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か 
ガイ(Richard K. Guy, 1916- ).
イギリス,ナニータンの生まれ.ケンブリッジ大学卒(1938),修士(1941).
カナダ,カルガリー大学理学部,数学・統計学科教授.グラフ理論,組み合わせ幾何学,数論.
日本語の本に『数論における未解決問題集』(一松信監訳,1983),『幾何学における未解決問題集』(H.T.クロフト,K.J.ファルコナーと共著,秋山仁訳),『数の本』(コンウェイと共著.根上生也訳,2001)(すべてシュプリンガー東京刊),『[数学]じかけのパズル&ゲーム』(E.R.バーレキャンプ,J.H.コンウェイと共著,小谷他訳,HBJ出版局,1992)などがある。 [名17], [天32],
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カイパー(Nicolaas Hendrik Kuiper, 1920-).
ライデン自由大学で学位(1946).微分幾何,微分トポロジー,力学系.
アムステルダム大学教授.フランスIHES所長. 弟子に
Leo Corsten(1957), Eduard Looijenga(1974),
Dirk Siersma(1974), Floris Takens.
ヒルベルト多様体.可分なヒルベルト空間上の可逆な有界線形変換のなす群が可縮であること.いかなる微分構造も持たない位相多様体の例.異種球面が最小はめ込みを持たないこと.
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カヴァリエーリ、ボナヴェントゥラ(Bonaventura Francesco Cavalieri, 1598-1647.11.30).
ハプスブルグ帝国、ミラノ公国、ミラノに生まれ、教皇領ボローニャに死す。
イエズス会修道師。ガリレイの弟子。ボローニャ大学教授。『不可分量の幾何学』(Geometria indivisibilibus, 1635)。カヴァリエーリの原理は,アルキメデスの搾り出し法と近代的な積分論の中間の里程標の位置にある。ルネサンス人らしく多方面に興味を持つ。
ガリレイは彼を、幾何学においてアルキメデス以来の深さに到達したと評している。 [解I.3, II.4, IV.5] トップ
ガウス、カール・フリードリヒ(Johann Carl Friedrich Gauss, 1777.4.30-1855.2.23).
ブラウンシュヴァイク公国、ブラウンシュヴァイク(現在ドイツ領)に生まれ、ハノーヴァー、ゲッティンゲン(現在ドイツ領)に死す。
ゲッティンゲン天文台長(30才)、ゲッティンゲン大学教授(31才)。数学上の伝説は数多く、どれを省くこともできないので、すべて省略。ただし、正17角形の作図可能性の発見は、彼が数学に献身するきっかけでもあり、自分の墓に刻んで欲しいと願ったことだけ(実際には刻まれなかったが)述べておく。
パトロンのブラウンシュヴァイク公爵がプロシャとの戦争で死ぬまでは、家庭的にも恵まれていたが、その後ゲッティンゲンに移り(1807)、父をなくし、妻を次男のお産でなくし、その子もすぐに死んでいる。その後は家庭的には恵まれなかったと言われる。
1801年1月1日にG.ピアッツィ(1746.7.16-1826.7.22)によって発見された小惑星ケレスは6週間追跡観測されたが,太陽の位置との関係で見失われてしまった.ガウスはこの軌道を計算するため,3回の観測だけで小惑星の軌道を素早く計算する方法を開発し,発表した(1809).ガウスは自分の計算による予測をゴータ天文台のツァハに送り,1802年1月予測した位置の近くでH.W.M.オルバース(1758.10.11 -1840.3.2) によって発見された.
1831年以降W.E.ヴェーバーと共同で電気と磁気の研究をし,電磁気通信機を発明した.地球規模での地磁気の測定.
代数学(代数学の基本定理),整数論,複素関数論,楕円関数論,代数関数論,微分幾何,測地学,天文学,電磁気学など幅広い.創始した概念には,平方剰余,合同式,最小二乗法,誤差論,非ユークリッド幾何,ポテンシャル論,,正規分布.空間曲線のまつわり数を線積分で定義.正多角形の作図可能性.複素数という名前.
名前のついたものに,ガウス和,ガウスの超幾何関数,ガウスの超幾何微分方程式,ガウス曲率,ガウス方程式,ガウスの基本定理,ガウス写像,ガウス・マニン接続,ガウス・ボネの公式,ガウス核,ガウス過程,ガウス密度,ガウス測度,ガウス積分,ガウス系,ガウス平面,ガウス整数,ガウス記号,ガウスの消去法.ガウス--ザイデル法,ガウスの円の問題,数値積分のガウスの(補間)公式.またガウスは磁束密度の単位でもある.
日本語の本に『ガウス整数論』(1801)(高橋正仁訳)朝倉書店、『誤差論』(飛田武幸、石川耕春訳)紀伊国屋書店がある。また、ガウスの伝記や業績については、ダニングトン『ガウスの生涯』(銀林浩+小島穀男+田中勇訳)東京図書、G.ギンディキン『ガウスが切り開いた道』(三浦伸夫訳)シュプリンガー・フェアラーク東京、高橋正仁『ガウスの遺産と継承者たち』海鳴社などがある。
[解I.4-6, II.6, III.0, 3, 8-9, IV.5], [パ年表], [名2, 5-7, 13, 15, 19], [ト6, 8, 文], [珠訳序, 説1.7.2, 3.2.4, 3.4, 3.5.1, 文], [代3, 6, 11, 22, コ], [ブ50], [天7,23],[ワ2, 6, 7] トップ
カウンツナー(W.Kaunzner)。数学史家.レギオモンタヌス研究. [解I.4, 文] トップ
カガン(Veniamin F\"edorovich Kagan(Каган), 1869.3.9-1953.5.8)。 ロシア,シャウリャイ(現在リトアニア共和国)の生まれ.1887年ノヴォシビルスク大学物理・数学部に入学するも大学改革運動に参加し退学.校外生としてキエフ大学を卒業(1892).オデッサ大学(1904-1923),モスクワ大学教授(1923-).
幾何,テンソル解析.ロバチェフスキーの業績の普及に努力.『幾何学の基礎1,2』(1905-07)で,ユークリッド幾何の公理系の検討.運動群の不変量としての距離概念に基づく点が,後のヒルベルトの公理系とは異なっている. [天7] トップ
カークウッド(Daniel Kirkwood, 1814.9.27-1895.6.11.)
アメリカ,メリーランド,ハーフォードハーフォードに生まれ,カリフォルニア,リバーサイドに死す.
デラウェア大学数学教授(1851-56),インディアナ大学数学教授(1856-65, 1867-86).数学者で天文学者.
小惑星の公転軌道に「カークウッドの間隙」を発見し(1866),木星の摂動によると説明。土星の輪のカッシーニの間隙も土星の衛星の摂動によると説明. [パ24, 年表] トップ
カークマン(Thomas Penyngton Kirkman, 1806.3.31--1895.2.3.)
イギリス,ランカシャー,ボルトンの生まれ.
ダブリン大学卒(1833).教区司祭(1839).ロンドン王立協会会員(1881).
四元数論,組み合わせ論(カークマンの15人の生徒の問題),射影幾何でのカークマン点.有限幾何の組み合わせ論的扱い.
[列] トップ
カジョリ、フロリアン(Florian Cajori, 1859.2.28-1930.8.14).
スイス、サン・エグナムに生まれ、アメリカ、カリフォルニア、バークレイに死す。
1875年にアメリカ合衆国に移民、チュレーン大学応用数学教授となる。
各地の大学を経て、1918年バークレイの数学史教授になる。
主な著書に『数学史』(第2版、1919)、『数学記号の歴史』(1928-29)、『ウィリアム・オートレッド--17世紀の偉大な数学教師』(1916), 死後出版の『ニュートンのプリンキピア』(1934)がある。 [解,人索], [ブ50] トップ
ガスリー兄弟(Francis and Frederick Guthrie).
数学から法律に転向した兄のフランシスが4色問題(どんな地図も4色で塗り分けられること)を数学の問題として定式化し,数学を学んでいた弟のフレデリックを通してその師のド・モルガンに伝えられ,イギリスの数学界に問題が広まっていき,1878年にケイリーがロンドン数学界の会報に公開することで公の認知を得る. [名19] トップ
カッシーニ、ジョヴァンニ(Giovanni Domenico Cassini, 1625.6.8-1712.9.14).
ジェノア共和国(現在はイタリア領)、ペリナルドに生まれ、フランス、パリに死す。
ジェノアのイエズス会学院で学ぶ。パンツァノ天文台で観測(1648-1669)、1650年にボローニャ大学天文学教授。 彗星の観測(1652-3と1664-5)の詳細の記録を出版。水力学や工学にも興味。特にポー川の治水については貢献。都市の要塞化の監督とか、河川管理に関して教皇に雇われていた。
1669年、ルイ16世によりパリに招聘。1671年からパリ天文台長。
土星の4つの衛星の観測(1671, 1672, 1684, 1684)、土星の輪の構造、特に隙間を見つけた(1675年、カッシーニの間隙)。木星の大赤点の発見(1665).
カッシーニの卵形線は、太陽と地球の相対運動の研究の一環として考察したもの。また、地球の経線の長さを測るのでは、長く見積もりすぎて、地球の形を縦長の卵形とみなして失敗(1712年)。24年後、モーペルテュイがニュートンの予言に従い、値を修正した。 [解IV.3], [パ24] トップ
カッツ(Marc Kac, 1914.8.3--1984.10.26).
ロシア帝国,ポーランド,クレメネッツ(Krzemieniec)に生まれ,アメリカ,カリフォルニアに死す.誕生当時ユリウス暦が使われていた地域だったので,実際には8月16日に生まれた.
リヴォフのヤン・カシミール大学に入学しシュタインハウスに学ぶ.1937年に学位.ジョンズ・ホプキンス大学の奨学金に応募し,2年目に採用され,在学中に戦争が起こる.コーネル大学に勤める.講師(1939),助教授(1943;この年に市民権獲得),正教授(1947).年から年まで講師.ニューヨークのロックフェラー大学に転じる(1961).
確率論,統計力学.ファインマン・カッツの経路積分.
『確率論および物理学に関する諸問題』,『確率論,解析学および数論における統計的独立性(Statistical Independence in Probability, Analysis and Number Theory)』(1959)は古典.S.ウラムとの共著『数学と論理学,回顧および将来の展望』.バーコフ賞受賞(1978).アメリカ数学月報にも多数執筆.中でも「太鼓の形を聞くことができるか?Can One Hear the Shape of a Drum?」は有名.エルデシュとも共同研究.
[モ歴] トップ
カテラン大修道院長(abbe Catelan). 17世紀フランスのデカルト主義者. [解II.1] トップ
カトナ(Gyula Y. Katona, 1965.12.4-). ハンガリー,ブダペストの生まれ.エトヴォシュ大学でPhD取得(1994).ブダペスト工科大学計算機情報科学科講師.グラフ理論.
ロシア語と日本語も話せる.
[天18, 22] トップ
ガトナー(Shai Gutner). テル・アヴィヴ大学.グラフ理論.選択可能性. [天27] トップ
金田康正(Yasumasa Kanada, 1949.5.23--). 東大の情報基盤センターの教授.「πの計算」の世界記録を何度も更新する.
1981年三好和憲(工学院大学教授, 1946.10.15)と,マチンの公式を主計算にクリンゲンシュテルナの公式を検証計算に用い,πを200万桁求める.
1982年に田村良明(国立天文台)と,ガウス・ルジャンドルの方法を用いて,πを4194288桁,さらに8388576桁求める.
1983年に田村,吉野さやか(筑波大学)と,ガウス・ルジャンドルの方法を用いて,πを16777206桁求める.
1986年に田村と,ガウス・ルジャンドルの方法を用いて,πを3355万4414桁,さらに6710万8839桁求める.
1987年に田村,久保らと,ガウス・ルジャンドルの方法を主計算に,検証計算にボールウェインの4次の収束公式を使って,πを1億3421万4700桁求める.
1987年に田村と,ガウス・ルジャンドルの方法を主計算に,検証計算にボールウェインの4次の収束公式を使って,πを2億0132万6551桁求める.
1989年に田村と,ガウス・ルジャンドルの方法を主計算に,検証計算にボールウェインの4次の収束公式を使って,πを5億3687万0898桁,さらに10億7374万1799桁求める.この年はチュドノフスキー兄弟との間に激しい競争が繰り返された.
1995年に高橋大介と,πを32億2122万桁,さらに64億4245万桁求める.
1997年に高橋大介と,ボールウェインの4次の収束公式を使って,πを171億7986万9184桁,343億5973万8327桁,さらに515億3960万桁求める.
1999年に高橋大介と,ガウス・ルジャンドルの方法により,πを687億1947万桁,さらに2061億5843万桁求める.
2002年12月6日に高橋大介と,高野の公式と分割有理数化法により,πを1兆2411億桁求める. トップ
カプランスキー(Irving Kaplansky, 1917.3.22-) . カナダ,オンタリオ州,トロントの生まれ.
トロント大学卒(1938),修士(1940).ハーバード大学で博士号(1941).その指導者はS.マクレーンで,タイトルは「付値を持つ極大な体」Maximal Fields with Valuations.その後ハーバードで教える.1945年からシカゴ大学教授.
1984年の退職後は,カリフォルニア大学バークレイ校の数学研究所Mathematical Sciences Research Instituteの所長になる.
代数学.環論,群論,体論.クローシュの問題の解決.数論,統計学,組み合わせ論,ゲームの理論,著書多し.
- 『無限アーベル群』Infinite Abelian Groups
- 『体と環』 Fields and rings (2nd ed, 1972)
- 『微分代数入門』 An introduction to differential algebra (1957)
- 『可換環』 Commutative rings (1970)
- 『リー代数と局所コンパクト群』Lie algebras and locally compact groups (1971).
[代コ] トップ
カペリ(Alfredo Capelli, 1855.8.5-1910.1.28.)
イタリア,ミラノの生まれ.パレルモ大学,ナポリ大学教授.代数形式論,置換論,代数方程式論,楕円関数論など.代数学講義(1895)は好評.カペリの定理.カペリ恒等式. [ワ2] トップ
カムケ(Erich Kamke.)
集合論の本はドイツ語から各国語に翻訳され広く流布する. [天15] トップ
カライ(Gil Kalai.)
イスラエル,エルサレム,ヘブライ大学教授.組合せ論,多面体論,線形プログラミング. [天14] トップ
ガライ(Tibor Gallai [Gr\"unwald], 1912-92.)
ハンガリー,ブダペストの人.
ドイツ風ユダヤ名であるグリュンヴァルドを,ガライに改名した.
エトヴォシュ大学教授.エルデシュ数は1. グラフ理論.組合せ論. [天8, 10, 16] トップ
カラツゥバ(Anatolii Alekseevich Karatsuba,(1937.1.31--. )
ソ連,ゴーリキー市の生まれ.モスクワ大学卒業(1959),物理・数学博士(1966),教授(1970).1966年から科学アカデミーにも勤務.
数論,オートマトン論,サイバネティックス.ディリクレの約数の多次元問題での剰余項の評価の改善により,チェビシェフ賞受賞.
大きい桁の数の掛け算の効率を上げるアルゴリズムを発見,特にπの計算速度を上げることに貢献大.
トップ
カラテオドリ(Constantin Caratheodory, 1873.9.13-1950.2.2).
トルコの外交官だった父の任地ベルリンに生まれ、ミュンヘンに死す。
ギリシャ人。1891-1895年にベルギー陸軍大学で学んだ後、エジプトでダム建設に参加。
1900年にベルリン大学に入学、H.A.シュヴァルツに学び、ゲッティンゲン大学でミンコフスキーの指導で学位を取得(1904)。
ボン大学(1905)、ハノーヴァー大学(1909)、ブレスラウ大学(1910)、ゲッティンゲン大学(1913)、ベルリン大学(1918)。
1920年ギリシャ政府の要請で、スミルナの大学建設に尽力するが、1922年トルコが戦争をしかけ、図書館の本をアテネに移動させる。1924年までアテネ大学に席を置くが、1924年から死ぬまでミュンヘン大学教授。『数学年報』の編集者を長く勤める。
変分法、関数論、外測度の導入など測度論の公理化、リーマンの写像定理の精密化(カラテオドリの定理)、場の理論への偏微分方程式の応用。熱力学、特殊相対論、幾何光学などにも業績がある。
[解III.6, IV.3, 文], [珠人]トップ
カラビ(Eugenio Calabi, 1923.5.11-.)
イタリア,ミラノの生れ.ペンシルヴァニア大学教授(1964-93).微分幾何,代数幾何,複素解析.カラビ予想.カラビ・ヤウ多様体. [天6] トップ
ガリペリン(Grigolii Aleksandrovich Gal'perin)
コルモゴロフの指導の下にモスクワ大学で学位取得.統計力学.
東イリノイ大学教授. [モ歴]トップ
ガリレイ、ガリレオ(Galileo Galilei, 1564.2.18(15)-1642.1.8).
イタリア、ピサに生まれ、イタリア、アルチェトリ(フィレンツェの近く)に死す。
この名前は、聖書に出てくる「ガラリア人」の子孫であることを示すガリレオ家の長男という意味のものである。当時トスカナ地方では長男は家の名を洗礼名として重ねる習慣があった。父は数学者,音楽家.
天文学・物理学・数学・哲学者。近代力学,実験物理学,天文学の創設者.既存の権威(アリストテレスとキリスト教)に対し,実験または思考実験から得られる事実に基づいて反発・抵抗.
迫害を受け各地を転々とする。ピサ大学教授('89)、パドゥア大学教授('92)、1609年以降フィレンツェでトスカナ大公の後援を受ける。2度の宗教裁判。1637年失明。
ピサの斜塔での物体の落下の実験や、望遠鏡での観測(月面が滑らかでないこと,天の川が星の集まりであること,木星に衛星があること, 1610)など実験による検証の意義を確立した。振り子の等時性(1583年頃).構造物についての科学的な考察(工学の始祖とも言える).
望遠鏡として使えるようにするために,レンズの歪みを調べる方法を考案(1609).振り子時計の設計(最晩年).温度計の発明(1593).
ガリレオの相対性原理.慣性運動.落体の法則(2次式で書けること).加速度の意味.
宗教裁判に屈服した時にもらした、「それでも地球は回っている」Eppur si muoveという呟きは余りにも有名だが、その小さな声を誰が聞いたのだろう?
- 『運動について』De Motu(1590)
- 『星界の報告』(山田慶児他訳)岩波文庫 Sidereus nuncius, ヴェニス(1610)
- 『浮体論議』 Discuroso intorno alle cose che stanno in sxu l'acqua(1612)
- 『天文対話 上下(=二大世界体系についての対話)』(青木靖三訳)岩波文庫Dialogo ...... sopra i due messimi Sistemi del Monda(1632)
- 『機械学および地上の運動についての2つの科学に関する対話と数学的証明、トスカナ大公の哲学者で第1数学者である、リンチェイ・アカデミー会員ガリレオ・ガリレイ著、ライデン,1638年』(Discorsi e demonstrazioni matematiche, intorno \`{a} due nuove scienze, attenenti alla mecanica & i movimenti locali, del Signor Galileo Galilei Linceo, Filosofo e matematico primario de Serenissimo Grand Duca di Toscana, in Leida M.D.C.XXXVIII). 日本語訳は『新科学対話 (上)(下)』(今野武雄・日田節次訳、岩波文庫、1937)。オランダで出版.
- 『賽子ゲームの際の目の出方について』(1655)
日本語での伝記的記述も多い.
- 青木靖三 『ガリレオ・ガリレイ』岩波新書576(1965)
- Bertolt Brecht(ベルトルト・ブレヒト)『ガリレオの生涯』(岩淵達治訳)岩波文庫 Leben des Galilei
- トンマーゾ・カンパネッラ『ガリレオの弁明−ルネサンスを震撼させた宇宙論の是非−』(澤井繁男ほか訳)工作舎
- S.Drake『ガリレオの生涯1,2,3』(田中一郎訳)共立出版、Galileo at Work:His Scientific Biography
- L.フェルミ+G.ベルナルディニ 『ガリレオ伝』(奥住喜重訳)講談社ブルーバックスB336
- エミリオ・セグレ1928-『古典物理学を創った人々-ガリレオからマクスウェルまで』(久保亮五+矢崎裕二訳)みすず書房(1992)、Personaggi e Scoperte Nella Fisica Classica: Dalla caduta dei gravi alle onde elettromagnetiche(1983), by Emilio Segre
[解II.1, II.7, III.3, 文], [パ1-3, 年表], [代1, 12], [ブ50] トップ
カルダーノ、ジェロラモ(Gerolamo Cardano=Hieronymus Cardanus, 1501.9.24-1576.9.21).
ミラノ公国、パヴィアに生まれ、ローマに死す。
数学・自然哲学者・医者・占星術師・賭博師。異端の簾で投獄されたり、モラリストとしてマキャヴェッリに反対する本を書いたり。当時としては医者としての名声が最も有名なもので、高位聖職者の結核の治療に成功している。そのためか、晩年異端審問で本を書くことなどの活動を禁じられた時、教皇ピウス5世は年金を支給している。
『アルス・マグナ』が代数のためだけの最初のラテン語の本であるように、確率論(1563)、自伝(1575)など、史上初めてと言われる本を多く出している。自分の死ぬ日を予言し、成就させるために自殺したという説がある。
自伝が日本語に訳されて、海鳴社(『カルダーノ自伝』清瀬卓+澤井茂男訳、後平凡社から再刊(1995))と社会思想社(『わが人生の書』青木靖三+榎本恵美子訳)から出ている(1980)。 [解序, I.1-2, 5, 文], [名5, 8, 文], [ブ50] トップ
カルタン、アンリ(Henri Paul Cartan, 1904.7.8-).
.
フランス,ナンシーの生まれ.エリー・カルタンの長男.ブルバキ草創期のメンバー.
エコール・ノルマル・シュプリオール卒業(1926).リール(1929-31),ストラスブール,パリ(1940-69),オルセイ(1970-1975)の各大学で働く.退職(1975)後も活発な活動.
多変数解析関数論,保型関数論,ポテンシャル論,代数トポロジー,ホモロジー代数(S.アイレンベルグとともに),層の理論,リー群論,代数幾何学,数理論理学.日本人には特に,岡潔の難解な理論を現代的な言葉遣いに言い換えたことが有名.また,エコール・ノルマルでのカルタン・セミナーは最新の結果の普及に貢献.
日本語の本に『複素関数論』(高橋禮司訳)岩波書店(1965)、Theorie elementaire des fonctions analytiques d'une ou plusieur variables complexes, Paris(1963)がある。 [代コ] トップ
カルタン、エリー(Elie Joseph Cartan, 1869.4.9-1951.5.6).
フランス、イゼール県、ドロミュー(シャンベリーの近く)に生まれ、パリに死す。
ドロミューは寒村で、鍛冶屋の子として生まれるが、小学校のとき郡の視学官に認められて給費生として高校まで進学。19才でエコール・ノルマル(1888)に入学、ポアンカレ、ダルブー、C.エルミートの講義を聴く。1891年卒業し、教授資格試験を主席で合格。1年の兵役の後、1894年にパリ大学の理学博士になる。
モンペリエ大学(1894-1896)、リヨン大学(1896-1903)、ナンシー大学(1903-1909)、パリ大学(1909-1940、1912年に教授)に勤める。4人の子のうち長男アンリは数学者であり、作曲家のジャンは25才で死に、物理学者のルイは1942年ドイツ軍の捕虜となり15ヶ月のちに処刑された。
連続群論、とくにリー群・リー環の代数的基礎づけ(1894)、半単純リー環の表現論(1913)、リー環の構造論、複素・実の単純リー環の分類(1914)、微分幾何学(接続(アフィン・射影・共形)の理論、動標構)、トポロジー(リー群のベッティ数の計算)、グラスマン代数を使う外微分形式の理論(1901)、対称空間論(1926)、擬等角写像、相対論とスピノールの理論(1938)など、現代幾何学の最大の源泉の1つである。訳者の学位論文も彼の理論の延長線上にある。
日本語の本にE.カルタン『外微分形式の理論-積分不変式-』(矢野健太郎訳、白水社)がある。 [解人], [代19], [ワ2, 5, 7, 8] トップ
ガロア、エヴァリスト(Evarist Galois, 1811.10.25-1832.5.31).
フランス、パリ郊外のブール・ラ・レーヌに生まれ、パリに死す。
革命と数学のために生き,女のために死んだ.
16歳のときルジャンドルの『幾何学原論』で数学にめざめ,2日で読破したと言う.また数日でラグランジュの『数字方程式の解法』を読み,独自の研究に取り組んだと言う.ガロア,リセ在学中のことである.エコール・ポリテクニクの受験に2度失敗し,パリ・アカデミーに提出した論文は,コーシーやフーリエにも理解されず,原稿は失われたと言う.
エコール・ノルマル・シュペリオールに入学するも,急進的共和主義者の「民衆の友」に入会,退学させられる.決闘の直前に友人のシュヴァリエに送った手紙の中で,論文の内容を簡潔に述べている.死後14年経って,リウヴィルがガロアの論文を検討し,再構築して発表するまで,業績は知られなかった.
代数方程式の解の構造を調べるために置換群を利用し,群の有用性を示した.ガロア群.
群,部分群,正規部分群,体,拡大という用語を導入.
代数の業績だけが喧伝されるが,任意の代数関数の積分の性質についての論文も書いている.
彼の伝記については、L.インフェルト『ガロアの生涯−神々の愛でし人』(市井三郎訳)日本評論社(1969)が詳しい。
[解人], [パ人], [珠人], [名8, 17], [代12, 18, 21, コ], [ブ50] トップ
カーン(Jeff N. Kahn.)
アメリカ,ニュー・ジャージー州立大学,ラトガス校数学科教授.オハイオ州立大学で学位(1979).トポロジー,組合せ論,統計力学. [天14] トップ
カント,イマニュエル(Immanuel Kant, 1724.4.22-1804.2.12.)
ドイツ,ケーニヒスベルクに生まれ,同地に死す.
同地の大学を卒業し,勤務する(1755-96).1770年に教授になり,哲学と自然科学を教える. [名19],[ワ」 トップ
カントール、ゲオルク(Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor, 1845.3.3-1918.1.6).
ロシア,サンクト・ペテルブルグに生まれ、ドイツ、ハレに死す。
ワイエルシュトラスの弟子。ハレ大学教授。多くの数学者から、特に師でもあるクロネッカーからも攻撃され、1884年頃から神経疾患。支持した人ももちろん多く、たとえば、デデキント、ワイエルシュトラス、ヒルベルト、ラッセル、ツェルメロ、ミッタク・レフラーなど。
発作後に名案の出ることも。ハレの精神病院で没。ドイツ数学会初代会長(1890)。1897年に第1回国際数学者会議をチューリヒで開催。
集合論,無理数論,三角関数論,整数論(ゴールドバッハの問題)
「数学の本質はその自由性にある。」
日本語の本に『カントール 超限集合論』(功力金二郎訳)数学の系譜8共立出版がある。デデキントとの往復書簡の訳もここにある。 [解序, III.0-1, 3-4, IV.1-2, 文], [天15] トップ
カントール、モーリッツ(Moritz Benedikt Cantor, 1829.8.23-1920.4.10).
ドイツ、バーデン、マンハイムに生まれ、ドイツ、ハイデルベルクに死す。
数学史家。ハイデルベルク大学(1848-1851)で学ぶが、途中ゲッチンゲンでガウスやウエーバーに、ベルリンでディリクレやシュタイナーに学ぶ。
ハイデルベルク大学(1853-1913)に勤務。
始めは数学を研究していたが、あるときボンの会議で、ラムス、シュティーフェル、カルダーノについて短い講演をしたのが大変好評で、数学史の研究を進める気持ちになったと、後にカジョリに語っている。
『数学史講義』は古代から1799年までの数学の歴史書だが、参考資料が豊富で、今も価値を失っていない。 [解I.1, 4] トップ
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き 
ギヴンズ(James Wallace Givens, Jr.).
1936年プリンストン大学で,O.ヴェブレンの指導の下,論文Tensor Coordinates of Linear Spaces(線形空間のテンソル座標)によりPh.D.取得.スピノールの代数的扱いについてのヴェブレンの講義の執筆(1935-36).
テネシー大学ノックスヴィル校教授. [ワ8] トップ
キケロ(Marcus Tullius Cicero, 紀元前106.1.3--紀元前43.12.7).
アルピヌム(ローマ南東約100km)に生まれ,ローマに死す.
政治家,弁論家,文筆家,哲学者.アテネ,ロードス島,小アジアに遊学(29歳で帰国).弁論と,属州統治の見事さにより出世.31歳で財務官,32歳で元老院議員,37歳で按察官,40歳で法務官(プラエトル),43歳で執政官.祖国の父と呼ばれる基になった英断が,ローマ法に反すると弾劾されてローマを追放され(58年に護民官に就任したクロディウスの弾劾による),翌年キケロ召喚決議により凱旋帰国.その後は2度の三頭政治に反対し,民主政治を守ろうとする.カエサル暗殺の際,暗殺者の方を支持した.カエサルの甥のオクタヴィアヌスを政界に呼び寄せ,アントニウスを弾劾したが,オクタヴィアヌスがアントニウスと組み第2次三頭政治が始まり,アントニウスの放った刺客により暗殺される.
ラテン語は彼の弁論や著述によって共通語としての骨格を備えて行ったということができ,後のヨーロッパに強い影響を与えている.
彼が数学史に登場する理由はただ一つ,紀元前75年にシシリー島を訪れ,シラクサの入り口近くで,雑草に覆われたアルキメデスの墓を発見したことによる.その後また失われてしまったので,墓に円柱に内接する球が描かれていたというのは,キケロの報告(それがプルターク英雄伝の中に記載された)ことだけが根拠である.墓を作ったのは,シラクサを陥落させたローマの将軍マルケッルスだったという.
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ギブス(Josiah Willard Gibbs, 1839.2.11-1903.4.28).
アメリカ、コネティカット州、ニューヘヴンに生まれ、ニューヘヴンに死す。理論化学・物理学者。エール大学教授。アメリカ初の工学関係の博士。
コネティカット・アカデミー報告に掲載された「相律」を確立した『不均一系の平衡論』はマクスウェルには認められたものの、長い間認められず、オストヴァルドがドイツ語に訳してから段々認められるようになった。アメリカが科学における発展途上国であった時代の話である。古典統計力学。フーリエ級数の収束に関するギブス現象. [解IV.3, 文] トップ
ギャルヴィン(Fred Galvin.)
アメリカ,カンザス大学数学科教授.組合せ論,グラフ理論,集合論. [天26] トップ
キャロライン,アンスバッハの(Caroline, 1683-1737.11.)
イギリス国王ジョージ2世妃.有能でない夫を支えて,国政に関与.
皇太子妃のときに,ライプニッツからニュートンを誹謗する文書を届けられる. [パ12] トップ
ギユー(Jean Guilloud, 1923--)
πの計算の世界記録を何回か更新する.
1959年,マチンの公式を用いて,πを1万6167桁求める.
主計算にガウスの公式を,C.シュテルマー(Frederik Carl Mulertz Stormer, 1874-1957)の公式を検証計算に用い,1966年にIBM7030を使ってジョエル・フィリャトル(Joelle Filliatre, 1938現在はJ.ゲイ(Gay))とπを25万桁,
1967年にCDC6600を使ってミシェル・ディシャン(Michele Dichampt, 1940.1.24--,現在はギユー夫人)とπを50万桁,1973年にIBM7600を使ってブーイエ(Martine Bouyer)とπを100万1250桁求める.
1981−82年に,πを200万50桁求める.
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キリロフ(Aleksandr Aleksandrovich Kirillov, 1936.5.9-).
ソ連,モスクワの生まれ.モスクワ大学卒(1959).モスクワ大学教授(1965).I.M.ゲリファントの下で,論文『ベキ零群のユニタリ表現』により学位取得(1962).
代数学,関数解析,群の表現論.ベキ零群の表現の構成の軌道法(キリロフの方法).環論におけるゲリファント・キリロフ次元.著書に『表現論入門』,(A.D.グヴィシェアニとの共著の)『関数解析の定理と問題』がある.
また,まったく同じ名前の息子があり,彼は無限次元リー環や量子群の表現論の研究者であり,名前の最後にJr.を付けて区別している. [代コ] トップ
キリング(Wilhelm Karl Joseph Killing, 1847.5.10-1923.2.11.)
ドイツ,ウェストファリア,ブルバフ(ズィーゲンの近く)に生まれ,ミュンスターに死す.
ミュンスター大学入学(1865),ベルリン大学に移りクンマーとワイエルシュトラスに学び,後者の下で,行列の単因子論を曲面論に応用する論文で学位(1872).
ベルリンとブリオンの学校教師(1868-1882),ワイエルシュトラスの推薦でブラウンズベルクのローマン・カソリックのカレッジで数学教師となり,その10年後にミュンスター大学教授(1892).この間,学界から孤立していたが,重要な仕事はこの時期のもの.
非ユークリッド幾何の研究のため,S.リーとは独立にリー環を導入.n次元非ユークリッド幾何の導入.単純リー環の分類.
リー(変換)群の代数的理論.カルタン部分代数,カルタン行列,ルート系の導入.行列の特性方程式という言葉も彼の発明.論文『有限連続変換群の構成』は里程標. [ワ2] トップ
キール、ジョン(John Keill, 1671.12.11-1721.8.31).
スコットランド、エディンバラに生まれ、イギリス、オックスフォードに死す。
物理・数学者。オックスフォード大学サヴィル天文学教授。ライプニッツの非難に対してニュートンを弁護する論陣を張る。彼の『天文学講義』(1718)は、オランダ語への翻訳(1741)を経由して、志筑忠雄(1760-1806)によって日本語に翻訳され、『暦象新書』(1802)という名で出版され、ニュートン力学の日本への伝播に資す。 [解II.4] トップ
キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff, 1824.3.12-1887.10.17).
プロシャ,ケーニヒスベルク(現在ロシア,カリーニングラード)に生まれ,ドイツ,ベルリンに死す.ガウスの弟子.1847年からベルリン大学の無給講師.後ブレスラウ大学に.1854年にハイデルベルク大学の物理学教授.ブンゼンと同僚になる.1875年ベルリン大学数理物理学講座主任となる.
トポロジーを使った回路理論や弾性理論に貢献.1854年発表のキルヒホッフの法則はオームの法則の拡張.黒体輻射での業績は量子論の発展に基礎的貢献.また太陽光線のスペクトルの黒線を吸収によるものと解釈し,天文学に新時代を開く.
3次元波動方程式の解に対するキルヒホッフの公式.
もっとも有名な著書は4巻本の『数理物理学講義』(Vorlesungen \"uber mathematische Physik) (1876-94)である.
[天24] トップ
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