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人名索引 さし
人名索引総目次 すせそ
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さ 
ザイデル (Phillip Ludwig von Seidel, 1821.10.24-1896.8.13.)
ドイツ、ツヴァイブリュッケンに生まれ、ミュンヘンに死す。
ベルリン大学でディリクレに、ケーニヒスベルク大学でベッセル、ヤコビに学ぶ。
学位はミュンヘン大学で取得(1846)、54年以降同大学教授。
星の光度と光の収差理論で有名。今日の光学器械の設計に基本的役割。
レンズを5収差を係数とするザイデル和と数学的に同一視する。
非一様収束の概念、ガウス--ザイデルの反復法。 [解III.4] トップ
ザイフェルト(Karl Johannes Herbert Seifert, 1907.5.27-1996.10.1).
ザクソン,ベルンシュタットに生まれ,アメリカ,ニュー・ジャージー,プリンストンに死す.
父の転勤でザクソンのバウツェンに移り,初等教育はその地で受ける.成績は良かったが特に数学的才能を発揮することはなかったと言う.1926年にドレスデン工業大学の数学物理学科に入学.
1927年に,私講師であったW.トレルファールのトポロジーの講義を聴いて,この分野に強い関心を持ち,20歳年上のこの教師と長い友人となる.当時のドイツの習慣で,1928-29学期はゲッティンゲン大学で学ぶ,
当時トポロジー分野の世界的な指導者だったH.ホップが私講師をしており,P.S.アレクサンドロフも滞在していた.1929年の夏にドレスデンに帰り,トレルファールの家に住むようになる.1930年6月17日に教師資格試験に合格,既に書き上げていた3次元閉多様体についての論文で,1月後に学位を得る.
博士論文準備のための奨学金をドレスデン工業大学から受け,それを使ってライプツィヒ大学に行き,ファン・デル・ヴェルデンの指導を受ける.週末ごとにドレスデンに帰り,トレルファールの指導も受ける.
1932年2月1日に論文「3次元ファイバー空間のトポロジー」を提出し,3月3日の口頭試問によって学位を受ける.今日のものとはいくぶん違うが「ファイバー空間」の最初の定義を与えた.
この時期の共同作業から,トレルファールの講義ノートを元にした有名な『トポロジー講義』Lehrbuch der Topologie(1934)が生まれる.
教授資格のための論文は「連続ベクトル場」(1934)である.1934年の終わりには母校の枠外の教授になる.
1933年からナチは公職からユダヤ系の人々を追放した.その結果空いたハイデルベク大学の数学教授になることを命令され,1936年に教授となる.これもトレルファールとの共著である『大域変分法』(1938)は難解であったモース理論の教科書である.当時のドイツの政治状況からは危険をともなう,本の題辞にケプラーの「今日,数学の本を書くことは非常に難しい」という引用を置くことを,2人の職を賭して主張した.
戦争中はドイツ空軍附属の空気力学研究所で軍事活動をする.おかげで,他では続けられなかっただろう数学の研究が出来た.テーマは微分方程式になったが.
戦後は,占領軍に忌避されずに済み,戦後閉鎖されていたハイデルベルク大学が
再開されると同時に数学の教授となる(1946-75).
トレルファールとの共同研究を再開すべく,彼をハイデルベルクに招くことには成功するが,1849-49の冬学期にM.モースの招きでプリンストンを訪れ,帰国する前にトレルファールが死んだために実現せず.1949年結婚.
結び目のホモロジー不変量の計算のためザイフェルト曲面を考案.ファイバー空間を用いて,3次元閉多様体の同相問題を研究. [代コ] トップ
サヴィル(Sir Henry Savile, 1549--1622)
イングランドの学者.エリザベス1世のギリシア語と数学の教師をつとめ, オックスフォード大学マートン・学寮長(マートンカレッジは1264年に創立されたオックスフォード大学の学寮の1つで,本来は教区牧師の養成が目的であった.付属図書館は14世紀末にできたもので, 英国で最も古い部類に属し, 多くの稀覯本を収集している.),イートン校長(1596)を歴任.
1619年オックスフォード大学に幾何学と天文学の講座を創設.初代のサヴィル幾何学教授はヘンリー・ブリッグスで,ジョン・ウォリス(1649--1703),エドモンド・ハリー(1704),H.スミス(1860-1883),J.シルヴェスター(1883),G.H.ハーディ,ティッチマルシュ(1931),M.アティヤ(1963) など,
サヴィル天文学教授にはJ.キール,クリストファー・レン(1661-73)などがいる. トップ
ザギエ(Don B. Zagier, 1951.6.29-.)
ドイツ,ハイデルベルクの生れ.MITで物理と数学の両方を卒業(1968),オックスフォード大学で博士号(1972).ボン大学(1973),ボンのマックス・プランク研究所(1984),メリーランド大学(1979-90),九州大学,ユトレヒト大学でも教授.現在,マックス・プランク研究所理事.コレージュ・ド・フランス教授.代数幾何,数論,トポロジー,数理物理.
フェルマの定理の1文による証明とか,
(6803298487826435051217540/411340519227716149383203,
411340519227716149383203/21666555693714761309610,
224403517704336969924557513090674863160948472041/8912332268928859588025535178967163570016480830)
によって,157が合同数である,とかいったちょっと不思議な仕事もある.
日本語の本に,『数論入門』(片山孝次訳,岩波書店)がある. [名3], [珠説2.2.3], [天4] トップ
ザクス (Joseph Zaks, 1940-.)
イスラエル,ハイファ,ハイファ大学教授.ワシントン大学で,B.グリュンバウムの下で学位(1968).トポロジー,グラフ理論. [天12] トップ
サーストン,ウィリアム (William Thurston, 1946.10.30-)
アメリカ,ワシントンに生まれる。ニュー・カレッジ卒業(1967),UCバークレイで博士(1972).プリンストン大学教授。トポロジー。特に低次元トポロジー.1982年にフィールズ賞授賞。
日本語の本に『3次元幾何学とトポロジー』(小島定吉監訳,培風館,1998)(Three-Dimensional Geometry and Topology, vol.1, Princeton Univ. Press, 1997)がある. [名17-18], [ト附] トップ
サード(Arthur Sard, 1909.7.28-1980.)
アメリカ,ニューヨークの生まれ.
カリフォルニア大学教授.複素関数論,近似関数,微分可能関数の作用素.サードの定理. [ト序, 2-4, 文] トップ
サビトフ(Idjad K. Sabitov.)
モスクワ国立大学数学力学科.多面体論.鍛冶屋のふいごの仮説の証明(R.コネリー,A. ウォルツとともに) [天11] トップ
サマヴィル,メアリ(Mary Fairfax Greig Somerville, 1780.12.26--1872.11.29.)
スコットランド,ロクスバーグシャー,ジェドバーグに生まれ,イタリア,ナポリに死す.
独学で数学のみならず広く自然科学を学ぶ.1831年にラプラスの『天体力学』の改訂版.『自然科学の相互関係についてThe connection of the physical sciences 』は版を重ねる.
『物理地理学Physical geography』(1848)は定版の教科書となり,20世紀初頭まで使用された.
イギリスの学者たち,G.エアリー,ジョン・ハーシェル,ウィリアム・ハーシェル,G.ピーコック,C.バベッジらと,また
大陸の学者たち,例えば,ラプラス,D.F.アラゴー,A.フンボルトなどとの交流・文通でも有名.
[伝] トップ
サメルソン(Hans Samelson, 1916-.)
微分トポロジー,モース理論,対称空間,コンパクト群のベッティ数. [ワ文] トップ
サーモン(George Salmon, 1819.9.25-1904.1.22.)
アイルランド,コークに生まれ,ダブリンに死す.
ダブリンのトリニティカレッジに入学し(1833),数学と古典を学び,数学の学位を得て卒業(1838).当時,同校では英国教会員には学位やフェローになるための制約があり,1841年に提供されたフェローになるためにアイルランドの教会の聖職に就いた.1844年に聖職者の娘と結婚し,4人の息子と2人の娘を生む.
トリニティカレッジの数学(1846)および神学教授(1866).1841年当時同校にはハミルトンなどがいて活発で,綜合幾何が主流だったが,サーモンは代数幾何に転向する.ケイリー,シルヴェスターなどと親交.
不変式論,射影幾何,線織面.代数曲面の正規特異点の概念.ケイリーとの文通の中で,3次曲面上の27本の直線の存在を発見(存在はケイリーで,27本を数えあげたのがサーモン).
4冊の教科書:
A treatise on conic sections「円錐曲線論」 (1848),
A treatise on higher plane curves「高次」平面曲線論(1852),
Lessons introductory to the modern higher algebra「現代高等代数学への入門的講義」(1859)
A treatise on the analytic geometry of three dimensions「3次元の解析幾何学」 (1862).
は特に有名で,あらゆるヨーロッパ言語に翻訳され,大きな影響を与えた.
[ワ2] トップ
サラサ、アルフォンス・アントン・ドゥ(Alfons Anton de Sarasa, 1618-1667).
聖ヴァンサンのグレゴリーの弟子。ベルギー人のイエズス会士。 [解I.3, 文] トップ
ザランキエヴィッツ(Kazimierz Zarankiewicz, 1902.5.2-1959.9.5.)
ポーランド,チェツトチョヴァに生まれ,イギリス,ロンドンに死す.
ワルシャワ大学で,点集合論をテーマにPhD取得(1923).ワルシャワ工科大学教授(1937年に推薦されるが戦時のため停滞.1948年に正式に教授に).ドイツの占領下(1944-45)では,地下大学で教える.アメリカにわたって,ハーヴァード大学などでも教鞭.トポロジー,グラフ理論,整数論,複素関数論.シェルピンスキやクラトフスキとも共同研究.
ポーランドの数学オリンピックのチームの指導(1949-1957).当時会長だった国際宇宙飛行士連合の第10回コングレスの際にロンドンで客死. [天21] トップ
サルナク(Peter Sarnak, 1953.12.81-).
南アフリカ,ヨハネスブルグの生まれ.ウィトウォーターズランド大学卒(1974),スタンフォード大学で学位(1980).クーラント研究所,スタンフォード大学,プリンストン大学などで教授.現在プリンストン高等研究所とクーラント研究所を兼務. [天4] トップ
ザレンバ(S. K. Zaremba).
イギリス,ウェールズのYr Hen Ysgol(アル・ヘーン・アスコル)大学の教授. [天11]
トップ
サンダース,ダニエル(Daniel P. Sanders, 1969.7.12-).
ジョージア工科大学で,R.トーマスの下で学位(1993).プリンストン大学数学科助教授(97-98),ルネサンス・テクノロジー社(98-).コロンビア大学客員教授.
4色定理の簡単化. [名19], [天27] トップ
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し 
シェイクスピア,ウィリアム(William Shakespear, 1564.4.26(洗礼日)--1616.4.23).
イギリス,ストラットフォード・アポン・エイヴォンの生れ.4月23日とされている誕生日は後の創作であるらしい.
劇作家,詩人.エリザベス朝のみならず,史上最も高名な英文学の作家.
生涯についてはほとんど記録がないが,若くして結婚し2人の娘があったという.
1585年前後にロンドンに出たといわれ,1592年には史劇『ヘンリー六世』三部作(1590-92年)『リチャード三世』などの作家として知られ,1594年には劇団の中心人物となって,グローブ座の株仲間にもなった.役者をしたこともある.1612年頃故郷に隠退.友人と酒席で飲み過ぎ,熱を発したのが死因と言われている.
四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』(1595)『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』(1599)など,ほとんどすべての作品の日本語訳.
詩人としては,物語詩『ヴィーナスとアドーニス』(1593)『十四行詩』(1594)など.
人間観察眼と内面の心理描写は、後の哲学や,心理学,精神分析学への影響が大. [モ歴] トップ
ジェイミスン(Robert E. Jamison).
南カロライナ州,クレムソン大学数理科学科教授.ワシントン大学でV. クリーの下で学{位.凸体の理論,有限幾何学,グラフ理論.[天9] トップ
シェッカーズ(George Szekeres, 1910-).
ハンガリーに生れ,30年代にオーストラリアに移住.オーストラリア,ニュー・サウス・ウェールズ大学数学科名誉教授.エルデシュの古くからの友人で共同研究者.[天21] トップ
シェップ(A.Schepp).
ディニの本をドイツ語に翻訳。[解文] トップ
ジェニューイ,フランソア(Francois Genuys,1927.8.26--).
1658年にマチンの公式により,IBM704を使って$\pi$を1万桁計算する.1959年にはフランス原子力庁で1万5367桁計算. トップ
ジェノッチ(Angelo Genocchi, -1890).
トリノ大学教授。ペアノが彼の助手をしていたとき、事故に遭い、その代わりにペアノが微積分の講義をまとめた教科書が文献にジェノッチ--ペアノとあるものである。[解IV-3, 文] トップ
シェパード(Geoffrey C. Shephard).
イギリス,イースト・アングリア大学数学科教授.タイル貼り. [名10] トップ
シェファーズ(Georg Scheffers, 1866.11.21-1945.8.12).
ドイツ,アルテンドルフ(ホルツミンデン近郊)に生まれ,ベルリンに死す.
ライプツィヒ大学で学び(1884-1888),リーの指導で平面接触変換に関する博士論文で学位取得(1890).
ダルムシュタット大学講師(1896),教授(1890).シャルロッテンブルク大学教授(1907-1935 引退).
リーがライプツィヒ大学にいたとき(1886-1896)強い影響を受け,1903年にはアーベルの定理に関する論文.微分幾何,具体的な曲線や曲面の性質を研究.多くの教科書を書き,リーの仕事の編集をした.
[伝] トップ
シェルピンスキ(Waclaw Sierpinski, 1882.8.20-1969.5.14).
ポーランド、ワルシャワに生まれ、ワルシャワに死す。
ワルシャワ、クラカウ、ルヴォフ(1908-14)、モスクワ大学(1915-1918)で教え、ワルシャワ大学教授(1918-)として生涯を終える。
集合論、点集合論、トポロジー、整数論。シェルピンスキ曲線。今も有力な雑誌である『数学の基礎 Fundamenta Mathematica』を創刊した。
日本語の本には『ピュタゴラスの三角形』(銀林浩訳)東京図書(1993)がある。[解IV.1, 5], [ブ50] トップ
シェーンフリース(Arthur Moritz Schoenflies, 1853.4.17-1928.5.27).
ドイツ,ランヅベルグ・アン・デル・ヴァルテ(現在,ポーランド,Gorzow)に生まれ,ドイツ,フランクフルト・アン・マインに死す.
ベルリン大学に学ぶ(1870-75).教師にはクンマーとワイエルシュトラス.1877年に学位を取得し,翌年ベルリン市内の学校で教えるようになり,1880年にはアルザスのコルマーColmarに教えに行く.
1884年にゲッティンゲン大学から教授資格を授与.F.クラインが作ったゲッティンゲン応用数学の講座の教授となる(1892).1899年ケーニヒスベルク大学教授,1911年にフランクフルトの社会・経済学アカデミーの教授になる.このアカデミーは1914年に大学になり,教授(1914-22),学長(1920-21).
最初は幾何と運動学を研究.クラインの示唆により,群論的方法を使って,E.S.フョードロフと独立に空間結晶群の分類(1890-91).『結晶系および結晶構造』(1891).フョードロフと細かい間違いについての意見の交換があり,1923年には分類に関する決定本を出版.
1895年頃から,興味が集合論とトポロジーに移る.ハウスドルフの本(1914)が出るまでの重要な文献を沢山書いている.正方形の次元の位相不変性を証明.創業者ゆえの間違いやギャップは,L.E.J.ブラウエルによって調べられより深い研究へと導いた.
運動学,射影幾何学,画法幾何学,解析幾何学,微積分などの教科書も書いている.プリュッカー全集の編集(1895). [代コ]
トップ
シェーンベルク(Isaac Jacob Schoenberg, 1903.4.21-1990.2.21).
ルーマニア,ガラッツの生まれ.I.シューアとランダウの弟子.最後はウィスコンシン大学教授.解析的整数論,関数解析,実関数論.ベルンシュタイン・シェーンベルク作用素. [天11] トップ
ジェロベンコ(Dmitrii Petrovich Zhelobenko, 1934-).
ロシアの数学者.リー群の表現論.複素半単純リー群に対するペイリー・ウィーナー型定理の証明(1963).コンパクト群の表現論に関する包括的な教科書(1970)も有名. [代コ] トップ
ジーゲル(Carl Ludwig Siegel, 1896.12.31-1981.4.4).
ドイツ,ベルリンに生まれ,ゲッティンゲンに死す.
ベルリン大学天文学科入学(1915).フロベニウスの講義を聞き数学を志す.1919年ゲッティンゲン大学に移り,ランダウの指導の下に学位を得る(1920).フランクフルト大学(1922-1937),ゲッティンゲン大学(1938-1940,1951-59,退官後も67まで講義する),プリンストン大学(1940-1951)教授.整数論(ディオファントス方程式,2次形式,L関数,ゼータ関数),複素関数論,保型関数論,天体力学(三体問題).
文献
- 『天体力学講義』(Lectures on Celesetial Mechanics, Springer, 1951. 第2版はJ.モーザーと共著1971),
- 『複素多変数解析関数』(Analytic functions of several complex variables), Princeton Univ.Press, 1950.
- 『複素関数論の話題』(Topics in Complex Function Theory), Vol. I, II, Wiley-Interscience, New York, 1969, 1971.
[パ年表], [名15] トップ
シナイ(Yakov Grigorievich Sinai, 1935.9.21-.)
ソ連,モスクワの生まれ.
モスクワ大学卒業(1957),後教授(1981-).1960年よりランダウ理論物理研究所にも勤務.エルゴード理論,力学系,統計物理学,確率論.初めて意味のあるモデルでエルゴード定理を証明(シナイのビリヤード)
非常に快活な好漢である.師のコルモゴロフの言葉として,「良く走らないものは良い数学を創れない」と言いながら,冬は毎日走るスキーをやっているのだと語った.管理者もスキーをモスクワ大学の学生課のような所から借り出してやってみたが,長続きはしなかった.^=^! [パ年表, ノート] トップ
シピオーネ・ダル・フェロ(Scipione dal Ferro, 1465.2.6-1526.11.5).
イタリア、ボローニャに生まれ、ボローニャに死す。
ボローニャ大学教授、3次方程式の代数解を最初に発見した人。死の直前、弟子のフィオル(Antonio Maria Fior=Froridus)に伝えた。
フィオルはこの秘密の式のおかげで、数学の公開試合で連戦連勝であり、
タルターリアにも試合をしかけた。
期日(1535.2.12)が迫ったタルターリアがフィオルの側に秘密の解法があることを聞き、懸命に解法を考えついに8日前、3次方程式の一般の解を発見した。
ダル・フェロは x3+ax=b (a,b>0) の形の方程式しか解いていなかったが、それを知らないタルターリアは x3=ax+b (a,b>0) の形の方程式も解いたのである。負の数の概念がなかったため、この2つの型の方程式はまったく別のものと理解されていた。
1543年にカルダーノと共にダル・フェロの養子のアンニバーレ・デッラ・ナーヴェをボローニャに訪れたフェラーリが、ダル・フェロの手書きのノートの中に公式を見たという報告がある。[解I.1] トップ
シファー(Menahem Max Schiffer, 1911-.).
1939年にヘブライ大学で,Michel Feketeの下で,「共形表現と一葉関数」によってPh.D.取得.スタンフォード大学教授,名誉教授.不変式論,シファー微分方程式,シファー変分.n=4の場合のビーベルバッハ予想の解決.D.C.スペンサーとの共著Functions on Finite Riemann Surfaces, Princeton Univ. Press(1954)「有限リーマン面上の関数」など,著書多数. [ワ10] トップ
シムソン(Robert Simson, 1687.10.14-1768.10.1).
スコットランド,アールシャー,ウェスト・キルブライドに生まれ,グラスゴーに死す.
17人兄弟(成人したのは6人)の長男.14歳の1702年3月3日にグラスゴー大学に入学.当時は古典と東洋語と植物学に秀でていた.
父親は息子に聖職につくことを期待したが,神学の議論が要領を得ず思弁的なことに満足できなくなる.
気晴らしに東洋哲学の本を見,そこで真偽を示すことができる主張を発見,しかしまだ不満で,結局数学とユークリッドの原論にたどり着く.数学教授のロバート・シンクレアの講義がなかったので,独学.
1710年にシンクレア教授の辞任に伴い,教授職を提供されたが,すぐには受け入れず,ロンドンへ遊学.エドモンド・ハリー,ウィリアム・ジョーンズ,ハンフリー・ディットンらと親交.1711年11月10日にグラスゴー大学の教授会に呼ばれ,教授審査のために,2つの幾何の問題を解くことになったが,それを解き,数学的能力を示すと同時に,ロンドンでの友人の推薦を受け,11月19日に採用が決まる.
ハリーの勧めで,古代ギリシャの幾何学に関心.ユークリッドの不定命題に関する論文が1723年に王立協会哲学紀要に載る.アポロニウスの『円錐曲線についてLoci Plani』は1749年に,さらに不定命題や対数に関する著作が死後の1776年に出版される.さらにユークリッドの原論の復原にも努力し,1-6巻,11,12巻に対する彼の版は以降の標準となった.この仕事は長く掛かり,70もの異なる版がある.最初に出版されたのは1756年にグラスゴーでだが,その後,イギリスだけでなく,フランスやアメリカなどでも出版されるようになる.彼の講義はラテン語で行われ,原論も最初はラテン語で書かれたが,後に英語に書き直された.幾何学者としての名声は高かった.
当時,代数や無限小解析などが生まれていたが,議論は常に幾何学を使うようにした.ニュートンもプリンキピアを書くときは同じ立場にたった.
πの計算のために逆正接関数の級数展開を用いる論文もある.フィボナッチ数列の比が黄金比に近づくことを示した
講義はうまかったと言い,M.スチュアート(17171-1785),マクローリンなど,弟子も多い.1761年に辞任,弟子のジェイムズ・ウィリアムソンを後継にする.死後,16冊の研究日誌が出版される.
有名なシムソン線は彼の著作には見当たらず,この定理はシムソンのものだという伝聞をポンスレがジェルゴンヌ誌に書いたことによる.この定理はW.ウォレスによるもの.
[直] トップ
志村五郎(Shimura Goro, 1930.2.23-).
静岡県浜松の生まれ.東大卒.東京大学講師を経て,大阪大学教授(1961).プリンストン大学教授(1964).代数学,整数論,保型関数,代数幾何学.アーベル多様体の代数幾何の高次元化,谷山・志村予想はフェルマの最終定理の証明のために大きな役割を果たした. [名3] トップ
シーモア,ポール(Paul D. Seymour).
プリンストン大学数学科教授.グラフ理論.4色定理の簡単化. [名19] トップ
ジャーヴァ(Joseph L. Gerver).
サージ・ラングの弟子。現在、ニューヨークのラトガース大学教授。四色問題.リーマンの関数がπで微分可能であることを示した.[解III.9], [名序, 19] トップ
ジャウェット(Benjamin Jowett, 1817.4.15-1893.10.1).
ロンドン,キャンバーウェルに生まれ,オックスフォードに死す.
オックスフォード大学ベイリオル学寮長.神学者.ギリシャ語教授.プラトンの共和国やアリストテレスの政治の翻訳.
ベイリオル・カレッジのチューターとして学生の有名に,学寮長としても大物で,イギリスの大学改革に貢献.ヘンリー・スミスをベイリオルに採用した.
[列]
トップ
ジャクソン(Dunham Jackson, 1888.7.24-1946.11.46).
ミネソタ大学教授。近似関数論。周期的連続関数の三角多項式による近似や,補間三角多項式を調べる.『フーリエ級数と直交多項式』[解III.9] トップ
ジャコブソン(Nathan Jacobson, 1910.9.8-1999.12.5.).
ポーランド,ワルシャワに生まれ,アメリカ,コネチカット州,ハムデンに死す.7歳のとき,家族でアメリカに移住.最初アラバマ,ついでミシシッピ,最後にジョージアに住む.
アラバマ大学卒業(1930)後,プリンストン大学に移り,学位を得る(1934).その後アメリカ中の大学を転々とする.高等研究所(1934-35),ブリン・モー大学(1935-36).プリンストンでエミー・ネーターの講義を聴いたが,ブリン・モーに移る前の1935年の春に彼女は亡くなっている.
ディクソンのいたシカゴ大学(1936-37),北カロライナ大学(1937-43),ザリスキのいたジョンズ・ホプキンス大学(1941-).エール大学 (1947),教授(1949),隠退(1981).アカデミー会員,アメリカ数学会長.
環論. ジャコブソン根基は有名. リー代数, ジョルダン代数などの貢献以外にも, 代数に関して幅広く多くの著書がある.
- The theory of rings (1943)「環論」
- Lectures in abstract algebra (1951-64) 3巻「抽象代数講義」
- Lie algebras (1962)「リー代数」
- Exceptional Lie algebras (1971)「例外型リー代数」
- Structure and representations of Jordan algebras (1968)「ジョルダン代数の構造と表現」
- PI-algebras : an introduction (1975)「PI代数:序論」
[ワ3] トップ
シャゼル(Bernard Chazelle, 1955.11.5-).
エール大学で計算機科学のPhD取得(1980).プリンストン大学計算機学科教授.計算幾何学,グラフ理論.象に乗るのが趣味.[天32] トップ
シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916.4.30-2001.2.24).
アメリカ,ミシガン州,ゲイロードに生まれ,マサチューセッツ州,メドフォードに死す.
1936年ミシガン大学を数学と電気工学の学位をとって卒業.MITでは電気工学で修士,数学でPhD(1940年)を取得.
1941-72年ベル研究所に所属.1956年からはMIT教授.1948年情報理論を基礎づける論文を出版.ネットワーク,定常確率過,グラフ理論,人工知能,オートマトンなどを研究.[天30] トップ
シャトレ侯爵夫人(Marquise de Chatelet, Gabriell-Emile le Tonnelier de Breteuil, 1706.12.17-1749.9.10).
パリの生まれ。リュネヴィユのロレーヌ公の宮殿で、分娩の際、夫とヴォルテールと当時の恋人の見守る中で死ぬ。モーペルテュイとA.クレローの弟子。知識人のサロン。プリンキピアをフランス語に訳し(1745)、ニュートン理論のフランスへの普及に貢献。後、ライプニッツの哲学に傾倒し、『自然学原理』(1740)を発表。 [解文] トップ
シャープ(Abraham Sharp, 1651(53?)-1742.7.18)
イギリスの数学者で天文学者.三角関数表の計算.ニュートンの補間法と同じ方法を使ったと思われる.逆正接関数の級数展開に,1/√3を代入して,π を72桁まで計算(1699). [名2] トップ
シャファレヴィッチ(Igor' Rostislavovich Shafarevich, 1923.6.3-).
ソ連(現在はウクライナ),ジトーミルの生まれ.
10代で教科書よりも巨匠たちの仕事に触れることを好み,15才でヒルベルトの『整数論報告(Zahlbericht)』を読む.
1939年,17才で検定試験でモスクワ大学卒業資格を得る.19才で物理・数学修士(1942),21才で物理・数学博士(1946),スチェクロフ数学研究所准教授になる.1943年から現在まで同研究所で働き,同研究所代数部門部長(1960--1991).
モスクワ大学で教鞭(1944-75),1953年には教授.75年にモスクワ大学を解任されたのは,ソルジェニツィンをリーだとする反体制運動グループの活動家だったため.
デローネの弟子で,弟子にはユーリ・マニン,A.N.パルシン,I.ドルガチェフ,S.Y.アラケロフ,I.A.コストリキン,A.チューリンなど多数いる.
代数学,代数幾何学,代数的整数論.可解群Gに関するガロアの逆問題(Gをガロア群とするガロア拡大があるか.1954).シャファレヴィッチの相互法則(1950),ハッセ・シャファレヴィッチの公式.K3曲面.シャファレヴィッチ予想(ファルティングスはこれを示すことでモーデル予想を証明した).テイト・シャファレヴィッチ群.
文献
- 『代数幾何の基礎』Basic Algebraic Geometry(1972).
- 『整数論』Number Theory, with Z.I.Borevich(1964, 第3版は1985).日本語訳は,ボレヴィッチ+シャファレヴィッチ『整数論 上下』(佐々木義雄訳)数学叢書14,19吉岡書店(上1971.8.15,下1972.10.15)
- 『幾何学と群』 Geometry and Groups, with V.V.Nikulin(1983).日本語訳は,『幾何学と群』(V.V.ニクリンと共著,根上生也訳)シュプリンガー・フェアラーク東京.
- 『代数学の基礎概念』Fundamental Concepts of Algebra(1986).日本語訳は,『代数学とは何か』(蟹江幸博訳)シュプリンガー・フェアラーク東京(2001).
この本のために履歴を頂いたが,そこには,ロシア科学アカデミー会員で,ロンドン王立協会,アメリカ合衆国科学アカデミー,国立リンツェイアカデミー,ドイツ・レオポルド科学アカデミーの外国人会員であることと,1929年にレーニン章を授賞したことがあり,さらに,男女の2子と,4人のお孫さんに,1人の女の曾孫がおられることが書いてあった.
- 『代数学講義』Discources of Algebra(1986).日本語訳は,『代数入門』(蟹江幸博訳)日本評論社(2009予定).
[代6, コ] トップ
シャプリー(Lloyd Stowell Shapley, 1923.6.2-.).
アメリカ,マサチューセッツ,ケンブリッジの生まれ.プリンストン大学でPhD取得(1953).アメリカ,カリフォルニア大学ロスアンジェルス校数学・経済学科名誉教授.集合論,ゲームの理論,数理経済学,プログラミング. [天26] トップ
シャリル(Micha Sharir). イスラエル,テル・アヴィヴ大学計算機科学科教授.計算幾何学,組合わせ幾何学,アルゴリズム,ロボット工学. [天32] トップ
シャール,ミシェル(Michel Chasles, 1793.11.15-1880.12.18). パリ近郊シャルトル,エペルノンに生まれ,パリに死す.誕生時の名前はフロレアル(Flo\'eal)であったが,16才の誕生日に改名.幾何学及び数学史.
エコル・ポリテクニク入学(1812).在学中の1814年初,ナポレオンが対露戦に敗北,パリ防衛戦に参戦.後復学し卒業.材木商だった父の望みで商業に従事するも,数学と歴史への興味に戻る.最初の著作は,ユークリッドの失われた3巻に射影に関した記述があることを述べた著作『幾何学における方法の発展の起源の歴史的概観』(Apercu historique sur l'origine et le developpement des methodes en geometrie)(1837)で,
1841年からエコル・ポリテクニクの教授になり,測地学,力学,天文学を教える.弟子にダルブー,H.A.ニュートン.
1846年から彼のために特設されたソルボンヌの高等幾何学教授(終身)になるが,1851年までは母校でも講義を続ける.
『幾何学教程』(Trait\'e de g\'eom\'etrie)(1852)と『円錐曲線講義』(Trait\'e des sections coniques)(1852)を書き,非調和比,束(pencil)などの概念を使って,座標を使わない総合射影幾何学を作り上げる.円錐曲線の数えあげでも有名. トップ
シャンクス,ダニエル(Daniel Shanks, 1917-). 息子のオリヴァー(Oliver)は,ウィリアム・シャンクスとは血族ではないと証言している.
レンチJr.とともに,IBM7090を用いて,πを10万265桁まで計算(1962).
『整数論における解決および未解決問題』(1978).g(x)をxとxより大きな最小の素数との間にある合成数の数とする時,log p(g)〜√gと予想する(1964).
NSW数を定義(位相幾何学者のM.H.A.ニューマン(コンピュータによるメルセンヌ素数探索を最初に行った人)とヒュー・ウィリアムズの3人).この数は指数が平方数である有限単純群があるかという問題に関連して定義された.NSW素数の探索も行われている.
マン(Mann)と共に,素数を,関連する数のある2項係数の整除性による特徴付けをした(1972).オイラー擬素数を提案(1962).レンチと共に双子素数と関連したブルン定数Bを計算(1974),B=1.90216054...他にも素数の存在に関する幾つかの数値を計算している.
トップ
シャンクス,ウィリアム(William Shanks, 1812.1.25--1882).
イギリス,ノーサンバーランド,コーセンサイドに生まれ,ダーラム,ホートン・ル・スプリングに死す.
ダーラム近郊の採炭エリアのホートン・ル・スプリングで寄宿学校を経営.
1873年にπを707桁計算したと発表.手計算では最高の桁数だが,1944年になって,ファーガソン(D.F.Ferguson, 1889- )が528桁目に間違いがあることを指摘.
シャンクスが使った式はマチンの公式
π/4 = 4 tan-1(1/5) - tan-1(1/239).
ファーガソンの式は
π/4 = 3 tan-1(1/4) + tan-1(1/20) + tan-1(1/1985).
しかし,間違いが起きたのは,tan-1(1/5)の値の531桁目が間違っていた所為だったと言う.
シャンクスはまた自然対数の底eとオイラーの定数γも多くの桁,計算した.60000までの素数表を発表.2と3と5と10の自然対数を137桁計算し,60までのm に対し212m+1の計算をした.
彼は毎朝πの新しい桁を計算し,午後は午前中の計算をチェックするという日課だったという.
トップ
ジャンセン(Jeanette C. M. Janssen).
アメリカ,ペンシルヴァニア,リーハイ大学で数学のPhD取得.その後カナダとイギリスに行き,現在カナダ,ハリファックス,ダルハウジー大学助教授.グラフ理論. [天26] トップ
シャンポリオン(Jean-Fran\c{c}ois Shampollion, 1790.12.23--1832.3.4.).
フランス,ロト県フィジャックに生まれ,パリに死す.幼時から語学の才能を発揮し,ヨーロッパ語以外にも東洋語や古代の言葉に関心.1809年グルノーブル大学歴史学教授となる.
先行するT.ヤングを抜いて,ロゼッタ・ストーンの解読に成功し,古代エジプト象形文字の分野を開拓. [モ幾] トップ
シューア(Issai Schur, 1875.1.10-1941.1.10.)
ベラロシア,モギリョフに生まれ,パレスチナ,イェルサレムに死す.
13歳でラトヴィアに行き,1894年ベルリン大学に入学し,フロベニウスに学ぶ.ボン大学,ベルリン大学教授(1913).1939年ナチの迫害のためパレスチナに亡命.表現論,数論,ガロア理論,有限群論,行列論,直交関数系理論.シューアの補題,シューア関数,シューア多項式. [珠説3.10], [代9], [天3], [ワ序,2,3,4,5,7,8,9] トップ
シュヴァリエ(August Chevalier, 1809-1869.)
ガロアの友人で,ガロアが決闘に赴く前夜に彼に残した手紙にガロア理論のエッセンスが書かれていた. [ワ2] トップ
シュヴァルツ(Karl Herman Amandus Schwarz, 1843.1.25-1921.11.30).
ポーランド、ヘルムスドルフ(現在ドイツ領)に生まれ、ドイツ,ベルリンに死す。
初めベルリン工科大学で化学を学んだが、クンマーとワイエルシュトラスの影響で数学に転向。1861年のワイエルシュトラスの積分法の講義でとった彼のノートが残っている.
1864年に学位を取得,ハレ大学(1867),チューリヒ大学(1875),ゲッティンゲン大学(1875)の後,ワイエルシュトラスの後任としてベルリン大学教授(1892-1917).クンマーの娘と結婚。結婚以来数学以外にも関心が出来、消防団の団長をしたり地方鉄道の駅長を助けて列車のドアを閉めることもした。
等角写像、変分学、超幾何級数、偏微分方程式。共形写像論.変分法,極小曲面論.ディリクレの問題の解決のために考案した交代法.1885年,与えられた極小曲面が本当に極小の面積を持つかという問題を解決.このアイデアがE.ピカールの微分方程式の解の存在証明に影響.
大学初年級で有名なものには,積分に関するシュヴァルツの不等式や,曲面の面積が内接する多面体の表面積の極限と定義してはいけないという反例を与えたことで知られる.
[解III.4-5, IV.1-4, 文], [名15], [天16, 18, 21, 29, 30], [ワ8] トップ
シュヴァレー(Claude Chevalley, 1909.2.11-1984.6.28.)
南アフリカ共和国,トランヴァール,ヨハネスブルグに生まれ,フランス,パリに死す.
パリのエコール・ノルマル・シュペリオール卒業.パリ大学理学部教授.ブルバキ創設メンバーの一人.
代数学,トポロジー,整数論.単純群のシリーズであるシュヴァレー群の発見,A.ヴェイユとともにアデールとイデールの理論の創始.リー群論,等質空間のコホモロジー理論など業績も多い.東北大学に客員としていたことがある.8元数の新しい構成法.
- 『リー群論』Theory of Lie Groups
- 『リー環論』Theory of Lie Algebras
- 『代数学の基礎概念』Fundamental Concepts of Algebra
- 『代数群』
- 『スピノルの代数理論』The Algebraic Theory of Spinors, Columbia Univ.Press(1954).
[代11, コ] トップ
ジュコーフスキー(Nikolai Egorevich Zhukovskii, 1847.1.17-1921.3.17.)
ロシア,オレホヴォ村の生まれ.
モスクワ大学卒業(1868).モスクワ高等工業学校教授,モスクワ大学客員教授.航空理論,空気力学,水理学,水路学,力学,数学,天文学など.複素関数論を流体力学に応用.解析関数の境界についてジュコーフスキーの定理と呼ばれるものがある.
レーニンは彼をロシア航空理論の父と呼んでいる. [パ附1, 年表] トップ
朱世傑(Tshu shi Kih, 字は漢卿、号は松庭。中世中国、宋・元代の人。1208-1303)。
官に仕えず。天元術(算木を使って高次方程式を解く方法)も論じている『算学啓蒙』(1298)、4変数の未知数を持つ方程式系(非線形も)論じる『四元玉鑑』(1303)。[解I.2, 文] トップ
シュタイナー(Jakob Steiner, 1796.3.18-1863.4.1)。
スイス,ウッツェンシュトルフに生まれ,ベルンに死す.
14歳になるまで読み書きを習わず,両親の反対を押し切って18才で学校教育を受けることに.ハイデルベルク大学とベルリン大学で学ぶ.クレレ誌の初期の寄稿者.1834年にベルリン大学教授に任命され,その死まで職に留まる.
射影幾何野発展に貢献(シュタイナーの定理,シュタイナー曲面.).ユークリッド幾何の作図に関するポンスレ・シュタイナーの定理.シュタイナーのデルトイド,シュタイナーの三角形.代数と解析が嫌いだったという.
[直] トップ
シュタンピオーエン(Jan Jansz de Jonge Stampioen, 1610-1690)。
オランダ、ロッテルダムに生まれ、ハーグに死す。
ロッテルダムで数学を教えていたが、1638年にハーグに移り、ウィリアム王子の家庭教師となる。
2年後王子は父の王位を継承しオランダを議会制国家にする。
ハーグにいる間印刷屋を開業し、自分の数学的著述を印刷する。『代数学』(1639).
ヴァン・スホーテンのサインの表に自身の球面三角法を付加した。
1633年デカルトを公開の試合で退け、さらに3次式の解について2度の試合をする。1644年、ホイヘンスとその弟の家庭教師となる。
トップ
シュティーフェル(Michael Stifel=Styfil,Stieffel, 1487-1567.4.19).
ドイツ、エスリンゲンに生まれ、ドイツ、イェーナに死す。
イェーナ大学教授(1559)。アウグスティヌス派の司祭を罷め、ルターの宗教改革運動に参加。ヨーロッパで最初に負の数を使い始めた一人。ベキの分数指数、ゼロ指数、また「指数exponent」という用語の導入。イタリア式の p(プラス)、m(マイナス)の記号でなく、 +,- の記号の普及に尽力。
『算術全書』(1544)で、分数の割り算を分数の掛け算の逆演算として定式化、また、2次方程式の多様な数値例を見掛け上1つの形式に統一する。パスカルの三角形もこの本に載っている。この時期ドイツで 代数学の教科書が何冊か書かれるが、アピアヌスの本にもパスカルの三角形は印刷されている。[解I.2-3, 文] トップ
シュテッフェン(Klaus Steffen). ドイツ,デュッセルドルフ大学数
学研究所教授.ジャバラ運動を持つ曲面の例(シュテッフェン多面体). [天11] トップ
シュトゥーディ(Eduard Study, 1862.5.23-1930.1.6).
ドイツ,コーブルグに生まれ,ボンに死す.1880年からドイツ各地の大学で学び,1884年ミュンヘン大学から学位を取得.1885年にライプツィッヒ大学数学講師になり,そこでゴルダンから強い影響.しかし,一般に彼は独学の人で,独特の感覚を持っていた.1888年マールブルグ大学に移る.1893年渡米し,ジョン・ホプキンス大学を基地に色々な大学で教える.1894年ドイツに戻り,ゲッティンゲン大学の特別教授.1897年グライフスヴァルト大学教授,1904年ボン大学教授(1903年10月に死んだリフシッツの後任).ボン大学引退の3年後,ガンで死す.
複素数の幾何.シューベルトの数え上げ幾何の基本原理を,セヴェリと独立に再定式化.
不変式論では記号の発展で貢献.座標によらない幾何の定理の証明を模索.J.L.クーリッジ(ボン大学での弟子)とともに,楕円空間における直線の研究.
Geometrie der Dynamen(1903)「力学の幾何」で,ユークリッド運動学と剛体の力学を論じる.単純群の幾何的構成.「積分不変式」という言葉を導入(1905).
蝶の収集家としても有名.
[ワ2] トップ
シュトラウス(Ernst G. Strauss). エルデシュの共同研究者だけでなく,アインシュタインの助手でもあった. [天29] トップ
シュトラセン(Strassen, ).
1968年にFFT(高速フーリエ変換)を用いて大きい整数の積を素早く計算する方法を発見.1971年にはシェーンハーゲ(Sh"onhaage)とともにこの方法を改良したものを出版.
後に,リチャード・クランドル(Richard E.Crandall)によってメルセンヌ素数の探索に利用された.πの計算にも利用されている.
Volker Strassen, 1936-.バーゼル大学,チューリヒ大学教授.確率論(局所時のシュトラセンの法則,シュトラセン問題),代数の計算法(シュトラセン・ニュートンの算法),線形計画法など.1969年に一般の連立1次方程式を解くのにガウスの算法が最適でないこと,最小の労力で解く算法を示した.
??この人と同じ人か???@@@
トップ
シュトラング(William Gilbert Strang, 1934-). MIT教授.代数トポロジー.線形代数と解析学の教科書と,有限要素法の教科書を書く.
シュトラングの奇妙な図形.[解I.4, IV.5] トップ
シュトルツ、オットー(Otto Stolz, 1842.5.3-1906.10.25).
オーストリア、ハルに生まれ、インスブルックに死す。
ゲッティンゲンに学んだ後インスブルック大学教授。F.クラインの友人。ワイエルシュトラスの講義を聴き,微積分学の基礎に関する著述.積分論,多変数関数の微分可能性の概念を示す.微積分学の歴史,とくにボルツァーノについて.[解II.1, III.1, IV.3, 5] トップ
シュナイダー(Theodor Schneider, 1911.5.7-1988.)
ドイツ,フランクフルト・アム・マインの生まれ.フランクフルト大学卒.ゲッティンゲン大学,エルランゲン大学,フライブルグ大学に勤務.
整数論,代数学.C.L.ジーゲルの弟子.超越数論.ヒルベルトの第7問題(種々の数の超越性の証明),とくに 22を含む超越性の証明:A.O.ゲリフォントの結果(1934)の別証(1935).ある種の関数の特殊値として超越数を表現(1935-41).1982年にドイツ数学会でジーゲルの数論の業績に関する講演. [名4] トップ
シュニレルマン(Lev Genrikhovich Shnirelman 1905.1.2 (15?) -1938.9.24.)
ベロロシア,ゴメルに生まれ,ソ連,モスクワに死す.
モスクワ大学に16歳で入学し,1925年卒業.ヒンチン,ルージン,ウリゾーンに学ぶ.1934年以後モスクワ大学および科学アカデミー研究所に勤務.整数論,代数学,トポロジー,変分法の位相的方法.閉測地線に関するポアンカレの問題を解く(リュステルニク・シュニレルマンの定理).ゴールドバッハの予想の解法に本質的な進展(任意の自然数は20個以下の素数の和に書けることを証明). [珠訳序,第2章, 3.1, 説2.1, 文] トップ
シュパイザー(Angreas Speiser, 1885.6.10-1970).
スイス,バーゼルの生まれ.バーゼル大学教授(1949-).
代数学,数学史(オイラー,リーマンなど).ガロア・コホモロジーのヒルベルト・シュパイザーの定理.
『有限位数の群の理論』Die Theorie der Gruppen von endlicher Ordnung(第3版, 1937) は有限群に関する定本の1つ. オイラー全集編集長.
[代コ], [和1, 2] トップ
シュピース(O.Spiess). オイラー研究.[解II.8, 10] トップ
シュービン(Mikhail A. Shubin).
モスクワ大学で,M.ヴィシクの下で「パラメータに依存する行列関数の分解とウィーナー・ホップ方程式」という論文で博士号取得(1969).修士は1966年.理学博士号はLOMIで取得(1981).モスクワ大学(1969--1990),MIT(1991--1992),ノース・イースタン大学教授(1992-).
微分方程式,幾何解析,数理物理. トップ
シュペヒト(Wilhelm Specht, 1907.9.22-1985.)
1932年ベルリン大学で,I.シューアの指導の下,Eine Verallgemeinerung der symmetrischen Gruppe(対称群の1つの一般化)により,Ph.D.取得.
エルランゲン大学教授.
代数幾何学,群論,有限群の表現論.
[ワ4] トップ
シュペルナー(Emanuel Sperner, 1905.12.9-1980.12.17).
1928年,ハンブルグ大学で,O.シュライアーとW.ブラシケの指導の下で,「次元数と領域の不変性に関する新しい証明」により,哲学博士号取得.
ケーニヒスベルク,ストラスブール,フライベルク,ボン,ハンブルクの各大学に勤務.代数学,組み合わせ論,一般トポロジー.集合の鎖や反対鎖に関するシュペルナーの定理や次元の不変性の組み合わせ論的証明に使えるシュペルナーの定理は天書の証明にも載っている.O.シュライアーとの線形代数に関する共著がある.
[天18, 21, 22] トップ
シュミット,エルハルト(Erhard Schmidt, 1876.1.13-1959.12.6.)
ドイツ,デルプト(現在はエストニア,タルツ)に生まれ,ドイツ,ベルリンに死す.
ドイツの諸大学で学び、教える.ヒルベルトの指導のもとで学位論文.ドイツ数学研究所初代所長.
主な関心は関数解析、とくに積分方程式論とヒルベルト空間.ヒルベルト空間論にユークリッド幾何の概念を移築.グラム・シュミットの直交化で有名(このプロセス自身はすでにラプラスが示している).
[ト付D.5], [ワ1] トップ
シュミット,オットー(Otto Shmidt(=Schmidt)= Отто Юльевич Шмидт), 1891.9.30-1956.9.7.)
ロシア,モギリョフの生まれ.キエフ大学卒業(1913).キエフ大学(1916-20),モスクワ林業大学(1920-23),モスクワ大学(1923-51)で教鞭.北極研究所とソ連地球物理学研究所の創始者で初代所長.ソ連科学アカデミー副総裁(1939-1942).数学ばかりでなく,宇宙発生論や地球生成論にも貢献.
数学では主に群論に貢献.クルル・レマク・シュミットの定理.『群の抽象理論』(1916).無限作用素群の直交展開.モスクワ大学の群論セミナーを主宰.
[代16] トップ
シュライアー(Otto Schreier, 1901.3.3-1929.6.2).
オーストリア,ウィーンに生まれ,ドイツ,ハンブルクに死す.1920年ウィーン大学に入学し,1923年11月8日に群拡大の理論で学位取得.その後28才で病死するまでハンブルク大学に在職.
フルトヴェングラーとライデマイスターの影響を強く受ける.連続群や結び目群の研究など.
[珠訳序], [ワ8] トップ
シュラム(Oded Schramm).
マイクロソフト研究所.グラフ理論,特に確率論を使うもの.
[天14] トップ
シュレーダー(Friedrich Wilhelm Karl Ernst Schr\"{o}der, 1841.11.25-1902.6.16).
ドイツ,マンハイムに生まれ,カールスルーエに死す.ハイデルベルク大学でO.ヘッセとキルヒホッフに学び,ケーニヒスベルク大学でフランツ・ノイマンに学ぶ.G.ブールとグラスマンの影響を受け,数理論理学を展開.集合論,とくに順序数や順序集合の理論.1890年の著書で,集合の「含む」「含まれる」という概念と⊂,⊃ の記号を導入.論理代数,アルゴリズム論はタルスキの仕事に発展.
[天15] トップ
シュレーフリ(Ludwig Schlafli, 1814.1.15-1895.3.20.).
スイス,ベルン,グラスヴィルに生まれ,ベルンに死す.ベルリン大学卒業,後教授(1853).初め神学を学び,後数学に転向.語学に優れ,サンスクリットを話すこともできた.
1843年にシュタイナー,ヤコビ,ディリクレがローマに旅したとき通訳を務め,彼らの数学に大いに啓発されたという.
関数論(楕円関数,等角写像,球関数など),偏微分方程式のほか,幾何や代数でも.多様体概念の萌芽(1852).ベッセル関数やルジャンドル関数の積分表示.複素半単純リー環のシュレーフリ図形(ディンキン図形の前身).また4次元ユークリッド空間の中の3次元球面が非ユークリッド(楕円)幾何のモデルであることを示す. [名17, 23] トップ
ジョイヤル(Andr\'e Joyal, 1943.2.25-).
カナダ,モントリオールのケベック大学数学科教授.代数,数理論理学,組合せ論,トポロジー,情報理論,経済数学.
[天24] トップ
正田健次郎(Kenjiro Shoda, 1902.2.25-1977.3.20.).
群馬県の生まれ.
東京大学卒(1925).エミー・ネーターに学ぶ.大阪大学教授(1933-),総長(1954-58).武蔵大学学長.今上天皇の皇后の叔父で,日本における数学の地位向上にも貢献.
代数学.日本の近代代数学研究の草分け.
[ワ3] トップ
ショウルズ(John Scholes). [天6] トップ
ジョルダン、カミーユ(Marie Ennemond Camile Jordan, 1838.1.5-1922.1.22).
フランス、リヨンで生まれ、イタリア、ミラノで死す。
エコール・ポリテクニクと鉱山学校卒業.エコール・ポリテクニクとコレージュ・ド・フランスで働く.
数論,関数論,幾何学,トポロジー.
ジョルダン・ヘルダーの定理、ジョルダンの標準形、ジョルダンの閉曲線定理、ジョルダン曲線、ジョルダン測度,ジョルダン代数,ジョルダン加群,ジョルダン準同型.群論およびガロア理論最初の教科書(1870)。『解析教程』全3巻(1882-87).弟子のS.リーとF.クラインにより発展された連続群の概念の萌芽。 [解IV.1], [名答19.6, 19.10], [代6, 9-10, 12-14, 16, コ], [ワ2] トップ
ジョーンズ、アーサー(Arthur Jones, 1934-.).
オーストラリア,ラ・トローブ大学数学・統計学校.ホームページになぜ数学を学ぶのかという論説がある. [名4, 文] トップ
ジョーンズ、ウィリアム(William Jones, 1675-1749.7.3).
ウェールズ、アングレシーに生まれ、イギリス、ロンドンに死す。
ニュートンを含め17世紀の多くの数学者との手紙に資料価値。王立協会員(1711)。
円周率をπεριφερια からπと書いた人(1706年。普及するのはオイラーの著作(1737)以降)。 [解I.4, 文] トップ
ジラール,アルベール(Albert Girard, 1595-1632.12.8.)
フランス,サン・ミイール(St Mihiel)に生まれ,オランダ,ライデンに死す.フランスから宗教上の理由でオランダに亡命.ライデン大学教授.
代数学の基本定理を初めて述べ,0, -1, 負の指数の公然とした使用.球面三角形の面積を求める.sin , cos, tan という省略記号を初めて使う(1626).フェルマの定理を推測(1632). [名1, 5, 13, 17], [珠2.1] トップ
シルヴァーマン(Joseph H. Silverman, 1955-.)
ブラウン大学数学教授.代数幾何.日本語の本に,J.テイトとの共著『楕円曲線論入門』(足立恒雄ほか訳)シュプリンガー・フェアラーク東京(1995)がある. [名序,文] トップ
シルヴェスター(James Joseph Sylvester, 1814.9.3-1897.3.15.)
イギリス,ロンドンに生まれ,ロンドンに死す.
ケンブリッジ大学卒業(1837).弁護士でもある.保険会社に勤めたこともあり(1845-45),ウーリィッジ陸軍大学校教授(1855-69).
1877年にジョンズ・ホプキンス大学教授となり,1878年にAmerican Journal of Mathematicsを創刊.
目が不自由でもあり,イギリスに帰ってオックスフォード大学教授に(1892).
数論.代数.ケイリーと共に行列の理論を作る.1851年に3次方程式の判別式を発見.判別式,不変式,共変式,交換子などの用語を発明.
[天3, 8, 10, 24], [ワ2] トップ
シールズ(Allen Lowell Shields, 1927-1989.2.16).
アメリカ合衆国に生れ,ミシガン州,アナーバーに死す。ニューヨーク市立大学を卒業後,M.I.T. でWitold Hurewiczの指導で学位取得(1952).私的には当時パリとMITに半々にいたRaphael Salemの指導を受ける.
初めトゥレーン大学に勤め,関数開析に親しみ位相半群の研究をする.
1955年にアナーバー大学教授に.
関数開析,作用素論,測度論,複素関数論など.
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シロー(Peter Ludvig Mejdell Sylow,1832.12.12-1918.9.7).
ノルウェー、クリスチャニア(今のオスロ)に生まれ、同地に死す。クリスチャニア大学教授(1898)。
解析関数論,変換群論.シロー群,シローの定理.アーベル全集の編集。[解文] トップ
ジンガー(Isadore Manual Singer, 1924.5.4-).
アメリカ,デトロイトの生まれ.MIT教授.微分幾何,スペクトル幾何,複素多様体論,群論,K理論,バナッハ環.楕円型微分作用素のアティヤ・ジンガー指数理論.リーマン・ロッホの定理の高次元化.無限リー群.η関数.大域解析学. [解人], [ト人] トップ
シンプソン、トーマス(Thomas Simpson, 1710.8.20-1761.5.14).
イギリス、ライチェスターシャー、マーケット・ボスワースに生まれ、同地に死す。
ウーリッジ陸軍大学校教授。ロンドン王立協会会員(1746)。数値積分のシンプソン則以外はド・モアヴル流の確率論。πの計算. [解II.6, III.5, 文] トップ
シンプリキオス(Simplicius, 490頃-560頃).
アナトリア(現在トルコ領)南部の,シリシアに生まれ、恐らくはギリシャ,アテネに死す。アナトリアは紀元前1世紀からローマの属州.アレキサンドリアに行き,アモニウスの下で哲学を学ぶ.アモニウス自身はプロクロスとエウトキオスの弟子で,アルキメデスの『球と円柱について』の第1巻の注釈をした.またアリストテレスを批判的な考察する仕事が多く,後にシンプリキオスもアリストテレスに関する広範な注釈書を書いている.
その後アテネに行き,新プラトン主義のダマスキオスの下で学ぶ.ダマスキオスは520年頃から,529年にキリスト教信者のローマ皇帝ユスティニアスが閉鎖するまでのプラトンのアカデミアの長であった.
ダマスキオスとともにアテネを追放され,文化を高く評価するペルシャ王の下に行く.532年のローマとペルシャの停戦後にアテネに戻ることが可能になったが,講義することは許されなかったようで,そのため彼の著述は講義調ではなく,アリストテレスの著述に詳細な注釈を加えている.数学史的には,その注釈の中で言及した数学者たちの業績が重要で,彼の著書によってしか残っていないものが少なくない.
エウドクソスの同心球に関する詳細な考察もその1つである.また,今は失われているエウデムスの『幾何学の歴史』から長文の引用をしている.その中にヒポクラテスの月形の議論や,アンティフォンの円の方形化の努力などが含まれている.また,ユークリッドの『原論』の注釈もあり,アラビア語に翻訳されたために失われずに済んでいる.その中には,シンプリキオス自身の平行線の公理の証明に向けた努力は書かれていないが,彼がそういう努力をしたことはアラビア語の文献の中に見られる.
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Born: about 490 in Cilicia, Anatolia (now Turkey)
Died: about 560 in probably Athens, Greece
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