TOSM三重のホーム
『解析教程』.『微分トポロジー講義』.
『数理解析のパイオニアたち』.
『数学名所案内』.
『数論の3つの真珠』.
『代数学とは何か』.
『黄金分割』.
『天書の証明』.
『数学の最先端 21世紀への挑戦3』
『シンメトリー』
『微分のはなし』
『古典群:不変式と表現』
『直線と曲線 ハンディブック』
『数学者列伝』
『面積・体積・トポロジー』
『微分のはなし』
『積分と微分のはなし』
人名索引 う
人名索引総目次
あい えお
トップへ
う 
ヴァイスバッハ(Bernulf Weissbach).
ドイツ,オットー・フォン・グェリッケ工科大学. [天14] トップ
ヴァシッチ(Petar M. Vasic).
ユーゴスラヴィア,電気工学研究所,教授. [天16] トップ
ヴァゾニュイ(Andrew Vazsonyi).
エルデシュが若いときからのハンガリーの友達.エルデシュ数は1. [天[21] トップ
ヴァリニョン、ピエール(Pierre Varignon, 1654-1722.12.23).
フランス、ノルマンディー、カーンに生まれ、パリに死す。
カーン大学でMAを受け(1682)、翌年聖職者に。ユークリッドとデカルトの幾何学を読み、数学に。パリ、コレージュ・マザラン数学教授(1688)、コレージュ・ロワイヤルの数学教授(1704)。ベルヌーイのフランスでの親友と呼ばれる。ライプニッツ流の微積分学をフランス・科学アカデミー(1688年に会員に)に定着。力の平行四辺形、力のモーメントの概念。対数螺線の用語。『学術論叢』の編集。 [解II.7] トップ
ヴァンナー,ゲルハルト(Gerhard Wanner, 1942-).
インスブルック大学に学ぶ。グレプナーとロクスの弟子。現在、スイス、ジュネーブ大学教授。数値解析.『解析教程』の著者。ホームページもどうぞ。 [解II.7, 9], [パ13, 27], [名2], [ト序, 2, 文], [珠説2.0, 2.3, 文], [ブ50] トップ
ヴァンナー (R. Wanner).
チューリヒ大学で不変式に関する論文で博士号取得(1926) . [ワ7] トップ
ドゥ・ラ・ヴァレ・プーサン,(Charles Jean Gustave Nicolas de la Vallee Poussin, 1866.8.14-1962.3.2.)
ベルギー,ルーヴァンに生まれ,ルーヴァンに死す.
ルーヴァン大学教授(1897).1896年にアダマールと異なる方法で素数定理を証明.微分方程式やリーマンのゼータ関数の理論でも貢献.『解析教程』は有名. [珠説2.2.3] トップ
ヴィアンノ,(Xavier G\'{e}rard Viennot, 1866.8.14-1962.3.2.)
フランス,ボルドー大学,数学研究センター.組合せ論. [天23] トップ
] .
ヴィヴィアーニ、ヴィンチェンツィオ(Vincenzio Viviani, 1622.4.5-1703.9.22).
イタリア、フィレンツェに生まれ、フィレンツェに死す。
1639年からアルチェトリの別荘で異端審問の後のガリレオ・ガリレイとその死(1642.1.8)まで同居し、時にトリチェリとともに失明した師を助け、気圧の実験やサイクロイドの研究に従事する。トリチェリの死(1647)後、フィレンツェアカデミーの教授。パリ科学アカデミーの外国人会員になり(1642)、その年金でガリレオの記念館をフィレンツェに創る。ガリレイの伝記を書き、最初のガリレイの著作集を編集(1655-56)。1666年フランスのルイ14世とポーランドのヨハン2世が招くが、フィレンツェの大公が彼を失わないために彼の数学者に任命。
ヴィヴィアーニの曲線。サイクロイドの接線の決定(彼が最初ではないが)。
アポロニウスの『円錐曲線論』の第5巻(極大・極小問題の考察)の復元。
ボレーリと共に、大砲の音と光の差の観察から、音速を350m/sと測定(1660)。最初のガッセンディの音速の測定値は478m/sで、現在の値は 0゜で331.29m/sである。 [解II.4] トップ
ヴィエート、フランソア(Francois Viete = Franciscus Vieta, 1540-1603.12.13).
フランス、フォントネィ・ル・コントに生まれ、パリに死す。
法律を学ぶためポアチエ大学で学び(1556-1560)、卒業後数学を研究し始める。1564年頃からユグノー派の貴族婦人の法律顧問となり、夫人の娘の家庭教師となりラ・ロシェルで過ごす。
1570年パリに行き、シャルル9世、アンリ3世の顧問官。ブルターニュ最高法院(1589)、パリ最高法院、ツール最高法院の裁判官を歴任。聖バルテルミの虐殺後のユグノーの迫害に、1584年からアンリ4世の即位(1589)まで、ボーヴォアール・シュル・メールに逃れる。この期間に数学研究に専心し、代数学の諸業績を得た。スペイン戦争中は、暗号解読に当たる。スペイン国王フェリペ2世は、暗号がすべて解かれるのは悪魔の技とローマ法王に異端の旨告訴する。
グレゴリウス13世の改暦に際し、暦が正確でないと激しく非難し、その論争で晩年は過ごしよいものではなかった。
文字使用について、彼は未知数に対しては子音を、既知の定数に対しては母音を使った。アルファベットの前の方の文字を定数に、後ろの方の文字を未知数に当てるようになったのはデカルトによる。 [解I.1-2, 4-5], [名8], [黄5] トップ
ヴィエトリス、レオポルド(Leopold Vietoris, 1891.6.4-2002.4.9).
オーストリア、ラドケルスベルクに生まれ,スイス,インスブルックに死す.
インスブルック大学教授(1939-)。ホモロジー代数におけるマイヤー-ヴィエトリスの完全系列。 [解I.4] トップ
ヴィジング(Vadim G. Vizing).
ウクライナ,食物工学オデッサ国立アカデミー,応用数学科. [天26] トップ
ヴィット (Ernst Witt, 1911.6.26-1991.7.3).
ドイツバルト諸島,アルセン(現在デンマーク,アルス)の生まれ.生後すぐに中国で暮らし,9才でヨーロッパに戻る.フライブルクとゲッティンゲン大学に学び,E.ネーターの下でリーマン・ロッホの定理に関する論文で学位.ゲッティンゲン大学でH.ハッセの(合同関数体とp進数に関する)セミナーに出席(同時期にO.タイヒミュラーとL.シュミットLudwig Schmid).L.シュミットとはヴィット・ベクトル計算について共同研究.
E.アルティンがアメリカに追放された後任として,ハンブルク大学教授(1937-79).
代数学.環論のヴィット環.調和代数のヴィット類.p進数の理論でのヴィット・ベクトル.リー代数の表現でのバーコフ・ヴィットの定理.2次形式主な関心.他にマシュー群や代数関数体の研究. [ワ2], [天5] トップ
ウィップル(Fred Lawrence Whipple, 1906.11.5-.).
アメリカ,アイオワ,レッド・オークの生まれ。
ハーヴァード大学天文学教授(1945-)。スミソニアン天体物理天文台長(1955-).「氷で出来た彗星モデル」,アイスランドが小惑星の衝突で出来たという説.太陽系の起源についての説.
『地球・月・惑星』(1941) . [パ23] トップ
ヴィトルヴィウス(Marcus Pollio Vitruvius, 紀元前1世紀のローマの人)。
アウグスティヌス大帝により建築長官に任ぜられ、土木軍事機械の設計もする。『建築十書』(De Archtectura Libri Decem)は現存する最古の建築理論書であり、建築術、土木技術、築城術、兵器などの技術とその原理を述べている。
πの値として25/8(=3.125)を使った. [解II.7] トップ
ヴィノグラードフ、イヴァン・マトヴェーエヴィッチ(Ivan Matveevich Vinogradov, 1891.9.14- 1983.3.20).
ロシア,ミロリューブ村(現在プシコフ県ベリカルク)に生まれ,モスクワに死す.
ペテルブルグ大学卒業(1914).レニングラード大学教授などを経て,ソ連科学アカデミー・スチェクロフ研究所所長(1932).解析的整数論.ウェアリングの問題やゴールドバッハの問題などに大きな貢献(十分大きな奇数は3個以下の素数の和に書けることを証明).
日本語の本としては,『整数論入門』(三瓶与右衛門+山中健訳)共立全書517(1969)がある. [珠訳序, 2.1-2, 3.1, 説3.11] トップ
ウィルキンス(David R. Wilkins).
アイルランド,ダブリン,トリニティ・カレッジ教授. [名21] トップ
E.B.ウィルソン、エドウィン(Edwin Bidwell Wilson, 1879.4.25-1964.12.28).
アメリカ、コネチカット州、ハートフォードに生まれ、マサチューセッツ州、ブルックリンに死す。
ギブスの弟子で、ギブスの講義に基づきベクトル解析の教科書を書き、1912年にアメリカ最初の高等微積分学の本を書く。航空学、確率論、統計学、確率分布など。後にJ.ネイマン(1894-1981)により再発見された信頼区間の概念の研究。 [解文] トップ
J.ウィルソン、ジョン(John Wilson, 1741.8.6-1793.10.18.)
イギリス,ウェストモアランド,アップルランドに生まれ,ウェストモアランド,ケンダルに死す.
ウェアリングの弟子.p が素数なら 1+(p-1)! は p で割り切れるという定理で有名. ウェアリングが『代数的考察』(1770)の中で最初に出版したもの.逆定理はラグランジュによる(1773). [珠説1.7.2-4] トップ
R. J. ウィルソン(R. J. Wilson.)
イギリス,ミルトン・キーンズ,オープン大学(日本の放送大学のモデルになった,放送による大学教育.1969年発足.)数学科. グラフ理論.
[天24] トップ
ヴィルティンガー、ヴィルヘルム(Wilhelm Wirtinger, 1865.7.15- 1945.1.15).
オーストリア,イップス・アン・デル・ドナウ(Ybbs an der Donau)に生まれ,同地に死す。
F.クラインの影響を強く受ける.ウィーン大学教授。関数論(ヴィルティンガーの不等式)。アーベル関数の存在の十分条件を一般テータ関数を用いて証明した(必要条件はリーマン). [解II.10] トップ
ウィントナー(Aurel Frederick Wintner, 1903.4.8-1958.1.15.)
ハンガリー,ブダペストに生まれ,アメリカに死す.
ライプツィッヒ大学で学ぶ.1929年にヒルベルト空間論の基礎づけをし,1930年にヘルダーの娘と結婚し,同年アメリカで職を得,以降死ぬまでアメリカに住む.
ヒルベルト空間論,古典解析学,確率論,解析的整数論.『天体力学の解析的基礎』(1941)は有名. [パ6] トップ
E.B.ヴィンベルグ(Ernest Borisovich Vinberg)
E.B.ディンキンとI.ピャチェツキー=シャピロの下で,モスクワ大学で学位(1962).モスクワ大学教授.モスクワ独立大学教授.V.カッツなど多数の弟子を育てる.
位相群,リー群,代数群,微分幾何.モスクワ数学会賞(1963),アレクサンダー・フォン・フンボルト賞(1997).
[モ] トップ
ウェアリング
(Edward Waring, 1734-1798.8.15.)
イギリス,シュロップシャー,オールド・ヒース(シュルーズベリの近く)に生まれ,シュロップシャー,ポンツベリに死す.
ケンブリッジ大学卒業(1757),ロンドン,ケンブリッジ,ハンチントンの病院で医師.1760年からケンブリッジのルーカス数学教授職.1770年まで医者としても働く.
数論,代数学,代数曲線論,級数論.コーシーの比テストの発見(1762),対称式を基本対称式で表わすこと(1762).ウェアリングの問題(1770).ウィルソンの定理の証明(1770). [珠序, 訳序, 3.1, 説0, 3.10, 文] トップ
ヴェイユ、アンドレ(Andre Weil, 1906.5.6--1998.8.6).
フランス、パリに生まれ,アメリカ,ニュージャージー,プリンストンに死す。
ブルバキ創世期のメンバー。パリ、ローマ、ゲッティンゲンに学び、インドのアリガル・ムスリム大学(1930-1932)、フランスのストラスブール大学(1933-40)、ブラジルのサンパウロ大学(1945-47)、アメリカのシカゴ大学(1947-58)で教え、1958年以後はプリンストン大学に勤務。引退後も、プリンストンに暮らした。
主たる興味は整数論に根ざすものだが、位相群上の積分論(1940)、一様空間の導入(1940)、有限体上の函数体についてのリーマン予想の証明(1941)、『代数幾何学の基礎』(1946)、アーベル多様体の代数幾何的理論(1948)、ケーラー多様体論(1958)など多彩。名前のついた概念も、ヴェイユ群、ヴェイユ数、ヴェイユのL関数、ヴェイユ予想、ヴェイユ領域、ヴェイユ測度、ボレル--ヴェイユの定理の多くを数え、20世紀数学最大のヒーローの一人である。
数学の関係者以外にはシモーヌ・ヴェイユ(1909.2.3-1943.8.25)の兄と言う方がわかりやすい。 空集合の記号φは彼の考案になる。
何度か来日して日本人のファンも多く、著書の多くが日本語に翻訳されている。『アンドレ・ヴェイユ自伝: ある数学者の修業時代』(稲葉延子訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、
『数論 歴史からのアプローチ』(足立恒雄+三宅克哉訳)日本評論社、
『科学の創造−著作集自註』(杉浦光夫訳)日本評論社(1983)、
『初学者のための整数論』(片山孝次+田中茂+丹羽敏雄+長岡一昭訳)現代数学社など。 [解I.1], [パ訳あ], [代コ] トップ
ヴェガ(Georg Freiherr von Vega, 1754.3.23-1802.9.26).
スロヴェニア,リュビリャーナ,ザゴリッツァに生まれ,オーストリア,ウィーンに死す.ゲオルグはユーリイのドイツ語名.ユーリイの父親は貧農で6歳のときに亡くなった.
リュビリャーナの学校に19歳まで通った後,造船技師になった.1780年に軍籍に入り,ウィーンの砲兵学校の数学教授になる.砲兵学校に解析学の講義を導入した.講義を基に4冊本の教科書Vorlesungen uber die Mathematik (1782, 1784, 1788, 1800)を出版,これには三角関数表が載っていた.
砲兵学の本も書いたが,対数関数や三角関数表の著者として有名で,最初の対数表は1783年に出版され,完成版Thesaurus logarithmorum completusは1794年に出版されたが,長い間使われ続け,1924年には第90版が出版された.また,400031までの素数表を発表(1797).
πを140桁計算した結果は1789年の論文で発表された.136桁までが正しく,長く記録になっていた.
軍人としていくつかの戦争に従軍した.1788年にはベルグラードの近くでトルコと戦い,革命期にフランスと戦った.1802年9月に彼の失踪が報告され,捜索され,ウィーン近くのダニューブ川で遺体として発見された.公式には事故とされているが,殺害されたという疑いも持たれている.
トップ
ウェストフォール(Richard S.Westfall, 1924-).
アメリカの歴史家・科学史家。イェール大学卒業.インディアナ大学・科学史教授(1963-)。
日本語の本に『アイザック・ニュートンI, II』(田中一郎ほか訳)平凡社(1993)がある.
[解I.4] トップ
ヴェシオ(Ernest Vessoit, 1865.3.8--1952.10.17).
フランス,マルセイユに生まれ,フランス,サヴォア,ラ・ボーシュに死す.
父は小学校教師.マルセイユのリセ卒業後,パリのエコル・ノルマル・シュぺりオールに入学.入学試験ではアダマールの次の成績で合格し,入学後は同じクラスだった.卒業後はリヨンで教師になる(1887).
線形変換群と,線形微分方程式の解空間上への作用に関する論文で学位(1892).その後,リール,ツールーズ,リヨン,パリ(1910)の各大学で教える.母校の校長を引退(1935)まで勤める.
連続群を微分方程式の研究に適用し,ドラック(1902)やカルタン(1907)の理論を拡張(ピカール・ヴェシオ理論). ヴォルテラやフレドホルムの研究を偏微分方程式論に拡張. [代18]
トップ
ウェダーバーン(Joseph Henry Maclagan Wedderburn, 1882.2.2-1948.10.9.)
スコットランド,アンガス,フォーファーに生まれ,アメリカ,ニュー・ジャージー,プリンストンに死す.
エジンバラ大学卒業(1903).ドイツに留学後,プリンストン大学(1905),教授(1908),名誉教授(1945).多元環論,体論,半群論,行列論などに今も引用されるウェダーバーンの定理がある.有限体が可換であることを,有限射影幾何の構造を調べることから導く.半単純代数の分類. [代10-12, 16], [天5], [ワ2, 3, 9, 10] トップ
ヴェッセル(Casper Wessell, 1745.6.8-1818.3.25.)
ノルウェー,イオンスルードの生まれ.測量技師.ベクトル理論の展開の一環として複素数を平面ベクトルと考える幾何学的構成『方程式の解析的表現について』(1799)を書く.アルガンより9年も前に1797年にこの内容をデンマーク科学アカデミーで発表するが、デンマーク語で書かれていたため、100年程知られないままであった。 [名6] トップ
H.ヴェーバー(Heinrich Martin Weber, 1842.5.5-1913.5.17.)
ドイツ,ハイデルベルクに生まれ,ドイツ,シュトラスブルク(現在フランス領)に死す.
父は歴史家.ハイデルベルク大学に入学(1860-63).途中ライプツィッヒ大学でも学ぶ.大学教授資格を得るための研究に,ケーニヒスベルク大学に行き,F.ノイマンとリシュロ(ヤコビの弟子)に学ぶ.死後10年を経ても同地にはヤコビの影響が強く残り,ヴェーバーの数学のスタイルを決めた.1866年にハイデルベルク大学に勤めて以来,チューリヒのポリテクニク,ケーニヒスベルク大学,シャルロッテンブルグ高等工業学校,マールブルグ大学,ゲッティンゲン大学を経て,1895年シュトラスブルグ大学教授に.
代数学,整数論,解析,数理物理など幅広い.『代数学教程』 Lehrbuch der Algebra (I(1894, 1898), II(1896, 1899), III(1891, 1908))はその後数世代の代数学の基本教科書になる.デデキントとの共著『1変数代数関数論』(1882).アーベルの定理の一般化.絶対アーベル体は円分体というクロネッカーの定理の証明.虚数乗法で解析と数論との結合の有効性を示す.『数理物理学における偏微分方程式』(1900-1901)は本質的にリーマンとの共著.ヴェーバーの微分方程式.
3巻本の『初等数学百科』(1906-1907)の編集執筆. [代コ] トップ
W.E.ヴェーバー(Wilhelm Eduard Weber, 1802.10.24-1891.7.23)
ザクセン(現在ドイツ領),ヴィッテンベルクに生まれ,ドイツ,ゲッティンゲンに死す.
ハレ大学卒(1822),博士号取得(1826)後,ハレ大学で教鞭.ゲッティンゲン大学物理学講座教授(1831),6年間ガウスと磁気に関する共同研究.精密な磁気計などを発明.
1837年にヴィクトリア女王が即位し,その叔父がハノーヴァーの支配者となる.彼に忠誠を誓わず,大学を逐われる,所謂ゲッティンゲンの7教授事件に連座.職がないままゲッティンゲンにいたが,1843年にライプツィヒ大学物理学教授に.
1848年にゲッティンゲンに復帰し,1855年に彼とディリクレが天文台の臨時台長となる.
1855年の電荷の電気力学的単位と静電単位の比に関する仕事は重要で,マクスウェルの光の電磁理論に本質的な寄与をしたが,ヴェーバー自身は,自身の得た値が光速度に近いという事実に気づかなかった.電気力学や物質の電気的構造に関して大きな貢献. [モ歴,列伝] トップ
ヴェブレン,(Oswald Veblen, 1880.6.24-1960.8.10)
アメリカ,アイオワ,デコラーに生まれ,メイン,ブルックリンに死す.
アイオワ大学卒業(894)後,1年間図書館助手をしてから,ハーヴァード大学,ついでシカゴ大学に学ぶ.
シカゴでは,Bolza, MaschkeとEliakim Moore,3人の指導を受け,論文「幾何学の公理系」で学位取得(1903).
プリンストン大学で数学を教える(1905-1932).1928-29の年度には,G.H.ハーディとの交換でオックスフォード大学で教鞭.1932年からはプリンストン高等研究所設立に参画し,自身も教授となる.アメリカ数学会副会長(1915),会長(1923-24).
彼のトポロジーの研究により,同地はトポロジーの世界的センターとなった.
J.W.ヤングとの共著『射影幾何学Projective geometry』(1910-18)で射影幾何学の公理化を行い(1巻だけが共著で,2巻はヴェブレン単独),Analysis Situs (1922,位置解析学)はトポロジーの基礎概念のついての最初のテキストである.
アインシュタインの一般相対性理論が発表されたあと,微分幾何に関心を移す.The invariants of quadratic differential forms(1927, 2次微分形式の不変量)はリーマン幾何を系統的に扱い,弟子のH.ホワイトヘッドと共著のThe foundations of differential geometry(1933, 微分幾何の基礎)では可微分多様体の最初の定義を与えている.Projective relativity theory(1933, 射影的相対論)では電子のスピンの表現に使うスピノールを扱っている.
[ワ7, 8] トップ
ヴェルズル,(Emo Welzl. )
スイス,チューリヒ大学,理論計算機科学研究所教授.計算機科学,組合わせ論的アルゴリズム,計算幾何学など. [天32] トップ
ヴェロネーゼ,(Giuseppe Veronese, 1854.5.7-1917.7.17.)
イタリア,キオッジアに生まれ,イタリア,パドゥアに死す.
パドゥア大学教授(1881-).高次元射影幾何学,曲面の双有理変換,ヴェロネーゼ写像,ヴェロネーゼ平面,ヴェロネーゼ多様体など.形式的級数の体の導入.幾何を含む多くの教科書の作者でもある. [名18, 23] トップ
ヴォイクト,(Margit Voigt)
ドイツ,テューリンゲン,イルメナウ工科大学,数学・自然科学部.グラフ理論,組合わせ論. [天27] トップ
ウォリス、ジョン(John Wallis, 1616.11.23-1703.10.28).
イギリス、ケント、アシュフォードに生まれ、オックスフォードに死す。
オートレッドの弟子.ニュートン以前の最も影響力のあったイギリス人数学者。
ケンブリッジのエマニュエル・カレッジ(1632-1637)で学びBAを取得。英国国教会の牧師としてヨークシャーとエセックスで過ごす(1640-1643)。
チャールズ1世と議会との内乱(1642-52)の際、王党派の暗号を解読する。チャールズ1世の処刑に反対する署名をしたにもかかわらず(1648)、議会派への貢献を認めたクロムウェルにより、オックスフォード大学サヴィル幾何学教授(1649-終身)に任ぜられる。 こののち本格的に数学の研究を始め、1955年の『無限算術』(Arithmetiac infinitorum)の出版後国際的な科学者として知られる。
ガリレイの弟子のトリチェリ(1608-47)の影響を受け、ニュートンに強い影響を与える。不可分量に対して、デカルトの代数解析的手法を応用し、また始めて円錐曲線を座標を使い2次曲線として考察した(『円錐曲線論』(Tractatus de sectionibus conics, 1951)。
曲線の求長については「最初にサイクロイド,次にシッソイドについての2つの論文」(Tractatus duo, prior de cycloide, posterior de cissoide, 1959)の中で述べられている.
無限大の記号∞や補間法の用語を導入。
ロンドン王立協会の創立者(1660)。数学以外にも、『力学』(1669)、宗教書、語源学、英語の文法書(1653) 、論理学(1687)などの本を出している。 [解I.2, 5-6, II.10, III.2, 7, 9] トップ
ウォール(Charles Terens Clegg Wall, 1936-.)
アメリカの数学者.代数的トポロジー,群論.障害理論,ウォール群,ウォール不変量. [ト附,文] トップ
ウォルツ(Anke Walz.)
ニューヨーク州,イタカ,コーネル大学数学科. 女性.多面体論.鍛冶屋のふいごの仮説の証明( I.サビトフ,R.コネリーとともに) [天11] トップ
ヴォルテラ(Vito Volterra, 1860.5.3-1940.10.11).
教皇領アンコナ(現在イタリア領)に生まれ、ローマに死す。
2才のとき父が死に、母とフィレンツェに移住。大変貧しかったが、幼少時から才能を発揮したので、後援者がいて、勉強を続ける。フィレンツェ大学の後、ピサ高等師範学校に移りベッティのもとで学び、1882年に学位。ピサ大学力学教授(1883-1892)、トリノ大学力学教授(1893-)、E.ベルトラミの後継者としてローマ大学数理物理学教授(1900-1931)。1922年からイタリアはファシスト政権が出来、これに反対運動をし、1930年議会で反対の発言をし、政権への忠誠の誓いを拒んだので、翌年公職から追放される。その後はパリなど外国に住むことが多かった。
偏微分方程式論、特に円柱波の方程式論(1890年代)、ヴォルテラ型の積分方程式を含む積分方程式の理論(1930)、フェルフルスト方程式を研究し、食う者--食われる者の方程式を提案。 [解III.9] トップ
ヴォルテール(Voltaire,本名= Francois Marie Arouet, 1694.11.24-1778.5.30.)
パリに生まれ,パリに死す.詩人,劇作家,哲学者,歴史家.フリードリヒ大王の宮廷でオイラーを追い出した罪は,ニュートンの名声を大陸に伝えた功績で帳消しになるわけではないが. [解人], [パ1] トップ
A.H.ウォーレス(Andrew Hugh Wallace, 1926-.)
イギリス,北スタフォードシャー大学上級講師.トポロジスト.コンパクト多様体上の好適な関数の存在や,低次元多様体論.トポロジーの啓蒙書も出版している.日本語の本に『位相数学入門』(河野伊三郎訳)共立全書522(1971)がある.
[ト文] トップ
W.ウォレス(William Wallace, 1768.9.23-1843.4.28)
スコットランド,ディザートに生まれ,エジンバラに死す.
皮革工場主の父親が基礎的な算術を教えてくれたほかは,16歳以降正式に教育を受けていない.16歳になって一家はエジンバラに移住し,彼は数学を独習する.故郷で製本業の見習いをしていたので,本屋のために働いたり,数学を教えたりして生活の資を得る.もぐりでエジンバラ大学の数学の講義に出席し,プレイフェアに激励される.
1794年にパース・アカデミーで数学の教師になり,エジンバラ王立協会紀要に投稿したり,エンサイクロペディア・ブリタニカの原稿を書く.1803年にグレート・マーローの王立陸軍大学の教授になり,1819年にエジンバラ大学の数学教授になる.ユークリッドを教える教科書を,前任のレスリーの本からプレイフェアのものに変えたことが物議を呼ぶ.後に微積分に関する文章でも,イギリスで,ニュートンの記法からライプニッツ流の記法に変えた最初の人.
数学以外にもパンタグラフ(写図器,縮図器)を発明.天文学の論文も書く.健康を害して1835年に退職するも,その後健康を持ち直し,数冊の幾何の著書を書く.
ウォレス・シムソン線.
[直] トップ
ウマル(オマル)・ハイヤーム(Omar Khayyajm =Omar Alkhaijama; Abu al-Fath `Umar bn Ibrahim al-Khyyam, 1048.5.15-1131.12.14(1040頃-1123年説あり)).
ペルシャ、ホラサン州、ネイシャプール(現在イラン領)に生まれ、同地に死す。
セルジュク・トルコ帝国の人。天文学・気象学・数学者・詩人。
ルバイヤートの作者。日本語訳はいろいろあるが、岩波文庫の『ルバイヤート』(小川亮作訳)を挙げておく。ルバイヤートとは4行詩のことで、折りに触れて、ペルシャへの思いと共に、無神論的唯物主義者として、時のイスラムの宗教的束縛に反抗し、人間的な悩みを純粋な憂愁にまで濾過し、感情と理性の混淆した独自の美の世界を作り上げた。生前は公表されることなく、友人たちの間でのみ読まれていたという。世界的に知られるようになったのは、1859年にエドワード・フィッツジェラルドが英訳、自費出版したものを、ラファエル前派の詩人たちが強く薦めたことからである。日本へもこの英訳からの翻訳が多くなされていたが、1949年に小川亮作氏がペルシャ語の原典から翻訳した。
ハイヤームとは天幕作りという意味。エスファハンの天文台長(1076)。1074年マリク・シャー(1072-1092在位)の命で、暦の改正に当たり、グレゴリウス暦より精確なジャラリー暦を作るが、閏年の決め方が煩雑なため後世には用いれなかった。1年の長さを365.24219858156日と測定。1年の長さは少しずつだが短くなっており、この時代での測定としては驚異的な精確さである。
3次方程式を含めた分類と解の理論(双曲線と円との交点を使って3次方程式を幾何学的に解く)。 ユークリッドの『原論』の難点に関する論文。パスカルの三角形。インド算法による、平方根と立方根の求め方とその精度を調べる。恒星表。 [解I.2], [名9] トップ
ヴラック(Adrian Vlaacq, 1600-1667.)
オランダ,ゴーダに生まれ,ハーグに死す.書店主,出版者,数学者.
1632年にロンドンで書店を開業.1642年チャールズ1世が議会と衝突し,内乱状態になり,パリに移動し,パリで出版業を再開,その6年後にハーグに戻り,書店と出版業を再開.
H.ブリッグスの始めた1から10万までの10進対数の表を完成し出版(Arithmetica logarithmica, 1629).ブリッグズの元の表には1から2万までと9万から10万までしかなく,ヴラックは7万個の値を追加した.
三角関数表の編集出版(1633).これらの数表は出版後急速にヨーロッパ全土に普及した.ブリッグスの著書を含む多くの数学書を出版.
[モ歴] トップ
ウラム(Stanislaw Marcin Ulam, 1909.4.3-1984.5.13.)
オーストリア帝国,ポーランド,レンベルグ(現在ウクライナ,リヴォフ)に生まれ,アメリカ,ニュー・メキシコ,サンタ・フェに死す.水爆製造に関与.モンテ・カルロ法の考案.トポロジー.関数解析,確率論,集合論,数理物理学.ボルスク・ウラムの定理.
[天14] トップ
トップ へ