗教的な立場のせいで大学の卒業を認められず,パリに留学.帰国(1828)後,ペテルブルグに定住し,海軍兵学校,運輸技術大学,高等工業学校,高等師範学校で教える.ブニャコフスキーチェビシェフとともにペテルブルグ学派の創始者.
 微積分法,解析力学,代数学,幾何学,確率論,整数論,数理物理学,微分方程式,弾道学など.体積分を境界の面積分に変えるガウス・オストログラツキーの公式.熱伝導のフーリエの方程式を底面が直角2等辺三角形である角柱の場合に解く.  [伝] トップ

オストロフスキー(Alexander Markovich Ostrowski, 1893.9.25-1986.11.20).
 ウクライナ,キエフに生まれ,スイス,ルガノ,モンタニョーラに死す.
 父がキエフの商人であったので,小学校の後,キエフの商業学校に入る.彼が15才のとき,数学教師が彼の才能を認め,キエフ大学のグラーヴェ(1863.9.6-1939.12.19)に紹介し,そのセミナーの正式なメンバーとなる.グラーヴェの指導の下,ガロア体に関する結果を得る.商業学校卒業後,グラーヴェの強い推薦にも拘らず,大学に進学することができなかった.そこで,ランダウとヘンゼルに手紙を書き,双方からドイツへの招待を受ける.ヘンゼルの招きを受け,1912年マールブルグ大学に入学,ヘンゼルの指導を受ける.順調に行っていたが,第1次世界大戦が勃発,敵性外国人とみなされる.ヘンゼルの奔走により,追放は免れたが,行動は制限され,図書館の利用だけが許される.戦争の間,図書館で数学雑誌を読みふけり,これが却って良かったと,後になって書いている.
 1918年に終戦になり,ドイツ各地を巡り,ゲッティンゲンに至る.  F.クラインヒルベルト,ランダウの影響を受け,学位を取得(1922).Mathematische Zeitschrift に載った学位論文はヒルベルトの第18問題を解く基になる.
 1920年ハンブルク大学でへッケの助手になり,多項式環上の加群について研究.1922年に教授資格を得,23年からゲッティンゲンで講義資格を得る.ロックフェラー奨学生になって,192-26年にはイギリス各地の大学を訪れる.バーゼル大学教授(1929-58)になるまでゲッティンゲンを再訪せず.
 第2次大戦中は中立国のスイスにいたお蔭で,あまり辛いことはなかったが,ドイツの出版社とはうまくいかず,そのためバーゼルの出版社であるBirkhauser社と関係を持つことになり,後に同社が世界有数の数学書出版社になる原因になる.
 1949年にユングの弟子で精神分析家のマーガレット・サクスと結婚.夫人の内助よろしく,その後は穏やかに,そして数学に専心したと言う.
 業績は多く,記録されるべき出版物だけでも275ほどある.量だけでなく,幅も広く,質も高い.代数学(固有値の近似解,ガロア理論),整数論(ウェアリングの問題,ディオファントス方程式),実関数論,微分方程式,函数解析,関数論(共形写像),幾何学,トポロジー,変分法,数値解析など. [代7] トップ

オスカル2世(Oskar II, 1829.1.21--1907.)
 スウェーデン王(在位:1872--1907),ノルウェー王(在位:1872--1905).スウェーデン・ノルウェー併合期(1814--1905)の王で,数学を学び,新設のアクタ誌を後援. 60歳の誕生日(1889.1.21)を記念し,4つのテーマに関する数学の懸賞コンテストを行う.ミッタク・レフラーが企画し,審査委員は他にC.エルミートワイエルシュトラス.審査委員に選ばれなかったクロネッカーが不満を表明.最優秀論文にポアンカレが受賞. [伝]   トップ

オドム(George Odom).
 黄金比の作図が知られている. [黄7]   トップ

オートレッド、ウィリアム(William Oughtred, 1574.3.5-1660.6.30).
 イギリス、バッキンガムシャー、イートンに生まれ、サレイ、アルバニーに死す。
 イートン校からケンブリッジのキングズ・カレッジに(1592)、3年後フェローになり、3年後B.A.を、4年後(1600)M.A.を取得する。1603年以降監督教会の牧師となり、1610年以降アルバニーの教区牧師となる。当時イートンやケンブリッジでも数学を教えることが少なく、独学で勉強する。
 計算尺の発明(1630,1632)で有名(現在の形の計算尺は1850年、フランスの陸軍士官アメデー・マンハイムの設計による)。 現在の加減乗の記号、小数、比例の記号、不等号などの工夫、特に掛け算の × は現在でもそのまま用いられている。円周率ではなく円周そのものにだが、π を使用する。 弟子に、ジョン・ウォリスクリストファー・レン、リチャード・デラメインなど。
ニュートンが「彼の判断は信頼がおける」と評したという.
文献
  1. 『数学の鍵』(Clavius mathematicae, ロンドン,1631).
  2. 『算術と規則』 (Arithmeticae in numeris et institutio, ロンドン,1631).
  3. 『円周率と水準器』 (The cirles of proportion and horizontal instrument, ロンドン,1632){この訳は自信ない}
  4. 『三角法』 (Trigonometrica, 1657).
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オバーン(T. H. O'Beirne).
 数学パズルの本『パズルとパラドクス』(1965)で有名. [天20] トップ

オフォード(Albert Cyril Offord).
 ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学科名誉教授.整数論.リトルウッド,またエルデシュとの共同研究.  [天18] トップ

オーム(Georg Simon Ohm, 1789.3.16--1854.7.6).
 バヴァリア(現在ドイツ領),エルランゲンに生まれ,ドイツ,バヴァリア,ミュンヘンに死す.
 エルランゲン大学で学位(1811)取得後,私講師に.バンベルグの学校教師(1812-1817),ケルンのイエズス会ギムナジウム教師(1817-1825)のときの弟子にディリクレがいる.ニュールンベルク工科大学物理学教授(1833),ミュンヘン大学物理学員外教授(1849),後正教授(1952).
 抵抗の概念を発見,オームの法則.ドイツでは長く彼の著作の数学的厳密性が理解されず,不遇だった. 『ガルヴァニーニ電池Die Galvanische Kette』(1827).   [列] トップ  

オルーク(Joseph O'Rourke).
 アメリカ,マサチューセッツ,ノーサンプトン,スミス・カレッジ,計算機科学科教授.計算幾何学. [天28] トップ

オルデンブルグ(Henry Oldenburg, 1618頃-1677).
 ブレーメン生まれのドイツ人。1653年外交官としてロンドンへ。ボイルに強く影響を受ける。王立協会幹事として、国内外の科学者と文通。Philosophical Transactions を創刊・編集して、ロンドンを中心とする国際的科学情報網を確立する。[解文], [パ1, 6, 8] トップ

オレーム、ニコル(Nicole Oresme=Nicole d' Oresme, 1323頃-1382.7.11).
 フランス、ノルマンディー、アルマーニュに生まれ、リジューに死す。
 ナヴァル学寮長、後リジューの司教。アリストテレスの翻訳。スコラ哲学者。
 デカルトより前に座標幾何を導入し、関数のグラフの概念を述べた本を出版。この本は100年以上も何度も再版され、デカルトが影響を受けた可能性がある。 コペルニクスより200年も前に地動説を唱えているが、晩年にはアリストテレスに回帰している。 分数の指数を初めて使い、無限級数を扱った。光の反射、光の速度など光の性質を論じた。

文献
  1. 『比例の比例について』 (De proportionibus proportionum), 1360頃.
  2. 『比例算法』 (Algorismus proportionum).
  3. 『形相の緯度について』 (Tractatus de latitudinibus formarum), 1482-1515の間に4回版を重ねたことが知られている.次の著書の要約.
  4. 『動力と測定の図形化について』 (Tractatus de figuratione potentiarum et mensurarum).
[解III.2] トップ


  
  
  
  
  

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